第五十九章 フラウ消滅
――こんなにも簡単にフラウがやられてしまうだなんて。
リリアは愕然と、クロエの手元でゆらめく赤い炎を見つめていた。
ゆらゆら、ゆらゆら。それはまるで寒帯の夜空を彩るオーロラみたいで、無意識のうちに視線が吸い込まれてしまう。
ゆらゆら、ゆらゆら。炎は燃えて不規則にゆれ動いて、それに伴い時折スッと火の粉が空へと舞上がってゆく。
「――弱い」
降り掛かるのは、短い言葉。その短さが、逆に残酷さを強調しているかのように思えた。
「――っ」
その短くも刺々しい言葉に、ザクリと、リリアの胸に鋭く尖った釘が打ち込まれる。
「精霊の力がどれ程のものかとも思ったけど、興ざめだね」
中級といえどもフラウはれっきとした精霊。それが、あんなにあっけなく、あっさりと倒されてしまうなんて……正直思ってもみなかった。まだ、自分は力不足なのだろうか。
「精霊は……精霊は強いの! ほんとはもっと凄くて、母様なんて――――」
「見苦しい言い訳はよしな。これはあんたが未熟な証拠。ただ、それだけだろ」
鋭すぎる意見。きつい視線。冷め切った口調。
何か反論は?と首を傾けるクロエに、リリアは何も言い返せなかった。
――母様なんて、何て言おうとしたの。今ここで母様と自分を比べたって、何の意味もないのに。クロエの言うとおりに、ただの言い訳でしかないのに。……精霊の力を100%発揮できていないってことぐらい、自分が一番よくわかってるはずなのに。
――くやしい……ものすごく、くやしい。
まだまだ、半人前の未熟者もいいとこだったのだ。イリスのように精霊を完璧に扱いこなせるようになるのは、果たしていつになることだろう。そう考えると悲しくなってきたが、今はそんな場合じゃない。目の前には敵がいて、今にも自分達を亡き者にしてやろうと狙っているのだから。
その敵、一振りで氷の精霊を撃破したクロエは、見ての通りにまったくの無傷。本当にくやしいことに息使いだって落ち着き払っていて、汗のひとつも滲んではいなかったりする。
「ど……したら、いいの」
こんな状況で、どうしろというの。クロエはまだ本気の半分も出していないのに、自分にどうしろと。
リリアの中で、とてつもないあせりが膨れ上がっていく。
どうしようかとか、どうすればいいかとか、そればかりが頭の中を堂々巡りして。まさかこれまで相手が強かったなんて、考えもしなかった。きっとフラウでも、多少の傷くらいは負わせることが出来るんじゃないかと、そんな風に甘く考えていた自分を今ものすごく呪いたい。
やっぱり、暗黒騎士と対等に戦うのならば、ウンディーネかイフリーティアを呼び出すしかないようである。せめてもの救いは、ここに不死騎士の大群がいなかったことぐらいだろうか。もし不死騎士までいられては、ものすごく厄介だったろう。
(こうなったら、一か八かでやってやろうじゃないの)
リリアはきゅっと両手を握り締めると、フラウを消滅させたばかりのクロエに視線を向けた。
フラウの名残ともいえるダイアモンドダストの煌きが、未だに残留している氷の薔薇の前。そこに佇み、クロエは静かにこちらを眺めていた。
ぞくりと、心臓が飛び跳ねる。ぞわわと駆け抜けた悪寒に、冷や汗すらももうでてはこない。
クロエの顔、それは、殺戮者の表情だったからだ。一切の情け容赦も無い恐ろしい瞳が、残酷に光る。その瞳に映るのは、果たしてリリアとゼルという、殺す対象でしかない獲物だけだろうか。
喋ることすら記憶から消し去られたように黙り込んでいたリリアに、その時横から声がかけられた。
「リリア……こっから逃げろ」
「……え」
「オレが囮になるから、だからその隙に走れ」
ゼルの口からでてきた信じられない言葉に、驚いたリリアは目を丸くした。
――ちょっと待って、そんなの、ダメに決まってる!
衝撃だった、ショックだった。だってそんなの、そんなの。
「いやよ、そんなの嫌。ゼルを置いて逃げるだなんて、私にできるわけないじゃない」
囮作戦。それは、間違いなくゼルの死を意味するのだから。そんなこと、できない。
もしそれでリリアが運良く逃げられたとしても、ゼルを犠牲にしてまで生にしがみつきたいとは絶対に思えない。……だからといって、ここであっさりと殺されるつもりもあるわけなんてないのだが。
「ここにいたらよ、オレ達二人とも殺されるってことぐらい、リリアだって――」
「私たちは勝つの。いくらあの人が魔法が使えて強いからって、剣の腕が凄いからって、きっとどこかに弱点があるはずだと思うの。だからそれを探して、絶対に勝ってみせるわ!」
ゼルの言葉を遮り、リリアは必死に言った。
「――私がウンディーネとイフリーティアを、同時召喚するから」
「んな」
真顔でそう告げると、ゼルの顔色が一気に蒼白なものに変わっていく。それもそうだろう、上級精霊の同時召喚なんて、ほぼ自殺行為に近い。というか、限り無くそれに近い。
いくらリリアが精霊から認められたとはいえ、そんないきなり力があがるわけではないのだ。首飾りという媒体なしに精霊を召喚できたって、聖力が底を付けばなんの意味もない。
まあ、以前よりは聖力も上昇の兆しを見せてきたとは感じるが、長時間に及ぶ上級精霊の同時召喚に今の自分がたえられるかと問われれば、その応えはNO。
おそらく、持って数分が限度だろう。でも、やるしかない。たとえ希は少なくとも、可能性があるかぎり諦めるわけにはいかない。
「だからその隙を見て、ゼルはあの人の弱点を探して。たぶん私は精霊で手一杯だと思うし、守ってもあげられないと思うけれど」
「それしか方法はねーんだな」
「……うん」
こくりと頷き、ゼルは了承してくれた。しかしふと、その顔が不機嫌になる。
「でもよ、ひとつだけ納得いかねーことがあんだ」
と、頭をかきながらつぶやくゼル。
納得いかない、という言葉に“?”という疑問符を浮かべるリリア。ちょこんと斜めに首を傾けて、翡翠のようなグリーンの瞳をぱちくりさせる。
ごほん、と改まったかのような咳払いをひとつして、ゼルは言った。
「守るのは、男のオレの方だぜ」
スカイブルーの真剣な眼差し。真っ直ぐな瞳。心に響く、強くてしっかりとした言葉。
こんなときにあれだけれど、ううん、こんなときだからかもしれないけれど、なんだかゼルがとても頼もしく見えてくる。こんなこと考えてる場合じゃ全然ないけど、今のゼルはちょっとだけかっこいい。そして不覚にも、キュンと胸がときめいてしまった。
「うん。頼りにしてる」
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