第五十七章 月夜のアメジスト,それは殺戮者の輝き
「あんたら、少しは狩られる側の知恵を身に付けた方がいいよ」
シーンとした静寂、張り詰めて緊迫した空気の中、声が響いた。
フンッと鼻で笑い、小馬鹿にしたようににやりと口角を上げたクロエは、巨木の根元にぽっかりとあいた空洞で身を寄せ合うリリアとゼルに視線を落とすと、ひょいっと肩を竦める仕草を見せた。
キリリとして少し猫のような知的なその瞳。どこか猛禽類を連想させる鋭さに、深く透き通った、まるで宝石の原石のような紫水晶がはめ込まれていて。これがまた、闇に溶け込んでいてとても魅力的かつ微かに恐ろしい雰囲気を引き立てているのだ。近づけば、瞬時に殺される――――そんな感覚になってしまう。おまけに背景には三日月。クロエの全身を包んだ漆黒の衣服は、細くも筋肉の引き締まった身体のラインを浮き彫りにしており、月のささやかな光を浴びて鮮明に映っていた。
しばらくの間、ぼーっとその光景に魅入ってしまっていたゼルだったが、ここでハッと意識を取り戻す。不意に、クロエの目尻がクスリと細められたのだ。まるで、捕食者が獲物を完全に見下すような風に、それこそ、笑ってはいるが冷やかで冷酷な視線。
――んだよアイツ!
気に入らない。その様子がゼルにはどうにも納得のいかないものに感じられて、なんだか胸糞悪い気分になるではないか。いっそのこと、いますぐその小癪な顔をおもいっきり殴ってやりたい。
「言わせておきゃあなッ、余計なお世話だっつーの!」
頭にきたゼルはムッとして、つばを吐き飛ばしながらギャーギャーと喚き散らした。
これではまるで、負け犬の遠吠えのようなのだが……。だが、ゼル本人はそんなこと1ミリたりとも気にしていないようである。むしろ、べーっと舌を出してみたり、親指を下に向けて振り下ろしたりと、それはもういろいろと子どもじみた挑発のオンパレード。
すると、うんざりしたのだろうか、うるさいという風に、クロエの静かだがとてつもなく怖い睨みが降ってきた。
思わずうっとなるゼルを他所に、ふーんと品定めするかのように、クロエは依然として余裕を張り付けたような表情で、ゼルの横で涙を拭っているリリアを眺めた。
「なるほどね、報告にあった情報とは少し違うみたいだ。どうやったのかは知らないけど、お嬢ちゃんはちゃんと精霊を呼び出せてるみたいだし」
とかなんとか、独り言をつぶやきながらふっと嘲笑うクロエ。その表情は、冷たくもどこかやさしげな微笑みをするジュリアや、とても可愛らしいリリアの笑い方とはまるで違い、まったく心のない冷たさがあった。
なんだろう。一見してみると、クロエの年の頃はどう見ても十代後半だ。でも、この目の前の暗殺者からは、とても年相応の感じは受けなかった。無情で、凛としていて。さらには、いかにも真面目そうな立ち振る舞いやクロードと一戦交えた時の流れるような剣技、あれはとても我流のものとは思えない。強いて言うならば、基礎となっている剣術の型に彼女独特のスタイルを組み込んだとか、そんな風に見受けられるのだ。
力強く荒いクロードの剣筋とは違い、クロエの剣筋は静かでそれでいて流れるような気品さがあった。あれは、数年そこそこで身に付くものなのだろうか。
「さてと。早速で悪いけど、あんたら死んでもらうから」
そう言うや否や、クロエはスッと音もなく剣を抜き放つ。
くるりと円を描く月を浴びた銀細工の刀身は血に飢え、闇夜に不敵な銀の光が煌めく。
――それは、息も忘れるほどに優雅な剣の舞。
「冗談じゃねーっての! だーれがテメェみてぇな女に負けるかよ。そんな生意気な態度でいるとなあ、後で痛い目みても知らねーぜ!」
ぺっと唾を吐き捨て、ゼルが言った。
「だったら、試してみるか?」
と、腰に手を当てクロエはうっすらと微笑む。サラリと青を数滴溶かし込んだかのような黒髪が揺れ、獲物を狩る獣のように、紫水晶の瞳がギラつく。
その視線に、恐怖に、ゾクリとゼルの背筋に寒気がほとばしった。
「そうね。でも、惨めな思いをするのはあなたの方なんだから」
リリアは空洞から外へでると、挑戦的な眼差しで、木の上に佇むクロエを睨む。
「そーだそーだ、もっと言ってやれぇリリア!」
「あっそ。だけど、それはあんたが上手く精霊を扱えたときの話だろ。言っておくけど、上級精霊一体ごときじゃあたしは倒せないよ」
「――ッ。何よ、私だってやれるんだから。みくびらないでよね!」
「へー、そう」
どこまでも、自分達を見下しているとしか思えないクロエの態度。とても、腹が立つ。
――ちっくしょう、言わせておけばこんの女!
ゼルはぐっと拳を握りしめ、歯軋りをした。
女は殴らない主義なんだ、とかそんなプライドは残念ながら一欠けらも持ち合わせてはいない。とりあえず、目の前のムカつく相手をぶっ倒す。これ、ゼルのモットー。
「もうすぐ夜が明けるよ。残念ながら、あたしには無駄話なんてしてる時間は無いんだ。だから、さっさと死にな」
その瞬間――――クロエの瞳に、殺戮者の冷徹さが宿った。それはまさしく、絶対零度のような輝き。ひとたびその瞳に射抜かれれば最後、心臓の芯まで凍てつく氷で覆われそうだった。
月を背景にして闇夜に浮かび上がる紫水晶の輝きは、残酷な色。鋭く美しくもどこか綺麗で、だがとても末恐ろしく感じられて。
ゼルはクロエと視線が合い、ぞくりと全身が凍りついた。一直線に、触れれば即死の猛毒矢に射抜かれたかのような衝動に駆られ、一瞬体の自由を奪われたみたいに……そう、まるで蛇に睨まれた蛙状態で固まってしまったのだ。
――やべぇ……この女、やべぇ――
だらりと、冷たく嫌な感じの汗が額を流れる。心臓の動悸がありえないくらいに早くなり、もう鷲掴みにされているんじゃないかと錯覚するほどにキリキリ痛んでいる。このまま塩でもかけてしまえば、ナメクジみたいに縮んでいってしまいそうだ。
頭じゃ、理解しているのだ。ちゃんと、分かってる。――“逃げなければ殺されてしまう”――これは、予感でも予測でもなく、人間が生まれ持った直感だ。
その身に危険が差し迫った時にビリビリと感じる、それだ。でも、体が、臆病者の足がいうことを聞いてくれない。
(――やべぇやべぇやべぇ)
最初から冷静に考えてみれば、クロード相手に息を切らすことなく鮮やかなる剣技を見せつけていたこんな女相手に、所詮素手攻撃、それも“殺し”ではなく“喧嘩”の領域にある自分の戦力では、勝ち目なんてあるはずもないのだ。
こうなったら、どうにかして逃げるしかないのか。いや、もうそれは無謀だろう。なんせ、相手はプロの暗殺者。見つかってしまった時点で、もうその手は通用しない。
そうこうしているうちに、リリアが氷の精霊フラウを召喚した。 |