第十九章 次なる目的地
部屋に着いたアーヴィンを出迎えたのは、頼まれごとで待っていたリリアだった。
リリアは、アーヴィンに横抱きにされたステラの姿を確認するなり、何かを悟ったように心配そうにアーヴィンを見上げた。
アーヴィンは、ステラをそっとベッドに寝かせると、リリアに言った。
「悪いけど、今夜はこの部屋をかしてもらうよ」
リリアはこくりと頷いて、ステラの髪を撫でた。
「ひどいわ……誰がこんなことを」
リリアも怒りを感じているのであろう。その声色が、いつもとは違った。
「私、ステラさんのお洋服を買ってくる」
ああ、頼むよ。とつぶやくアーヴィンに、廊下にでかけたリリアが、一言振り向いた。
「アーヴィン……ステラさんのこと、大切にしてあげてね」
「うん、分かってる。そのつもりだよ」
大切にする。これからは、もう傷つけたりは絶対にしない。神に誓ったっていい。
リリアの後ろ姿を見送ると、アーヴィンはステラに被せてあったコートのポケットから、何か小さな物を取り出し、それを自らのズボンのポケットにしまった。
そして、ステラの額にやさしくキスを落とし、ゆっくりと抱きかかえる。向かった先は、部屋に備え付けられた浴室。とはいえ、シャワーだけの小さな浴室だけれど。
早く、ステラを綺麗にしてあげなければ。あの忌々しい男の触れた箇所を、早く消毒してあげなければ。
アーヴィンは浴室の扉を開けると、脱衣所で服を剥いでステラを生まれたままの姿にした。これまで何人もの女の裸体を見てきたはずだが、柄にもなく、ステラのその姿にドキドキと心臓が早鐘を鳴らすのがわかった。
シャワーのお湯をその全身にかけていく。とても白く華奢なステラの身体は、少し力を込めただけで脆く崩れてしまいそうな天使のよう。
瞬く間に浴室は白い湯気でみたされ、少し肌寒かったものが、心地よい湿感へと変わった。
アーヴィンはスポンジに石鹸をこすりつけて泡立てると、手始めにステラの腕を洗った。そして腕から首筋や胸や腰にスポンジを滑らせるようにしていき、丹念に全身を清めていった。だが、その身体、特に胸には無数の赤い痣が咲いており、アーヴィンの中を怒りと悔しさでいっぱいに満たした。
浴室からあがると、ベッドの上にちょこんと衣服がたたんで置かれていた。リリアが買ってきてくれたものだろう。白いワンピースのようなそれを、フワフワと石鹸の香りがするステラに着せる。上気した頬や肌がほんのり桜色の赤みを帯び、ついつい触りたくなる衝動を、アーヴィンはぐっとこらえた。
ステラの手首には未だに縛られた痕が痛々しく残っていたし、男に殴られたのか、頬も僅かに腫れていたのだ。
「痛かったろ……」
アーヴィンは、ステラの腫れた頬に手を触れ、ベッドで眠る寝顔を愛しさいっぱいに目を細めて眺めていた。
「あ、あれ?! どうしたんだよリリア」
ベッドに寝転んでいたゼルが慌てて飛び起きた。アーヴィンに部屋を貸したために行き場をなくしたリリア。仕方なく、男性陣の泊まっている部屋へと赴いたのだが。
「……汚い」
入って早々リリアの口から出た感想はこれだった。
広さはリリアが泊まっていた部屋とだいたい同じか。だが、床やらあちらこちらに散らばった私物が、グシャグシャのシーツや毛布が、何かしらの食いカスが、清潔な女性陣の部屋とはかけ離れた印象を与えてくれた。
「ちょっと、ゼル。少しは綺麗にしようって気持ちないの?」
きれい好きなリリアとしては、こんな部屋で一晩過ごすなどありえないといった感じだ。
なぜだろう。肌がムズムズするのは。なぜだろう。鼻がくしゅくしゅするのは。
「なんだか空気悪いわね。ほら、窓あけましょう」
リリアが閉まりきった窓を開けると、新鮮で爽やかな風が部屋の中に流れ込んだ。
「私、今夜はここで眠るから」
「へ?!」
にっこり微笑むリリアに対し、ゼルの口からは間抜けな声が漏れた。そして、あたふたと何かをつぶやいているようだが、小さすぎて聞き取ることができない。
リリアがじっとゼルを見つめていたせいか、それまで俯いていたゼルと視線が合った。途端に、ゼルが赤くなる。
「いっ、いいい一緒に? 同じ部屋に、オレとリリアが一緒に?」
「うん。もちろん」
顔を真っ赤にして一人百面相をするゼルに、リリアは、ははーんと頷いた。
(ゼルったら、私のことを意識してるのね)
だとしたら、可笑しい。リリアはぷっと小さく吹きだした。だって、前にも一緒に眠ったではないか。まあ、野営だったから一カ所にかたまるのは当然だといえば当然だろうが。
それでも、こんな反応をされては、ついついからかいたくなると言うもの。リリアはずいっとゼルに顔を近づけると、上目遣いで笑った。
「ね……ゼルって好きな子いるの?」
途端に、ゼルは口をパクパクさせながら、あ〜…やら、う〜…やら口ごもる。確実に、動揺しているようだ。
「ねぇねぇ、どうなの?」
面白い。内心クスクスと笑い転げながら、リリアはなおも問うた。すると、ゼルが頬をかきながらつぶやく。
「俺のすっ好きな子は……」
「好きな子は?」
「り……」
「り……?」
――嘘、告白されちゃうの?!
