第四十九章 向けられる剣先
「あたしに、そんな斬撃が効果を発揮するとでも思ったか」
今、目の前には、信じがたい事実が存在していた――……
互いに名乗り合い、剣と剣が鈍く火花を散らせて衝突し、クロードは足払いをかけてクロエの体が崩れた瞬間を狙った。それは動きを封じるための生温い一刺しなどではなく、本気で相手の命を奪う為の容赦ない残酷な一撃だったはずだ。
しかし――――
「お前……何者なんだ」
心臓を狙って、それこそ一ミリの狂いもなく突き刺した剣先は、クロエの左胸を貫くことなくすり抜けたではないか。というか、まるで霧みたくそこだけが霞んでいるのだ。
これは、一体どういうことなんだ。人間の身体が闇の霧に変わってしまうなど、そんなばかな。
「驚いたか?」
驚きを隠せないクロードに対して、面白そうにクロエは口角をあげる。
「暗黒剣、どうやら見るのは初めてみたいだね」
「……暗黒、剣?」
「そうさ。ま、闇魔法を剣術に応用した、ただそれだけなんだけどね」
とかなんとかクロエはサラリと言うが、魔法剣自体扱いが難しいと聞く。魔力の微妙な調節や剣にそれを流し込むタイミングが、すごく難しいのだそうだ。それに、魔力の消費が半端でないとか。
光族のクロードには魔力がないから実際のことはわからないが、そもそも光魔族の人間で、魔法に剣を組み合わせて戦う者というのが極めて稀なのである。
――剣による斬撃は無意味。
もしかして、物理攻撃は効かないのだろうか。――いや待て。さっきゼルが蹴りの打撃を与えようとしていた時には、クロエはそれを剣を盾にして防いでいた。ということは、武器での斬撃が効かないのか――?
というクロードの思考はよく表情に表れていたらしく、クロエがさらに笑う。
「さすがに、あたしも戦闘中ずっとは暗黒剣なんて使わないさ。なにせ、これは魔力の消費が他属性の比じゃないからね。一歩間違えれば自滅もいいとこだ」
と、ご丁寧に説明までしてくれる。
暗黒剣とは、闇魔法をクロエ独自に応用したスタイルらしい。魔力の消費はかなり激しいが、闇魔法の発動中はいくら物理攻撃を与えられても、たちまちのうちに肉体が闇の霧と化してしまうのである。
使い勝手はいいが、少々扱いにくい。クロエはそう言った。
そんなほぼ無敵に近い相手にどうすればいい。リリアの精霊でどうにか対処するかとも考えたが、この女が詠唱の暇なんかお人好しにも与えてくれるようには見えない。おそらく、リリアが詠唱を始めた途端に全力で潰しにかかるに違いない。だったら、長期戦に持ち込んで、魔力が底をつくのを待つか。
だが、このクロードの思惑はあっさりと覆される事となった。
「言っておくが、あたしはジュリアみたいに甘くないよ」
言うや否や、クロエは流れるような動作でクロードを追い詰めると、目にも止まらぬスピードでクロードの剣を跳ね飛ばしたのである。
カキィィンという音が、虚しく空に響く。
クロードの手から放れた剣は、クルクル回転しながら地面へと突き刺さった。直後、鋭く不敵に光る剣先が、クロードの喉元に突きつけられる。
「くそ……ッ」――――女に負けるとは、なんとも屈辱的。
こめかみを、冷たく嫌な汗が流れるのが分かった。自分は今、このクロエとかいう女の手の中にいるのだ。生かすも殺すも、クロエ次第。
でも、このまま黙ってやられるだなんて――――
(――ふざけるな!)
クロードは意識を高め、光を求めた。
(――力を、光の力を今一度俺に貸し与えてくれ……レノーシェス!)
