第六十六章 約束
ガタガタと揺れる馬車の中、クロードは膝を抱えこんで座っていた。ぼんやりと目の前で横たわる三人を眺めながら、ややこしいことになったと考える。
あれから、数時間が経ったはずだ。
古びた馬車と黒毛の馬を連れてジュリアが帰ってきた後、クロードはクロエを馬車に寝かせてからリリアとゼルの捜索へとでていた。
そこで、少し離れた場所に気を失い折り重なるようにして倒れていた二人を発見し、一緒に馬車に乗せて今に至る。
ジュリアはもう二人には手を出さないと約束してくれたし、クロエだってこんな弱った状態では何もできないだろう。
だからひとまずこっちは安心だとしてだ。問題は、ゼルとリリアである。
十中八九二人がクロエと戦闘をしていたであろう痕跡が見て取れることから、二人が目覚めた後が怖い。それに、一命は取り留めているとはいっても、クロエが大切な仲間を傷つけようとしたのには変わりない。
「……きびしいな」
自分にとってクロエは憎むべき仲間の仇で、だけれどジュリアの大切な仲間で。
クロードはゆれていた。
ゼルとリリアは目覚めた後、必ず、なぜ敵を助けそして一緒に行動をしているのかを問いただしてくるだろう。クロエはジュリアの声も届かずに、魔王の為に再び自分達を手にかけようとするだろうか。
――その時、何て言えばいい? 俺は、どうしたらいい?
「……クロード?」
どうしようもなく思い悩んでいたそんな時、前方に空いている小さな覗き窓から、これまた小さな声がした。けして高くはなく、かといって低いわけでもない声域。まるで美しくも儚い花のようなその声の主は、もちろん彼女。
頭を抱えていたクロードはそちらに注意をそらし、覗き窓からこちらを心配そうに見つめているジュリアを見つめ返した。
「どうかしたの?」
「……いや、別に何でもないんだ。それより、そっち代わろうか?」
外は陽射しもあるし、ジュリアだって疲れているだろうに。森を抜けて今は山道を進んでいるのだが、その間ずっとジュリアが馬を操っているのだ。
「いいえ、平気よ。気遣ってくれてありがとう。でも私の心配より、今は自分の心配をしていてね。貴方だって怪我、してるじゃない。それに、私は馬を操るのには慣れてるし、もう少し風にあたっていたいから」
「そう、か」
「……きっと、もうすぐ街が見えてくると思うわ」
そう言ってにこりと微笑みを浮かべたジュリアは、男なら誰もが虜になりそうなほど美しく、とても綺麗だった。
ジュリアが前に向き直った後もしばらくぼーっと残像に魅入っていたことは、内緒だ。
それからしばらくしてクロード達はとある町に入った。
地図にも載っていないようなその町の名前はルジェアリナ。四方を高い山と広い平原に囲まれた、小さくてのどかな町である。
ここからシトラウス平原を超えた先にはブルーニという街があり、さらにそこから山をひとつ超えれば王都はもうすぐそこである。
王都近辺の町や村は闇の魔の手にもうだいぶ侵されているようだが、この町からはそんなもの一切感じられずに、とてもゆったりと落ち着いた雰囲気を感じた。
「ねえ見て、ジュリアの花が咲いてるわ。懐かしい」
宿屋の二階の部屋の窓から外を眺めていたクロードの隣で、嬉しそうにそう言ってジュリアが顔を綻ばせた。まるでそよ風にゆれる花のような、やさしい笑顔に心が癒されるようだ。
ジュリアは故郷に咲き乱れていた自分と同じ名前の付いた花を見つめながら、窓枠に肘をついて目をぱちぱちさせている。
「でも、不思議。ここのは黄色い花びらなのね。なんだかこうしてみると、違う種類みたいと思わない? だって、ミラノーヴァのは青かったもの」
海のように青く、空のように綺麗な青。
「……そういわれてみれば、そうだな」
「でも、美しいわ」
懐かしい花の匂いが、風と一緒に通り抜けていく。見上げた太陽はまぶしくて、思わず目をつぶった。
自然に、記憶が辿られ思い起こされる哀愁の故郷の風景。胸に、じわじわと何か熱いものがこみ上げてきた。
「ミラノーヴァ……か」
山の奥地にひっそりと隠れ里のようにしてあった故郷の村は、地図にも載っていないし、近隣の街の住民もその存在を知る人はごくわずかだった。
カラカラとよく回る背の高い風車の前を、よく友達を引き連れて走り抜けたような気がする。家が近所だったジュリアとは毎日のように遊んだし、雨季になると道端にいるカエルを捕まえて、水たまりを泳がせていた記憶が懐かしい。
そうやって今は亡き故郷を思い返していたクロードの隣で、ジュリアも同じように故郷を思い出しているのか、どこか遠い目で空を眺めていた。
「ねえ、覚えてる? 二人だけの秘密の場所で、あなたが私に言った言葉」
ふと、空を見つめたままジュリアがつぶやいた。
「言葉……? 俺、あの場所でお前に何か言ったか」
