第九章 哀れなゼルと泥酔美少女
穏やかな夕焼けの陽射しが心地良い今日この頃。
クロード達はとある町に立ち寄っていた。
何故だろうか、この町の人々は、誰もが各々のゆったりとした生活を送っているような気がする。皆が他人に流されず、自分の体内時計で生きているかのような穏やかな町――“ラムーン”――
「なーんか……のんびりした雰囲気の町だよなぁ」
腕を組み、さほど興味も無さそうにゼルが独り言のように呟く。
「騒がしいよりはマシだろう? 俺は好きだがな。こんなのどかな雰囲気は性に合うんだ」
そうか? と小首を傾げるゼル。するとクロードは小さく笑った。北部の中でも最北端に位置する静かな村で生まれ育ったクロード。
――皮肉にもその村での幸せな生活は、僅か10歳という幼さで失ってしまったのだが……。
やはりこういったのどかさは有り難い。
時はもう夕刻。既に陽も半分以上傾き始めた頃だ。今宵の宿を探して、今は町の中心部を歩き回っていた。
しかし、いくら穏やかだとはいえ、やはり一番のにぎわい場である中心部。洋服屋から武器防具屋、飲食店に雑貨屋と、用途別に多くの店がずらりと軒並み連なっている。
その中でも一際目を惹く建物が。その外観は木製だがまさに堂々としており、入り口の上に飾られた立派な看板には――デュッセルドルフの酒場――と文字が刻まれていた。そして、その縁を飾るのは鮮やかな緑や青のネオン。これらが夕暮れの町に光のイルミネーションを奏でている。きっと、夜になって眺めたらもっと綺麗なんだろう。
その建物の中からは、わいわいがやがやと楽しそうな声々が漏れており、その声は時折どっと重なり合い、大きな笑い声として町のオレンジ色の空に溶けていった。
「なぁなぁ、酒飲んでいこーぜ!」
目を輝かせてゼルが言った。
「ダメよ。まずは宿屋の予約を取らないと」
「え〜〜」
「絶対、ダメったらダ〜メ!」
しつこく酒場に入る、と駄々をこねるゼルに、リリアがきっぱり首を横に振る。
「別にいいじゃん、宿の予約はクロードがやればさ。クロードはずっと前から旅してたんだし、こーゆうの慣れてんだろ? ついでに部屋でゆっくり休んどけよ。んで、リリアはオレと一緒に――」
「それもそうね。ゼルはお酒飲みたいみたいだし。じゃ、行こっかクロード♪」
――ゆっくり呑もうぜ。というゼルの誘い文句を遮る形で、語尾にハートをつけたリリアが、素早くクロードの腕を自分の腕の中に引き寄せた。
「ん? あぁ。それじゃあ、大人しくしてろよゼル」
たいしてリリアの手を振り払うこともせず、クロードはゼルにそう何度も念を押して、リリアと二人で歩いて行ってしまった。その後ろ姿といったら、……まるで恋人のよう。
後に取り残されたゼルは、しばらく情けなく口をパクパクさせながら、放心状態で立ち尽くしていた。
(オレ……可哀想)
折角リリアと二人で色々と語り合ったり、格好良く豪快に呑んで男を見せるチャンスだと思っていたのに……。その目論見はまんまとクロードによって奪い去られてしまったのだ。そしてなにより、本人がそのことに全く気付いていないというのも、実に腹立たしい。
がっくしと肩を落としつつ、ゼルはしょんぼりと酒場の扉を押した。
酒場内は熱気と酒の気だるい臭いが充満しており、静かな外とは裏腹に、この町の男達が一同に集まったように混雑していた。
ひとつのテーブルを五,六人の男が囲み、騒ぎながらトランプをしている。愉快に片手に持った酒瓶を呷りながら。
(さては、ありゃギャンブルだな)
あの熱狂ぶりからみて間違いないだろう。と、ゼルは内心思う。そういや、お頭相手によくやらされてた気がする。その度に、毎回毎回負けるというのがお決まりで。
ゼルはカウンターの椅子に腰掛けると、アルコール度数の低い“ブルーヴァテンダー”という酒をマスターに注文した。
「はいよ兄ちゃん、お待ち!」
気前の良さそうな髭っ面マスターから出された酒を手に取ると、ゼルはその酒をぼんやりと眺めた。
ほんのり鼻に香る甘ったるい匂いに、透明感たっぷりの濃いブルー。ワンポイントで、グラスの縁には薄切りレモンが添え付けてある。なんともお洒落な酒だろうか。
こうなりゃヤケ酒だ、と、ゼルは一気に酒を喉に流し込んだ。
「マスター! おかわり!」
口許を拭きつつ、ドンっと空のグラスをカウンターに叩き付けてゼルが大声で叫んだ。途端に、すぐ隣からもグラスを叩き付ける音と共に、同じような大声がした。
「マスタァ〜ろかわりぃ〜!!」
それもろれつが回らず、かなり酔った感じの声色で。
一体どんな奴なんだ? と、ちらりと横目を流したゼルだが、その声の主を見た瞬間にまるで石像のように固まった。
空のグラスを空中で揺らしながら、だらしなくカウンターに突っ伏していたのは……。
綺麗な蜂蜜色の髪をした色白美少女だったのだ。肩までの軽いくせっ毛パーマのような髪はサラサラで、きっと触ると気持ち良いだろうな〜、などとゼルがぼんやり考えていると、視線を感じたのか色白美少女と目が合った。
酒のせいでほんのり紅く染まった頬。ふさふさの睫毛はくるんとカールしていて、海よりも青い瞳は、どうやら視点が定まっていないようでとろんとしている。半笑いの唇は妙に艶やかで、熱い吐息がゆっくり漏れていた。
(うわ! 酒くさっ。こいつ……かなり酔ってるぞ)
思わず一歩身を引くゼル。それにしても、とゼルは片眉を上げた。この美少女、推定年齢ざっと15歳って所。どこからどう見ても子供だ。なによりもその幼い顔つきが物語っていた。子供が酒なんて呑んでいいのか?