その時、一瞬の隙をついたゼルが、地面に突き刺さっていた剣を引き抜き、クロード目掛けて投げた。
宙を裂き、夜空に曲線を描いて己の下へと舞い戻ってきた剣を取るクロード。月光を受けて妖艶な銀に煌めく己の剣を地面に突き立て、そして、天に向かって高らかに叫んだ。
「――ルネッサンス」
その名を呼んだ瞬間、剣の刺さった地面を中心に大地が淡く輝きのオーラを放ちだし、クロエの足元には光の魔法陣が出現した。
ゆらゆらと、まばゆい光の束が、クロエを波のようにゆらめきながら取り囲む。
「んな……」
直感で危険だと判断したのだろう。クロエは躊躇なくその魔法陣から抜け出そうと飛躍した。――が、光の束は飛び退くクロエを的確に捉えると、全身を、まるで縄で拘束するかのように締めあげた。
「――ぅぐ!」
呻きを漏らすクロエ。そのまま地上に叩き落され、かはっと咽た。
「……よし、これでもうお前の自由は封じたぞ。いいか、死にたくなけりゃ大人しくしていろ」
ようやくちょこまかと身軽なクロエを拘束できたのだ、このチャンスを逃す手はない。こうなったら、洗いざらい吐いてもらおうではないか。
クロードは、後ろ手に光の束に縛られて地面に転がるクロエに歩み寄ると、傍らに放置されるかのように投げ出されていた剣を蹴った。
――キィィン。と金属特有のよく響く音をたてながら、剣は樹木の根本に当たって地べたに虚しく落ちる。
これで、もし万が一にクロエが拘束から抜けだしたとしても、そう簡単に剣で反撃をする事はできないだろう。
まあ、闇の魔法を使っているし、おそらくクロエは光魔族だ。だとしたら、魔法という強大な戦法もあるといえばある……のだが。
憎らしげな色を滲ませ、悔しそうに下唇を噛み締めながら、クロエは唸っている。しかし、いくら足掻こうがもがこうが、光の神レノーシェスの加護を受けたクロードの光の力――――ルネッサンスの拘束は弛むことなく、ただ神々しい光を放つだけであった。
「さて、後は……」
どうやらクロエは逃れられそうにないので、ここはいったん放置。それよりも、今は……
クロードはこちらに攻撃をするでもなく逃げるでもなく、ただ呆然と立ち尽くしていたジュリアに向き直った。
目と目があった瞬間、彼女のその愛しい瞳を見つめた瞬間、クロードの中に今までため込んできた想いが、張り裂けそうなほどに悲鳴をあげながら膨れあがった。
光を映した漆黒の瞳と、闇を映した茶色の瞳が、互いに惹かれ合うかのようにしばらく見つめ合う。
それはたったの数秒間だったかもしれない。だけど、クロードにはこの数秒間がとても長く、そしてとても穏やかに感じられた。
だが現実はそんなに甘くない。そう、甘くないのだ。
先に言葉を紡いだのは、ジュリアだった。
「私は……暗黒騎士よ。……魔王様の為に、この命も、この心もあるの。魔王様の望みは全て私の望み……だから」
――貴方を殺す。
その言葉はクロードにとって、酒よりも毒性を持ち、薔薇の棘よりも胸を痛めつけ、そして海の底よりも深い深い悲しみへとクロードを誘う呪の言葉としてはもう十分すぎるくらいだった。
――お前は、俺よりも魔王を選ぶというのか……?お前と俺は、分かり合えない運命、なのか……?
果たして、心を通い合わせることもなく、互いの命を、削り奪い合うだけなのか――――……?
「――貴方を殺す」
自分の唇から冷たい響きと共に発せられたのは、あまりにも残酷な言葉だった。――クロードにとっても、そして自分自身にとっても。
――やめて。見ないで。そんな真っ直ぐな瞳で、私を見ないで。悲しそうな顔なんて……しないで。
敵だから、魔王の邪魔をする忌々しき光の存在だから、暗黒騎士として、自分はこの邪魔者を始末しなければならないのに。
――なのに躊躇った。
本当はさっき、クロードの懐に入り込んだ時、致命傷を与えようと思えばそれは簡単にできたのだ。けれど、そうしなかった。いや、できなかった。
クロードなら、自分の攻撃なんて軽く受け流すことができると、どこかでそう考えていたから。でも彼は避けなかった。それどころか、反撃をすることも、敵意を込めた視線で自分を射抜くこともなかった。
ただ、悲しみの表情で、自分を見つめるだけだった……
怖かった。ものすごく、怖かった。無防備なクロードを目の前にして、自分の次の一撃で全てが終わる、クロードの命を奪うのだということを思った瞬間、なぜか、耐えられないほど恐ろしくなった。
その時クロードから手首を掴まれて、真っ直ぐな漆黒に見つめられて、どれだけこの心が揺らいだことか。
でも、――私は暗黒騎士。魔王様の忠実なる僕。
そして、クロード・レインは光の勇者。魔王が憎むべき相手。自分が、消すべき存在。
クロエが身動きを封じられた今、自分がこの男をやらなければ。きっと、この胸の痛みも迷いも全て、脆い意志が創りだす幻影だ。
――こんなに苦しむくらいなら、もういっそ楽になりたい。
心に巣食う不安の芽を摘み取って、記憶の中から消し去ろう。
「覚悟して」
ジュリアは右腕をクロードに向けて伸ばした。天高く突き上げられた剣が、バチッと火花を散らせた。――炎の魔法剣だ。
意識を高めて、魔力を増幅させる。灼熱の紅蓮を思い描き、地獄のを業火をその剣に刻み付ける。
すると、一瞬のうちにして、ジュリアの剣が凄まじい炎に包み込まれるかのようにして燃え盛った。
驚いたようにこちらを見る、大切だった幼馴染。
でも、時は二人を変えてしまったのだ。敵という、最悪の形へと――――…… |