第三十章 光の神レノーシェス
(ちくしょ……やばい)
――このままじゃみんな死んじまう。
イリスの合図を受け、すでに闇の精霊ケノンは攻撃態勢に入っていた。
不自然に裂けた空に浮かぶこの怪物は、圧倒的な存在感を放っている。イリスの合図を読み取ったのだろうか、ケノンは地獄の底から震え上がるかのような奇怪な鳴き声をあげ、そして鋸みたく鋭い歯が不規則に列んだ口を大きくひらいた。何か、まるで大気中のエネルギー源をかき集め、それら全てを吸収しているかのように。やがてケノンの口内には紫色の光が煌めきだし、それは小さな球体となって凝縮されていった。かなりのエネルギーを収縮されているであろうその球体は、表面に黒い雷を迸らせながら、いよいよ完成体へなっていく。
本能が、ここは危険だとわめいている。真っ赤な警戒ランプをうるさく鳴らしながら、早く逃げろと叫んでいる。
ゼルはこれでもかというくらいに歯を食いしばり、どうにか足を動かそうとした。いつの間にか、強く、それも爪が手のひらに食い込むほどに握りしめた拳からは赤い液体が流れ落ちていた。
「る……かよ……っ」
必死に恐怖という金縛りから解放されようと、ゼルは死に物狂いで叫んだ。
「――死んでたまるかよ、死んでたまるかぁぁあああ!」
死にたくない。こんな所で、こんな情けない死に様だけは嫌だ。
惚れた女も満足に守れずに、気持ちまで伝えきれずに死んでしまうなんて、何が男だ。
イリスに首を掴まれて苦しみもがくリリアの姿が、そして今はあきらめたかのようにして動かなくなったリリアの弱々しいその姿が、ゼルの眼球に焼き付いて離れない。
(俺に……もっと力があれば!)
悔しい、悔しい悔しい。こんな時まで自分は、足手まといの役立たずでしかないのだろうか。たとえそうであったとしても、このまま役立たずで終わりたくなどない。
と、その時。たった一瞬、とても短い瞬間ではあったが、ゼルの脳裏に懐かしい誰かさんの声が聞こえた。
――『ったく。てめぇはホント……どうしようもねぇ野郎だな』――
別れ際にそう言って、やさしげに微笑んでくれた顔が、まだそんなに古くはない記憶の破片が、フラッシュバックとして頭の中に一瞬だけよみがえった気がした。
「そうだ。こんなとこで死んだりしたら……お頭にどやされちまう」
きっとあのお頭のことだ。ここで自分が死んであの世に行ったとしても、おっかない形相で睨みながら、帰れと言って蹴り返されるに違いない。それは勘弁。
――サンキュ、お頭。
おかげで、今まで頑丈に絡みついていた金縛りが嘘のように解けた。それまで感じていた恐怖心が消え去り、動かなかった体がすうっと軽くなった。
――今ならいける。オレが助けてやるからなリリア!
「うぉりゃああああああ」
ゼルは気合いの雄叫びをあげながら、その場からサッと跳躍した。地面を蹴り、石段を駆け下り、目指す先はイリスに首を掴まれ持ち上げられたリリア。
黒々とした暗雲渦巻く空模様はなんとも不吉で、不気味な稲光さえもが空を駆け巡りだした。
太陽はすでにその姿を覆い隠され、裂けた空間からぬっと上半身を引きずりだしたケノンの攻撃が、いよいよ撃たれるその時をむかえた。
「――リリア!」
ゼルは、リリアを奪い返そうと精一杯腕を伸ばした。あと少し――あとほんの僅かで届く距離だったから。
「終わりだ」
途端にイリスの口端が残虐非道につり上がり、その腕からリリアが投げ出された。ゼルが奪い取ったのではない、イリスがリリアの体を宙へと放り投げたのだ。まるで、物を投げるかのように乱暴に。
そして、この場所からイリスが時空移動みたく消えた瞬間――――ケノンの口から紫色の光線が放たれた。
(……っく)
もの凄い速さでこちらへ迫り来る光線を視界に入れながら、ゼルは前のめりにジャンプして宙に放りだされたリリアの体を抱きとめた。そして弱々しく息をするリリアを、攻撃から守るように、庇うようにしてしっかりと抱きくるむ。
――ああ……やっぱオレ達死んじまうのか
目の前一面が、紫色に染まる。破壊の光線が、ついにこの身に降り注いできたのだろう。
――……悪ぃ、お頭……オレもすぐ“あの世”いくわ
腕の中にリリアを抱えそのまま、地べたに背中から叩きつけられたゼル。その衝撃にうっと呻いた後、うずくまって、リリアを抱く腕にきゅっと力を込める。
その刹那、遺跡をケノンの凄まじい攻撃が包み込んだ。
クロードはただ一人、ぽつんと遺跡の祭壇の前に佇んでいた。
――これは、どういうことだろうか。
驚きのあまり、たった一言の言葉も出ない。
いつの間にか、金縛り状態だった体は自由になっている。それに――――……
それまですぐ間近まで接近してきていたケノンの光線が、なぜか止まっているのである。
