第四章 黒馬の嘶き、告げる死闘の合図
港街テルマを発ったクロード達は、もうかれこれ半日間森の中をさ迷っていた。
「だーっちくしょ! 何なんだよこの森は!」
突然、ゼルはもがくようにそう叫んで乱雑に頭をかいた。
「うるさいぞゼル。少し黙ったらどうだ。お前はもう少しまともに森も歩けないのか?」
ワーワーと煩いゼルに、クロードは心底呆れ気味にため息と皮肉を吐いた。
どこを見渡しても森・森・森。正直、自分だって疲れていないと言ったら嘘になる。深緑といえば心安らかな癒しの色だが、この変わりばえのない景色にもそろそろ飽きてきた。だが、なにぶん短気なゼルに至っては、もう既に疲れたを通り越して苛立ちの方が強くなっているようだ。どうもさっきから丁度いい感じの樹木を見つけては、適当に八つ当たりをかましている。懸命に生えている樹木からすれば、迷惑極まりないに違いない。
と、まあ。先程からこんな調子のゼルだが、森に入った当初は上機嫌に鼻歌なんか歌っていたものだ。
話は昼にさかのぼる。
「え! この子も一緒に?! まじかよ、うっしゃー!」
昼下がりの青空に、ゼルの大きな歓声があがった。クロードからリリアが仲間に加わったことを聞かされるなり、ゼルは豪快にガッツポーズを突き出しては、それはそれは嬉しそうにはしゃぎたてた。
そんなゼルとは対照的に、荒い息を繰り返すクロード。そしてリリア。
「お前、この状況で、よく、はしゃげる、もんだな」
生き絶え絶えに、クロードがそう声を吐きだした。にわかに、いや、これでもかというぐらいにもの凄く眉間にしわを寄せ、クロードはゼルをギロリと睨んだ。
それもそのはず。なぜなら酒場から金品をひったくって飛びだして来たゼルのおかげで、クロードもリリアもとんだ追走劇に巻き込まれてしまったのだから。
やけにしつこい連中を振り切る間中、彼らは街中を走り回るはめとなった。
「アレ、そうか? オレってばぜんぜん元気だけど。なんだよクロード〜、意外と体力ねーんだな」
もちまえの明るさと無神経で、ゼルは面白そうにゲラゲラ笑う。
「……お前のせーだっての」
クロードは口角を引きつらせ、ピクッと機嫌悪そうに眉を動かした。
そう。なにもクロードに体力が無いわけではない。むしろ、クロードには成人男性の平均体力とは比べ物にならないほどの体力がある。体力・剣術・ルックス、このどれをとっても、クロードは一般の男よりも秀でているのだ。
それならば何故こうなったのかというと……。全ての原因はゼルにあった。
「お前が勝手に消えたりするせいで、俺がリリアを背負って逃げ回るはめになったんだからな」
そうである。いつの間にか、クロードと一緒に逃げていたはずのゼルは途中でいなくなり、追って来ていた者達の怒りの矛先が、クロードとリリアにまんまと向かったのである。不運にも、逃げる途中でリリアがレンガの石畳で足首を挫いてしまったために、クロードはリリアを背負って逃げ回るはめとなってしまった。
「ごめんね。私、おもかった……よね?」
「あ、いや。別にそれほどじゃ――」
「ちょちょちょ、待て待てストーップ! 今なんて?」
クロードに対して迷惑をかけたとしょんぼり謝るリリア。そんなリリアをなだめるクロード。この二人の間に、突然ゼルのこれまた逞しい腕が割って入った。
「なんなんだ一体」
クロードのため息がもれる。
「だ・か・ら! 今、なんて言った?」
ゼルはズイッとクロードに顔を近づけて凄ませ、大袈裟にジェスチャーを混じえて再びそう言った。
「……。別にそれほどじゃ」
「だー、違う違う。もっと前だって」
「……。お前のせいだ」
「うがー、前過ぎ! じゃなくって、もうちょい後」
「リリアを背負って逃げるはめに――」
「それだ、そ・れ!」
今度はゼルが盛大にため息を吐く番だった。
ゼルはクロードに詰め寄ったまま、きょとんとするリリアにチラリと視線を流した。そう。特に、あふれんばかりの豊満な胸に。ゼルによる推測……Eカップ。リリアは俗にいう巨乳なのだ。
ゆるやかな曲線を描くような美しいグリーンの髪、同系色のつぶらな瞳。乳白色の肌に、薄ピンクのふっくらとした唇はまるで桃のよう。すべてがまだあどけない幼さがのこるなんとも可愛らしい顔つき。そしてなによりもそのとても柔らかそうな巨乳。ゼルを魅了するだけの要素を、リリアはこれでもかといわんばかりに全てにおいてかね揃えていた。
「あの豊満な胸が……背中に……こう、むにゅっと」
ゼルはだらしなく鼻の下を伸ばしながら、なにを想像したのやら幸せそうにニヤニヤと顔を緩めた。
「ちっくしょう! うらやましいぜ」
すごく悔しがるゼルを見ながら、クロードは今日一番のため息を吐くのであった。
話を戻して、時は既に夕刻を過ぎていた。
すると間もなく時と共に森の情景は変化をみせはじめた。森は昼間の緑あふれる癒しの姿から、やがて夜の静寂しきった薄気味悪い姿へと変貌するのだ。
つい先程までしきりに聞こえていた小鳥のさえずりはいつの間にか止み、代わりにホー…ホー…というなんとも低いフクロウの声だけが辺りに浸透している。
さらに、クロードはなんだか何かに見られているかのような感覚におちいり、少しの物音にも敏感になってきた。それでも、仲間がいるということはどうにも心強い。気持ちの面でも多少楽になった気がする。
「どうする? 今日はこのへんで野営にするか」
クロードは丁度いい空き地を見つけると言った。
「……野営」
クロードの意見に、少しばかり顔をしかめるのはリリア。確かに、女のりリアにとっては野営はあまり気乗りしないのだろう。
「このまま進むにしろもう暗い。それに夜の森はあまり動かない方がいいだろう。大丈夫、火を熾せば野獣も寄りつかないさ」
「クロードがそう言うなら……わかったわ」
リリアもどうやらこれ以上森を歩くのは危険と判断したらしく、素直に頷いた。
それにしても……。と、クロードはしきりに注意深く辺りの木々の隙間の暗闇を見据えた。
(なにか異様な気配を感じるのは俺だけか……?)
「ん? どーしたんだクロード」
ゼルもリリアもこの気配に気が付く様子はない。この底から静かに震えるような恐ろしさを感じる気配に。
「いや……、なんでもない」
「そうか? ふーん」
クロードは、辺りの暗がりに意識を集中させたまま、ゼルが火打石で焚き火を熾す様子を眺めていた。
カチッ…カチッ……
バチッと火が熾きた瞬間――――
黒馬の嘶きと共に、暗がりの茂みの中から、稲妻の如く突如として異形の黒い騎士の軍勢が現れた。
|