第一章 クロード・レイン
「おーい……どこにいるんだよージュリアぁ……」
殺伐とした風景の薄暗い森の中を歩いていた。
不気味な木々のざわめき、時折感じる低い野獣のうめき声、ひんやりとした霧の空気。
「……こわいよぉ……」
黒髪の少年は、あまりの恐怖心に身体を縮めて身震いをした。
……――バサッ――……
「ひぃッ」
少年は小さく肩をビクつかせた。ほんの小さな音、フクロウの羽ばたきにさえ、身体中の神経が敏感になっているようだ。
「おーい……ジュ」
先程から繰り返し呼ぶ名前を言いかけて、少年は黙り込んだ。
霧が濃くなってきた気がする……。それも、今にもどこか異次元へひきずり込まれてしまいそうなまでに黒い霧が、どこからともなく辺りを包み込みだした。
そして、気が付くと少年は真っ黒な空間に立っていた。
今まで確かに存在していた森は、跡形もなく消失しており、唯一この空間に存在しているのは少年ただ一人。
「クロード」
突然光が差し込み、声が降りかかった。幼女独特の可愛らしい声だ。この声の持ち主にハッとし、少年はあわてて声のした方へ振り向いた。
「ジュリア! よかった、どこにいったのか心配してたんだ」
さあ、一緒に帰ろう! とクロードはジュリアの手首を掴むが、ジュリアは無表情のままで、ただクロードの瞳を食入るように見つめていた。
「どうしたんだよ、早く帰ろう……ジュリア?」
おかしなジュリアの様子に、不思議そうにクロードが彼女の顔を覗き込んだ瞬間、ジュリアの表情が変わった。悲しそうに瞳を見開き、何かを伝えようとしているのだろうか、小さく口を動かそうとしている。だが、でてくる言葉はない。
やがて、ジュリアが顔を青ざめて突然震えだしたかと思うと、ジュリアの皮膚から――ギシッ……という歯切れの悪い音がもれた。その刹那、ジュリアの身体が左右に裂け、中から異形の黒い騎士どもが這い出てきた。
不気味に見開かれた腐食した眼が、クロードを捉える。
「う、うわぁあぁあぁぁあああああ!」
騎士どもがニヤリと口角を吊り上げ、顎からよだれが垂れたのを最後に、緞帳が切って落ちたかのようにクロードの目の前は真っ暗になった――――――
「……っ!」
馬車がガタンと跳ねた振動で、クロードは目を覚ました。
真上に見える空は青々として立派な白い雲が浮かんでおり、今までの悪夢をまるで払いのけてくれるかのようだ。
「……またあの夢か」
もう何百回も見た悪夢に、未だに落ち着かない動悸と背中一面にかいた冷や汗にうんざりしつつ、クロードは大きく深呼吸をした。新鮮な空気を肺に送り込めば、なんだか少し楽になった気がする。
気持ちを切り替えようと辺りの景色に目をやれば、はるか前方にレンガ造りの街並みが見えてきた。
「お客さん、もうすぐアーレインの街に着きますよ」
「あれがアーレインの街なのか……。でっかいな」
「外見は綺麗な街並みですけどね、気を付けた方がいい。なんたってあの街の裏路地に一歩踏み込んだら、麻薬密売やら奴隷売買やら、とにかく数年前から治安の悪い街に変わってしまいまして」
馬車の馬を操る小太り気味で気前のよさそうな男は、やれやれと肩をすくめて見せた。
アーレインの街。この街には小さな港があり、クロードはここから船で大陸を横断する予定なのだ。
幼き日に生き別れ、生死も不明な幼馴染を捜し求める旅も、ついにこちらの大地からくりだすことになった。
リガルド王国はちょうど中央をベグニオ大山脈に分断されているため、北側と南側の行き来はすべて船で行われる。そして、南の地には王都ハインヘルムがある。
十二年前、王城に魔王ディアボロスが出現してからは、王族や城の人間が行方不明になり、王都は死都と化した。その影響はとどまることなくやがては南全域にまで闇が広がった。もはや、南の地は完全に魔王の闇の力に支配されてしまったのだ。
「闇の力はここまで広がってきているのか……いや、北ももう既に支配されつつあるな」
