†リガルド王国物語†〜Love&destiny〜(79/97)PDFで表示縦書き表示RDF


†リガルド王国物語†〜Love&destiny〜
作:AYAKA



第七十四章 大浴場にて


 ぼんやりと薄く湯気のたちこめた大浴場。中央には堂々と豪華なライオンの石像が陣取っていて、尖った牙の生えそろったその口からは、熱湯がまるで小さな滝のように流れ落ちている。
「ふぅ……気持ちいい」
 ジュリアはその湯に胸のあたりまでつかりながら、心地良い温もりに思わず深いため息をもらした。後ろで結んだ髪の毛の先を少し濡らし、手ですくった湯を肩にかけながら、ぼーっと天井を眺める。
 やっぱり、疲れたときにはこれが一番だ。熱いお湯で全身を清らかに洗い流し、心も頭も爽快リフレッシュ。
 しばらくそうやっていると、だんだん全身が温まってきた。
 ――そろそろ、身体を洗おうかしら。
 そう思ってジュリアは湯からあがると、大きな鏡の前で石鹸を泡立てた。ほんのり香る、シトラスの癒微かな匂い。ミルクのような泡をまとったスポンジは、するりとなめらかに素肌をすべる。ひんやり、白い大理石でできた小さな椅子が気持ちいい。火照った身体はぽかぽかで、目の前の鏡に映った自分の顔も少し赤く上気している。
 濡れたまつ毛から、血色のいい唇、そして首筋から鎖骨へと視線を下ろしていったジュリアだったが、ここでとんでもないものを発見してしまった。
「……やだ、ついちゃってる」
 それを確認した瞬間、ぼっと、一気に体温が上昇した。
 みるみる頬が熱くなり、ジュリアは思わず恥ずかしさに視線を後方のライオンへとそらした。しかしやはりそれは気になるもので、またするすると自分の身体に視線を戻す。
 鏡の中にいる自分の鎖骨あたりには……複数の赤い花びらが散りばめられていて。
 ジュリアはその赤い花びらに指先で振れると、まるで繊細な本物の花を触るかのように、そっとやさしく撫でてみた。
 湯気で曇り気味な浴場内でも、くっきりはっきりジュリアの瞳に焼きつくその無数の赤い花。
 ――クロードの残した、キスマーク……
 それ以外、考えられなかった。というか心当たりはそれしかない。
 大切な彼に愛された証しが、今、ここにある。
 そう思うと、ジュリアは胸を高鳴らせずにはいられなかった。頬を緩めて、嬉しさに微笑まずにはいられなかった。
 さっきはイリスによって唇を奪われたけれど、大切な思い出を汚されたけれど。だけどまだ、けがされていない聖域がここにあった。
「クロード…………」
 無意識のうちに自分の口から紡がれた、愛しい人の名前。今すぐ逢いたくて、恋しくて……胸が、きゅうっと苦しみの叫びをあげる。
 あの漆黒の髪も、そして真っ直ぐで黒曜石みたいに綺麗な瞳も。耳に良く響く低めの声、心地よい体温、たくましい腕、抱きしめられた時の感触でさえ、よみがえってくるようで……
「貴方に……すごく、逢いたい」
 ぽつりとつぶやかれた言葉。熱い何かが胸からのどの奥に込みあがってきて、じんわりと涙が浮かんできた。
 悲しくなんてないし、絶望だってしてはいないのに。それでも、どうしてかあふれだす感情と涙は、ぽろぽろと手で掬い上げた砂のようにこぼれていってしまう。
 ――待ってるから。
 クロードが、必ず救ってくれると信じている。もがいてもあがいても抜けられなかった闇から、助けだしてくれると信じているから……
 だから、さびしくない。ようやくこの心に、希望の光が差し込んだのだから。もう、一人じゃない。
 きっと、この感情だったり涙だったりは、そう、希望なのだろう。闇に染まってから今まで決して感じることもすることもなかった、嬉し泣き。
 ジュリアは表情をほころばせて微笑むと、幸せそうに赤い花びらを見つめていた。
 と、その時――――
「ずいぶん、嬉しそうじゃないか」
「――――きゃッ!」
 いきなり声を掛けられて、ジュリアはびくんと肩をこわばらせた。変な声がでてしまったのは、この際仕方がないだろう。
