第四十六章 パラミシアナ峡谷の洞窟
「うが〜! 出口は……出口はどこなんだー!」
幾重にも響く声。真っ暗闇の視界。肌寒い体感温度。
どこまでも奥深い洞窟の中で、さびしくゼルの疲れ果てた嘆きだけが反響していく。
木の枝を折って火を灯しただけの松明を握っているクロードは、心底呆れたように、そしてもう嫌だという感じに大きなため息を吐いた。というのも、ふてくされるゼルのうるさい独り言を、もう先程から耳ダコができるんじゃないかと思うほど聴いていたからである。
――ここは名も無き洞窟。というか、地図にも載ってないのだから名称があったとしても分かるわけがない。
そもそも、どうしてこんな真っ暗で視界もままならない足場最悪な洞窟を歩いているかというと。
実はリリアの召喚したシルフィーによりゼルの傷は完治しており、これ以上ミュンヘンに長居することもないということで、数日前クロード達は世話になったテリーとアルバロに別れを告げて、そして今に至るというわけだ。
だけどこんな洞窟など通る予定は無かったのに……と、クロードは悩ましげに頭を抱えた。まあ、今更後悔などしてもすでに後の祭りなのだから仕方ないのだが。
とにかく、だ。全ての元凶はこの馬鹿にうるさい元気ハツラツ青年にあった。
クロードは出発前に、これから先の旅のルートは難所のパラミシアナ峡谷を避け、少し遠回りではあるがいくつかの町を経由してシトラウス平原を超えようと提案していた。これがおそらく、安全かつ速やかに王都までいける進路なのだ。もちろんリリアはこの意見に賛成してくれた。
旅人泣かせとして名高いパラミシアナ峡谷。わざわざそんな面倒な場所を好きこのんで通りたくなどない、というのが正常な考えだろう。実際、自信のある腕自慢やなんにも知らない旅人が、そのあまりの険しさと手強い魔物の餌食となって毎年毎年行方不明になっている危険な場所だと聞いたこともある。魔物ハンターであるステラとアーヴィンの二人ならば、手強い魔物と聞いて瞳を輝かせるのだろうが、クロードにとってはそんなもの興味ない。
しかし、ここは無駄に好奇心旺盛なトラブルメーカーゼル。どうしても峡谷を見てみたい、近道のほうが絶対にいいじゃん、などと勝手に興奮して騒ぎだし、結局クロードの提案はザックリと蹴散らかされたのである。
「ったくよ、誰だよこんな意味不明な洞窟なんか抜けようとか言った馬鹿タレは! あーッこんちくしょう!」
のわりにはこんなことをぼやいている始末。ゼルがぶんぶんと腕を振り回しながら叫ぶが、――馬鹿タレはお前だろうが!と言ってやりたいところを、クロードはもう口を開いて喋ることすらも煩わしいので無視して黙々と歩くことにした。何にせよ、歩いて進まなければ何も始まらない。
…………それにしても。洞窟に迷い込んでからもうだいぶ時間が経っているのだが、あるのはゴツゴツの岩壁や高い天井から氷柱のようにぶら下がっている鍾乳石ばかりだ。さすがに飽きてきたし疲れてきた。
こうして、視界の悪い洞窟を松明の灯火と感覚だけを頼りに、さきほどからいくつもの分かれ道を選んでは進み、選んでは進みと、地味に奥へと歩いているそんな時だった。クロードの腕に、ふと何か温かで柔らかな感触が絡まってきたのである。
「…………?」
「……怖い」
とポツリとつぶやき、ちょっとばかり躊躇いがちに体を寄せてくるこの正体は、なんと、というかやっぱりというかリリアだった。
いきなり密着したということよりも、実は意外と恐がりやなリリアがよくここまで一人で歩けたなと、クロードは内心感心していた。いつもならばこの暗い洞窟に入ってすぐあたりでこうしてきそうなリリアだったが、たぶん数日前のハプニングからか、お互い恥ずかしさやら何やらで少しぎくしゃくしていたせいもあり、今の今までくっつきにくかったのだろう。
「ね、ちょっとだけこうしてていい?」
なんて、小さな声で懇願してくるリリアは本当に可愛いと思う。洞窟内が暗くて表情まではよく見えないのだけれど、少し上目に自分を見上げてくるようなそんな仕草が頭に浮かんできて、自然と頬が綻んだ。
「しょうがないな、離れて迷子になるんじゃないぞ」
「うん。離れない」
声のトーンが少しあがったので、リリアは今嬉しそうに微笑んだのだろうか。
リリアの体温を腕に感じつつ、そして何イチャこいてんだよと膨れるゼルを軽くあしらいながら、クロードは黙々と歩き続けた。
こうしてどれくらい洞窟内をさ迷っていただろうか。やがて、一筋の光が前方から微かに差し込むのが見えたではないか。
――ようやく出口か!