いや、それだけではない。ゼルもリリアも、そして風や空や何もかにもが、ぴたりと微動だにせずに止まっている。風に巻き上げられた小さな瓦礫も、空に走る稲妻も、ぽかんとそのままの状態で宙に浮いているのである。
今この場を一言で表すならば。静寂、そんな言葉がふさわしいかもしれない。
とにかく、クロード以外の全てのものが、まるで時を止めたかのように静止しているのだ。
クロードは周囲に警戒しながら、ゆっくりと祭壇の前に続く階段をくだっていった。一歩一歩を踏みしめる度に、カツンカツンと小さな靴音が静寂の中に妙に良く響く。
横なぎに倒れた石柱を跨いで超え、光線の衝撃波で波うったまま静止した水たまりの横を素通りする。
「……おい、ゼル」
そして、地べたに倒れたまま動かない仲間に声をかけてみる。だがしかし、リリアをその腕の中に守るように包むゼルはおろかリリアさえも、恐れに歪んだ表情のまま、人形のように静かだった。
やはり、自分以外全てのものの時は完全に停止しているらしい。ならば、と、彼らの体を支えて起こしてみようと試みたクロード。
「……?」
しかし、いくら彼らの体を起こそうとしても、揺すろうとしても、その場に貼り付いたかのようにカチコチになっていて動かない。
顔を上げれば、目前まで迫ったケノンの光線。
いつまた時の流れが戻るか予測出来ない以上、この時瞬間を利用し、どうにか仲間と共に安全な場所まで逃げたいのだが……
「無理……か」
どうやらそれはできないらしい。すると、この状況をどうするかだ。そもそも、この不思議な現象は一体何なのであろうか。
まさか、自分一人を逃がすために神様が与えてくれたチャンスなのか。
――だったら余計なお世話だ。
性格上あまり他人と関わり合うのは好きじゃないが、共に旅してきた仲間を見捨てて逃げるなんてそんな卑怯な心は持ち合わせていない。だからって、死ぬつもりもないが。
時が止まるというこの不思議な体験に、クロードは腕組みをして、うーんと唸ってみた。
その時。
『――お前は選ばれし光の勇者だ』
どこからともなく、そんな声が響いてきた。
「誰だ!?」
クロードは慌てて周囲を見渡すが、その声の持ち主の姿はない。
しかし、声は再びクロードへと降りかかってきた。
『お前は、光を望むか――?』
まるで、美しい音色を奏でるオカリナのように、この心の中に清らかに響いてくる声。
「光を……望む?」
クロードは小さく繰り返し、眉間にしわを寄せた。この声の持ち主は、一体何を言っているのだ。
時間を止めたのも、もしやこの声の持ち主だろうか。――ならば俺に、なにをさせたい?
『答えよ』
「あんた何者だ? どこにいる。質問に答える前に、俺の前に姿をあらわしてもらおうか」
すると、突然温かい何かを階段の上にある祭壇から感じた。
まるで、そこにある何かに引き寄せられるかのように、ゆっくりと、クロードは祭壇へと歩んでいく。
階段を一歩一歩踏みあがり、やがて祭壇を確認したクロードは、その目に映しだされた光景に、一瞬息をするのも忘れてしまったみたいに呆然となってしまった。
なんと、そこに存在していた温かい正体は、浮遊しながら、とても神々しい黄金を放っている実体のない光だったのだ。まさに、神秘の賜物というべきか。
黄金色に輝く光は、ふわふわと宙に浮遊したまま、クロードの心そのものに語りかけてきた。
『我が名は“レノーシェス”――光の神である』
――レノーシェスだと!? そんな、まさか……
クロードは突如告げられた真実に驚愕したが、この光の神と名乗る浮遊物からは、確かにひしひしと力を感じていた。
“光の神レノーシェス”。それはクロードが良く知る名前だ。今は壊滅した村の跡しか残されていないが、クロードの生まれ育った故郷ミラノーヴァでは、どこの家庭もこの神の崇拝を行っていた。いや、ミラノーヴァだけではない。今は数少なき光族や光魔族の末裔、各地に散った彼らの小さな集落でも、きっと光の神は崇められているはずだ。
だからクロードも、レノーシェスは絶対神、小さい頃は毎日のようにそう教えられた。
しかし、その神がなぜ自分の元へとやって来たのだろうか。
――そう。ただの、光族の末裔であるいち若者でしかない自分の元へ。
「あの……」
神相手になんて問い掛けたらいいのか、迷って口ごもったクロードに、レノーシェスは優しげにしかし威厳ある声で言った。
『光を望むならば、我の加護を、お前に授けよう』
その瞬間、ふわりとクロードの視界をレノーシェスの放つ黄金の光が包み込んだ。まばゆいその光に思わず目をつむったクロードが、次に視界を確認した場所は、今までいた崩れた遺跡ではなかった。
不思議なことに、目の前に広がる光景は、とても美しい神殿の姿だった。 |