 何故ならば。
「別に、そんなに驚く事はないだろ」
 ひょいっと、クロエが鏡に映りこんできたのだから。
 誰もいないと思っていたからか、それとも自分の中に入り込んでいたからか。とにかく意識をずっと胸元のキスマークに引き寄せられていたため、クロエが大浴場に入ってきていたことになどまったく気が付かなかったジュリア。そんな様子のジュリアに、クロエはやれやれと肩を竦めて隣に腰掛けた。
 キスマークについて、何か追求されるだろうか。そう思ったジュリアの心配を他所に、クロエはジュリアの手から泡のついたスポンジをくすねる。
「身体はもういいの?」
 湯をかぶり髪を濡らしたクロエに、ジュリアがいった。
「ああ、もう平気だよ。直射日光受けなかったこと、ありがたく思わないとね。じゃなきゃ今頃、あたしは存在すらしてないよ」
「ふふ、クロエが生きていてくれて、本当によかったわ」
「そりゃどうも」
 クロエはそう言って軽く笑みながら、スポンジで肌を擦っていく。自分とはまるで違って筋肉質なその身体。腕や背中は細いのに、しなやかに鍛えられている。
 綺麗ね……ジュリアはそう思った。
 世間一般的なふくよかで美しい女性のそれとは少し違うが、クロエの鍛え抜かれて引き締まった身体は、とても美しく見えるのだ。
 じっとジュリアがクロエに釘付けになっていると、視線に気付いたであろうクロエは、眉を寄せて胸の前で腕を交差させるという、彼女にしては珍しく女性らしい仕草を見せた。
「なにさ、じーっと人の身体を眺めて」
「あら、ごめんなさい。でも、ものすごく綺麗だと思って」
「綺麗? こんな傷だらけのどこが綺麗なんだか」
 確かに、クロエの肩や腕には古傷らしき痕が無数ある。よく見れば、そのほとんどは刀傷である。
 それでも、綺麗だということには変わりない。というか、クロエの場合よけいに魅力が増すというかなんというか。
「いいえ、とても綺麗よ。だってその傷はクロエにとっての勲章でしょ」
 クロエの過去は知らないけれど、きっと、彼女は強くなるために絶え間ない努力を積み重ねてきたはずだ。そしてこの傷は、その過程でついた、いわば努力の賜物。クロエがどれだけ頑張りやなのか、そんなこと、彼女の手のひらを見ればすぐにわかった。
「まあ、昔のあたしは弱かったからね……傷のひとつやふたつは当たり前だったよ」
 昔を思い出しているのだろうか、クロエは遠くを見つめながらつぶやく。
「……兄になんて、あたしは一度も勝てたことさえなかった」
 兄――初めて耳にするクロエの親族。
 ここでふと、ジュリアはクロエの部屋で偶然見つけたあの黄金のコインを思い出した。
 もし仮に、クロエがコインに刻まれていた“リオル”だったとして。そうすれば、必然的にその兄は王族ということになる。
 気になる。あまり他人の過去を探るような真似は好ましくないけれど、クロエの秘密がとても気になる。
(それとなく……聞いてみようかしら)
 クロエがどんな反応を示すかはわからないけれど、これが絶対に触れられたくないことなら、コインはもっと分かりにくい場所に隠すかもしくは破棄するだろう。
 ジュリアは意を決すると、クロエに向けて言った。
「“リオル・グランツェ・アース・フォルド・リガルド”」
 それとなくのつもりが、もろにコインの裏に記されていた名を言ってしまった。そしてさらに、その名を聞いた瞬間固まり豹変したクロエの表情に、ジュリアは自分の好奇心を深く後悔するのであった。


思った以上に執筆にてこずりました。さて、クロエの過去を早く書きたい作者ですが、次回の途中にはまた視点がクロード達に戻る予定です。

次回の更新はまだいつになるかわかりません。明日か明後日あたりにHPで更新日をお知らせします。











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