第八十二章 森のエルフ
耳を澄ませば聞こえる。ほら、みんなの……里の大切で大好きな仲間たちの、笑い声ややさしい歌声。
気持ちいい風がそよそよと、歌にあわせて踊るのを感じるのがとても好きだった。
母なる大樹の枝にもたれかかり、渡り鳥の声に耳を澄ますのが好きだった。
愛する人たちとの幸せだった時間が、もう二度と手に入れることの叶わない過去が、一気に走馬灯のように脳裏に懐かしい情景を浮かび描いてゆく。
ねぇ、奇跡って言葉は本当にあるのかな? 信じても、いいのかな?
でも、ね。もしあるとしたら、だったらどうして……イリス兄様には奇跡が起きなかったの? 父様や姉様、そして散っていったたくさんの大切な大切な儚い命。
神様はどうして兄様に、みんなに、奇跡をくれなかったの? やっぱり、奇跡は信じちゃいけないの……?
ううん、あるよね。だって、私がクロードやゼルと出会えたことだって、きっとこれは神様がくれたすてきな奇跡の結晶だもの。
「――――リリア!」
後ろからクロードとゼルの叫ぶ声が聞こえたけれど、ごめん、もう遅いみたい……
まるで何かにひかれたみたいに、身体が横に倒れていく。抵抗はない、ただ、引かれるがまま、引力に身を任せてリリアはその場に倒れた。
でも、覚悟して予想していた痛みはいくら待ってもこなかった。かわりに――
「大丈夫かよ、リリア」
低くはない、しかし高くもない美しい声域を持つ“誰か”の声が耳元でささやかれた。
「――! ク……クラノス?」
「んだよテメェ、まさかちょっと里出た間に幼馴染の顔忘れたってのか、あ?」
「だっ……て」
目の前で、生まれつき少しつり眼気味だった目を細めてこっちを見つめているのは、小さい頃いつも一緒にいた幼馴染だった。
「ったくよ、無茶するぜテメェはいつもいつも……」
「ごめんなさい……」
目にはめ込まれた翡翠色の瞳が不意にやさしさを帯びる。サラサラと、光という自然の恵みを浴びて美しく輝くグリーンの長髪が風になびいてとても綺麗。天から降り注ぐ神秘的な光の中で、幼馴染みの少年が視線をそらしながら頬をかく。
「ったく、やっと帰ってきたかと思えば……心配ばっかさせんじゃねぇ」
そのどこか妙に大人びた視線や雰囲気に、どきりとした。
この幼馴染み、もともと顔つきがどのエルフよりも端正で大人びたところはあったものの、しばらく離れていてあらためて再会してみると、なぜかいちだんとその雰囲気が大人びたように感じてしまうのである。
エルフは人間よりもかなりの時空を生きる種族だ。だからクラノスは見た目まだ19歳そこいらだけれども、しかし実際の年齢はというとその数倍はある。いや、クラノスだけではなくリリアとて長い長い時空を生きてきた。クロードやゼルが産まれるその遥か昔から、リリアはこの森と共に成長をしてきたのだ。
「で、さっきからそこにいる人間はなんだ?」
「え……あぁ、うん、あのね」
リリアがとりあえずクロードとゼルのことを説明し終えると、クラノスは驚いたような目つきでクロードをまじまじと眺めた。
「……ふぅん、コイツがねぇ」
やがて、そんな言葉をつぶやきながらふとクラノスが口角を上げて微笑む。まるで、馬鹿にしているようなその表情。その瞳。それに気を悪くしたのかクロードの眉間にしわが寄った。
「俺が光の勇者だとなにか不服か?」
挑戦的な視線でクロードがクラノスに言う。
「別にぃ。ただ、なんかガキだし頼りねぇなって思っただけだぜ勇者様」
勇者様という部分を強調させ、クラノス。
「こう見えても俺は21だ。それに、どう見たってお前の方がガキじゃないか」
「見た目だけが全てじゃねぇのさ、坊や」
「その言葉、そっくりそのままお前に返してやるよ」
バチバチと、見えない火花が激しく衝突し合う。
「なんなら、試してみるか?」
あくまで余裕に笑みながら、クラノスが肩をひょいっと持ち上げる。
「後悔しても知らないからな」
挑発されると熱くなるクロードが、いざ剣を抜き放たんと手をかけた。
「もう、やめてよね2人とも! こんな場所でけんかだなんて、女王様が怒るじゃないクラノス」
いがみ合うクロードとクラノス。それを止めたのはリリアだった。そして、どこからともなく降ってきた声。
「そうよ、その辺にしておきなさいクラノス。それと……あなたもですよ、光の勇者様」
「……エメリア」
颯爽と現れたのは、これまたクラノスと瓜二つのエルフ。
クラノスからエメリアと呼ばれた彼女は、長く美しいグリーンの髪を風になびかせながらリリア達に近づいてきた。
「久しぶりねリリア。ごめんなさい、まさかあなただとは思わなかったの。それに、人間がいたものだからつい矢を放ってしまったわ」
そう申し訳なさそうに謝罪の言葉を述べ、エメリアは手に持っていた矢を矢筒にしまった。もう片方の手に握りしめていた聖なる大樹の枝でこしらえた弓はそのままに、エメリアがリリアに心配そうな瞳を向けた。
「ううん、気にしないでエメリア。それに、クラノスが助けてくれたし」
「俺がいなかったらどうなってたかは知らねぇけどな」
本当に、それは言えてるかもしれない。
リリアは内心偶然にもクラノスがいてくれたことに感謝しつつ、目の前に並んだ双子エルフを見つめた。
「おかえりなさい、リリア」
にこりと優雅な微笑みを浮かべながらねぎらいの言葉をくれるエメリア。
「やっと、家出娘のお帰りかよ」
少し皮肉屋な部分もあるけれど、心の本音では心配してくれているクラノス。
リリアは心から温かく出迎えてくれた二人の友達に、頬をほころばせて花のような笑顔で言った。
「――ただいま!」 |