こんな展開を予想などしていなかったリリアは、急に焦りだす。まずい。実にまずい。
この状況で愛の告白をされても、受け入れる事なんかできない。もともと、ゼルに対して恋愛感情などは抱いていないのだし。リリアからしてみれば、ゼルは対象外なのだ。だからと言って、ヘンにあやふやに誤魔化したとしても、たぶんこの先気まずい雰囲気になるに違いない。
(わ、わ、わぁ〜! ストップストップ、ストップ〜)
心の中で、必死にゼルの口にストップをかけるが、効果なし。止まることなくゼルは言葉を紡いだ。
「リぃ〜……リィちゃん、そう、花屋のリリィちゃん!」
てっきり自分の名前が飛びだしてくるのだとばかり思っていたリリアは、へ? と拍子抜けした。
「へ、へぇ〜そうなんだぁ〜」
素っ頓狂な声色で、一応笑顔を作る。
よかったというホッとした安堵もあるが、何故だろう、少しの寂しさも残るのだ。おかしい。相手はゼルだ。クロードならともかく、相手はゼルなのだ。きっと、今の寂しい気持ちは何かの間違いだ。
それにしても。“花屋のリリィちゃん”などという架空の人物を、よくもまあとっさに考えたものだ、とリリアは思った。
ゼルは一人、俺の馬鹿、とため息を吐いたり首を振ったりしていた。
そこへ、どこに行っていたのか、クロードが帰ってきた。クロードは両手にたくさんの花束やら果物やらを抱えていて、右頬にはなんと口紅がくっ付いていた。それも、幾つもの口紅が掠れているではないか。
「ちょ……それ」
今度はリリアが動揺する番であった。明らかに、何かがあったことを証明するかのように、クロードの服が淫らに乱れているのだ。
すると、クロードは困ったようにうなだれ、手荷物を床に下ろして言った。
「いや、実はさ……はぁ」
心なしか、その口調はかなり重い。
クロードの話だと、街を歩いていたら急に女性陣に囲まれ、揉みくちゃにされた挙げ句がこれだと言う。
なんだぁ、と一応安心するリリア。だが、その心中は複雑で。
(私だって、頑張っちゃうんだから)
クロードはモテる。甘い色香のアーヴィンとはまた別の、見たまま健康系な美青年だから、ムリはない。だから、いくらでも女が寄り付くのだ。横から来た女達になんか負けられない。と、密かに闘志をたぎらすリリアであった。
「で、どこに行ってたの?」
リリアが訊ねると、クロードは頬やら襟やらに付いた口紅を、擦りながら言った。
「ああ、ちょっと。それでな、明日には次の目的地に発つから」
「次の目的地って?」
ゼルが、机の上で地図を広げるクロードに歩み寄り、地図を覗く。
「ここだ」
「……遺跡?」
「ああ」
クロードが指差したのは、この街からちょうど東に位置する遺跡だった。名称は“ラダチェンダ遺跡”――古来よりラダチェンダとは、この国における“光の祝福”を意味する言葉である。今でこそあまり使われてはいないが、遥か昔はよく使われていた言葉らしい。
「何でまた、遺跡なんだ?」
素朴な疑問を、ゼルはクロードにぶつける。王都を目指しているのだから、わざわざ進路を外れて東に赴かなくとも、と。しかも、目的地は遺跡ときた。
「少し、見たい物があるんだよ」
「ふぅ―ん」
ま、いいや。とゼルは腕を組んで、クロードの持ち帰ったリンゴをかじった。 |