元は光の国だとか呼ばれていたこの王国も、今じゃ闇に閉ざされた王国とされ、魔王に恐れをなした隣国は全く干渉してこなくなった。ずいぶんと堕ちたものだな、と、クロードは皮肉めいた笑みを浮かべた。
だが、正直王国がこの先どうなろうが、魔王の目的が何であろうと知ったことではない。興味がないのだ。なにせ、王族が消えても、新たな勢力である魔王とその配下はちゃんと王国を保っている。仮に治安が悪くなり、支配された形であろうがどうだろうが、十二年間王国として成り立っているではないか。
クロードがただ一つ求めるものは、探し人の行方なのだから。
「じゃ、お気を付けて」
「あぁ。長旅をさせてしまって悪かったな」
クロードは馬車から降りると、さっそくアーレインの街へ入った。
街の中は馬車の男が言っていたような治安の悪さは微塵も感じず、行き交う旅人や商人で賑わっている。
クロードはごった返すメインストリートをぬって進んだ。横に目を向ければ、鮮やかな布地やら食材やらが所狭しとならべられており、商人と客の交渉が頻繁に行われている。
「わ、ごめん兄ちゃん!」
よそ見をしていると突然、少年とぶつかった。紫のターバンを巻いた少年は一言謝ると、そのまま走り去っていってしまった。
「と、あぶねぇ」
ぶつかられたことでバランスを崩したために、クロードはすれ違いの女性ともぶつかってしまった。女性の抱えていた果実が地面に散らばり、慌てて拾い集めると、それを女性に返した。
「すみません。お怪我は?」
「あ……いえ、大丈夫です」
女性はクロードに見つめられ少し頬を赤く染めた後、何かに気が付いたように手を口に添えた。
「あ、あの子……」
「?」
「今あなたにぶつかった子よ。旅人ばかりを狙う、ここら辺ではよく知られたスリなんです」
「なんだって!? まさか……」
クロードは金貨を入れた布袋を探してみたが、案の定見当たらない。……やられた。
「あのクソガキ!」
「裏路地の奥のスラム街にいるはずよ」
女性の教えてくれた通り、クロードは裏路地に入り込んだ。メインストリートとは違う殺伐とした雰囲気に日の当たらないひんやりした空気。迷路のように入り組んだ細道に、いつしかクロードは完全に迷ってしまった。
「どこなんだよここは……」
まいった。泥棒少年を捕まえるどころか、これでは元の場所に戻ることさえ難しい。
どうやら泥棒は諦めるしかないようだ。仕方がないのでここは運任せだ、とクロードはあえてこのまま進むことにした。案外、それなりの方向に向かえば船着場にでるかもしれない。
やがてしばらくすると、船着場ではなく空き地へとでた。
ここで、クロードはある現場に遭遇することとなってしまった。それは――
「おい! しっかり立ちやがれ!」
怒号と共に男が手に持つムチがしなり、地面に倒れる青年が悲鳴をあげた。
さらにもう一度ムチがビュンッとしなり、金髪の青年の背中に命中した。
「いって……!」
青年は痛みに顔を歪めてそう叫んだ。両手首には鎖が繋がれており、顔の汚れやボロ布の外見からみて奴隷で間違いないだろう。もちろん、ムチを打っているのは奴隷商人だ。
「お前ら後でぜってー痛い目あわす……!」
奴隷にしては珍しく威勢がいいが、その見返りとして、何倍ものムチ打ちが返ってくるということを、この青年はちゃんと理解しているのだろうか。
クロードは迷った。正直、自分から面倒ごとに首を突っ込む気はない。それに助けてやる義理もない。考えているうちに、青年がクロードに気付いたようで大声で助けを乞うてきた。
「あ…そこのあんた! こいつらどーにかしてくれ! 頼むよ!」
「自分でなんとかしろ。面倒事は御免だ」
「できねぇーから頼んでんじゃんか! オレを見捨てる気かよ」
青年は必死にすがってきた。本当に切羽詰まっているらしい。
仕方がないな、と思ったクロードだったが、ここである事を思い出した。そう、ある事を。