ミラノーヴァの森には、白い小さな月の花というめずらしい品種の花が咲く場所があって、そこはクロードとジュリアの二人だけの秘密の場所だった。
たった二人だけという特別な場所。けれどその頃の自分達は何も知らなくて、度々夜に家を抜け出してそこに行っては、ただただ二人で寝転がって星空を眺めていた。その時たぶん色々他愛ない話しをしたと思うが、そんなこといちいち覚えているはずない。
「何て言った?」
「もう、やっぱり覚えてないのね」
はぁ、とため息をもらしたジュリアはクロードの方に顔を向け、ゆるく笑みを浮かべた。
「内緒よ」
そう言って人差し指を唇にあてて、ふふっと声をもらす仕草が男心をくすぐる。
我慢できずに甘栗色をした綺麗な髪をさわろうと手を伸ばしかけたが、その前にジュリアはするりと窓際から離れていった。……おしい。
ジュリアの背を視線で追いながら、結局クロードは空中で出番なしとなった手をさ迷わせた。
秘密の場所で言ったとか言う言葉を覚えていないことに対する、彼女なりのささやかな仕返しなのか。
ジュリアは床を軽くきしませながらドアの隣にあるひとつのベッドの前で立ち止まり、腰をかがめた。どうやら、そこに眠るリリアの顔を覗きこんでいるようだ。
「……よく、眠ってる」
ごめんなさいとは口にしなかったが、その瞳は悲しい色を映しているかのようだった。
まるで、自分がしてきたことを思いつめているかのように。
「この子が目覚めたら、きっと傷つくでしょうね」
「……そう、だな」
敵であるはずの女と仲間の自分が中睦まじくやっていては、リリアでなくとも傷つくし、怒りすら感じると思う。最悪リリアがジュリアに手をあげるとかいう暴力的なことはないだろうが、言葉攻めに合う可能性が高い。
どちらが悪いとか、そんなのはきっとないのに。お互い殺しあってもそれにはちゃんと理由があるわけで、どちらもその理由を胸に敵とぶつかり合うのだから。
国同士の小競り合いや戦でも、それは同じ。家族を守るために戦う。国を守るために戦う。ジュリアやクロエ暗黒騎士の場合は、魔王を守るために命を懸けてでも戦うのだ。――――闇の妨げである、光の存在(自分)と。
「夜になってクロエの容態が回復したら、私達はすぐにここを出ることにするわ」
思いもよらなかったジュリアのその一言に、少し考え事をしていたクロードははっと顔を上げた。
「出て行く……って、魔王の元に戻るのか?」
「ええ、そうよ」
ジュリアの表情は真剣で、ゆるぎなくて。
――また、離れ離れになってしまうのか?
それだけは絶対に嫌だ、許す事なんてできない。
クロードはつかつかとジュリアの傍まで歩み寄ると、このまま力を入れてしまえば壊れてしまいそうなほど細い彼女の両肩を掴んだ。
「こっちにこい、ジュリア。お前が闇に帰る必要なんて、もう、ないだろう」
必死にしぼりだされた言葉。もう、彼女を手放したくはない。魔王の所になど、帰したくはない。
しかし、ジュリアは首を横に振った。それにあわせるかのように、彼女の長い髪がゆれる。
「それは……できないの」
「なぜだ?」
「私は、魔王様の所有物だから。私だって……できることならこのまま貴方と一緒にいたい。貴方に、ずっとずっと傍にいて欲しい」
「だったら……」
「でも、言ったでしょ。私の背中には、闇の刻印が存在するのよ。これがある限り、私は魔王の所有物であり続ける。今の私に、裏切りは許されないの」
ジュリアは教えてくれた。闇の刻印を持つ者が魔王を裏切ると、その後どうなるのかということを。それはとても恐ろしく、物凄くおぞましい結末だった。
――不死騎士になんかなりたくない。
そう、ジュリアは悲痛な表情でつぶやいた。下に落とされた視線に、細められた悲しい瞳。微かに震える唇や、細く頼りない肩。
「だから……待ってる」
ジュリアはクロードの手を包み込むようにして自分の手を重ね、真っ直ぐに見つめてくる漆黒の瞳に微笑みかけた。
ジュリアの肩に置いていた手に、温かなぬくもりが触れる。クロードは、どうしようもない愛しさに苦しくなった。
その瞬間、ジュリアの方から身体を寄せてきて、やさしく抱きしめられた。
「いつか貴方が私を闇から自由にしてくれる。そう信じて、待っているから……」
強がってはいるけれど、そこに怯えたジュリアの本心を感じることができて。
クロードは小さく震えているジュリアをきつく抱きしめ、そして頷いた。
たとえ身体は離れてしまおうと、二人の心、想いはもう二度と離れたりしない。どんなに苦しかろうとも、悲しかろうとも、いつか必ず救い出してみせる。
――お前を、絶対に闇から解き放ってみせるから。
「ああ、待っていろ」
どんなことがあろうとも絶対にゆるぐことのない誓いを、この胸に深く、そして強く刻みつけた。 |