クロードはわっと嬉しさに胸を踊らせた。
キラリとまるで天から舞い降りた宝石のように、今まで洞窟という暗闇の世界をあてもなく放浪していたクロードにとって、その出口の光がとても神々しく感じられたのだ。いてもたってもいられない、今すぐ外に飛び出したいという気持ちが徐々に高まってくる。
「やっほーい、一番乗りは俺様がいただき!」
まるではしゃぐ子どものような台詞を残し、サッサと出口に向かって駆けだしたゼル。
リリアもクロードの腕からするりと手を放すと、「あ、ズルーい! ちょっと待ってよー」と小走りにゼルを追いかけていった。
――別に、出口は逃げていくわけじゃないんだから。
そんな考えだったから、いけなかったのか。それとも、早まった二人がいけなかったのか。
「「うぎゃあああああぁぁぁぁ……」」
突然、先に外へと飛び出したはずの二人の悲鳴が響いたかと思えば、その声はまるで谷底にでも降下していくように小さく小さく消えていってしまったではないか。
何事だと慌てて出口の光目掛けて走ってきたクロードの視界にまず初めに飛び込んできたものは、満天の星空――夜だ。
いつのまにと思いつつ、一歩踏みだした瞬間――――
スカッ。
そんな表現が似合うように、踏みしめる大地を失った足が宙で空回った。
「――――!?」
ドキリと心臓が跳ねる。ざわりと鳥肌が立つ。身の毛もよだつとは、このことだ。
心臓の嫌な鼓動が、ドクドクと今にも爆発しそうに早鐘を鳴らしている。それは、リリアに覆いかぶさった時みたいなあの類の高鳴りではない。まるでいきなり驚かされた時のように冷や汗が背筋を流れて、それこそ寿命が半分くらい縮んでしまったんじゃないかと思うくらいに、心臓を突き刺された感が気持ちが悪い。
…………もの凄く、嫌な予感が頭をよぎった。
奇跡的にも片足だけを踏みだした状態だったこともあり、なんとか寸前で止まったクロードは恐る恐る下を覗いてみた。すると、やはりというべきか。そこにあったのは――――目も眩むほどの断崖絶壁。
クロードが出た場所からは少し前までつり橋が架かっていたらしく、その証拠に反対側の洞窟への入り口には、ちょうど中央付近から焦げて焼け切れた橋がぶら下がっている。おそらく落雷で壊れたのだろうと推測。
下には谷川が流れているらしく、とても流れの激しそうな轟音が聞こえてくる。……川のせせらぎなんてもんじゃない。そんな生温くてやさしい表現じゃなくて、あえて言うならば滝壺の荒々しい激しさのような感じ。
まいった、どうする。こんな場所から落ちて二人が無事である保証なんてどこにもありやしない。むしろ確率的には命があるほうが奇跡といえよう。
ゼルがリリアと一緒に落ちてくれたというのが、せめてもの希望の光だった。
リリアならば水の精霊ウンディーネを召喚できるから、最悪でも死ぬことはないと思いたい。
「ったく後先考えずに突っ走るからこうなるんだ!」
時は逆ましには戻らない。こうなったら、どうにか下流に向かってそこに二人がいることを願おう。
そう考えてクロードは元来た道を振り返った。が――――
なんたる不運。脆くなっていた足元は躊躇いもなしに崩れていき…………クロードは暗い谷底へと真っさかさまに落ちていった。
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