「……わかった。そこまで言うなら助けてやってもいいが、いくらだす?」
助かるという希望に青年の顔が輝いたのもつかの間、クロードの交換条件に、青年は眉をひそめて舌打ちを返した。
「金かよ! ろくでなしひとでなし! 良心てもんがあんたにはねーのか」
「どうする? 嫌ならいいがな」
立ち去ろうとするクロードに、青年は顔をしかめた後、わかったよと了承した。
「で、いくらだすんだ?」
剣を握って振り返るクロードに、青年はにんまり口角を上げて答える。
「たんまりだ」
「よし、交渉成立だな。待ってろ、すぐ片付けてやる」
クロードが剣を抜くと、鋭い光が剣先に反射して輝いた。
「なんだ貴様? さっきからごちゃごちゃと。さては貴様も奴隷になりたいようだな」
「そんな剣で俺達奴隷商人様をやれると本気で思ってんのか? 無理に決まってる」
「ゲハハ……外見は文句なしだなァ。こいつぁ高値がつくぜ」
奴隷商人達はクロードを口々にはやし立てた。たかが奴隷商人のぶんざいで、大した実力も備えてないくせに。どうも彼等はクロードのことを三流剣士とでも見ているのであろう。クロードはニヤッと笑った。お門違いもいいとこだ。
「あばよ」
クロードはそう呟くと同時に、閃光の如く一瞬の速さで二人の奴隷商人を切り伏せた。
圧倒的な力を目にして、一人残った奴隷商人はあわてて逃げようときびすを返す。
「バーカ、逃がすか、よ!」
そこへ、手枷を外され自由になった青年の拳がヒットした。強烈な一打に、だらしなく鼻血を垂らして最後の一人も倒れ込んだ。
青年は鼻をこすりながら、三人の奴隷商人のポケットから金貨袋をくすねてクロードにそのうち二つを投げ渡した。クロードがそれを受け取ると、ずっしり重みが加わった。けっこうな金額らしい。これだけあれば余裕で船に乗船することができる。
「あんたやるじゃねーか。オレはゼルってんだ、ゼル・ロキシス。あんたは?」
「クロード・レイン」
そっかー、と頭の裏で腕を組むゼル。
「オレはあんたが気に入った。どうせここにはオレの居場所なんてないし、旅に一緒させてくれよ」
「ふざけるな、断る」
何を言い出すかと思えば……とクロードはゼルの申し出を断り歩きだした。すると、ゼルはそれでもめげずに後を付いて来て、裏路地の角を曲がろうとしたクロードに言った。
「なーなー頼むよ! オレって盗賊業やめてから刺激ってもんが無くなっちまってさ」
「刺激? んなもの自分で探せ。だいたい盗賊なんかと旅できるか」
「だから、もうすっかりさっぱり足洗ったんだって。それに刺激はもう見つけちゃったもんねー。旅する冒険家! 楽しそうな匂いがプンプンするぜ」
「言ってろ。信用できるか」
クロードのいかにも鬱陶しそうな冷たい反応に、がっくし肩を落としてため息を吐くゼル。微妙に、その顔に暗い色が滲んでいる。
「オレさ、盗賊団抜けて行き場がねーんだわ。家族にはとっくの昔に縁切られてっし、もちろんアジトに戻れるわけない。北でけっこー騒ぎ起こしたりしてさ、ほんと……なんか居場所なくて」
力なく笑うゼル。
――これは俺を陥れる為の作戦か?
と、クロードは訝しげにゼルを見やった。しかし、そのあまりにも頼りない笑顔に、とうとうクロードの良心というものが揺らいだ。
「……わかった。もう好きにしろ」
やれやれといった感じのクロードとは正反対に、ゼルの顔には満面に極上の笑みが。
「サンキュー! あ、クロードそっちは行き止まりだぞ。船着場はこっちだぜ」
「……」
ニヤついて得意そうに笑うゼル。どんなものだといわんばかりに。
「……やっぱり前言撤回だ! このお調子者!」
そう叫びながら、追い払ってもついて来るであろうゼルにクロードはため息をこぼして見せた。
こうして旅にゼルが加わり、二人はアーレインの港を発ったのである。
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