「おいねぇちゃん、呑みすぎは体に好くない。あんた随分と酔ってるじゃないか」
あまりの泥酔ぶりに、ついにマスターも止めに入った。が、
「い〜ろぉ! これらぁろらるにぃ……いられるらぁっれんらぁ〜!」
もはや言葉になっていない理解不能な言葉。その口調は少々、いや、かなりご立腹のご様子。
少女は無言で、睨み付けるように、潤んだ眼差しでゼルを捉えた。何か、とんでもなく嫌な予感がゼルの脳裏をかすめる。赤の危険信号が点滅し、警戒音が鳴り響く。
「アーヴィンの……ひっく……ばぁかやろ〜!! ひっく」
「どわぁ! こらガキ! 引っ付くなって、酒臭いから離れろ〜!」
予感的中。絡み酒とはなんてたちが悪いんだ。
「アーヴィンらんてぇ……アーヴィンらんてぇ大っ嫌い! ……うぅっ……ひっく……うえぇ〜ん」
ゼルの背中にしがみ付き、誰かも知らない男の名を叫ぶだけ叫んだ後、ついに美少女が泣きだした。
――今度は泣き上戸か。
ゼルは口から飛び出しそうになるため息を、すんでのところで飲み込んだ。内心物凄く鬱陶しい気がする。でも顔は意外と可愛いから許そうか、などと考えを巡らせていると、いつの間にかゼルの背中で美少女は安らかな寝息をたてていた。
「……寝た」
ゼルが安堵するのも束の間、マスターが申し訳なさそうにゼルの肩を叩いた。
「悪いが兄ちゃん、その子を宿屋まで送ってあげてくれないかい。一週間前からすぐそこの角を曲がったとこの宿屋に泊まってる子なんだけどよ。今日は相方の兄さんがいないみたいだし、このままってわけもなぁ」
「な、なんでオレ?!」
「いや、兄ちゃん人が良さそうだからさ。じゃ、頼んだよ! 兄ちゃんの酒代は俺の奢りにしとくから」
マスターの一方的な話の進めにより、ゼルは渋々とした面持ちで了承した。まあ、奢ってくれるならば逆らえまい。すっかりとしてやられた気分で、眠りこけた少女を背に担ぎ立ち上がった。
華奢な少女の身体は全く重みがなく、どことなく少し頼りなさげだ。手首なんて、細すぎる。
ズルリ。少女が少し落ちたので、ゼルが抱え直したその時に、事件は起きた。
「むにィ〜」
「だ! こら! 暴れるなっ、ってうおっ」
泥酔した美少女が、いきなり暴れだしたかと思えば、今度は急にゼルの首に抱きついて来たのだ。おかげで、ゼルはバランスを崩して前のめりになる。
――倒れる! ゼルはそう覚悟した。
(…………あれ?)
が、覚悟した衝撃は一向にやって来る気配がない。むしろ、背中が羽でも生えたんじゃないかと思えるほど軽くなった。
「いやぁ、どうやらステラが迷惑をかけてしまったみたいだね」
振り向くとそこにいたのは、深く帽子を被り、優しそうな笑みを浮かべたもの凄く美形な男。長身なだけあり、厚手で丈の長い茶コートが良く似合っている。さらに、彫りの深い目鼻立ちをしており、その魅惑的な焦げ茶色の瞳と形の整った眉が、もの凄く男の色香を漂わせている。後ろでひとまとめにしたブラウンのロングヘアーでさえ、この男にかかればセクシーな凶器と化すのだ。
そして、男は泥酔した少女――たしかステラとか言ったか――を両腕で抱え上げていた。
「君、すまなかったね。マスターも悪かったよ。あ、これステラの分ね」
男はステラの酒代をカウンターに置くと、呆れて困ったように眠るステラに視線を落とす。
「あぁ、別に俺は構わないさ。大切な客だしな。それにしてもステラちゃん、今日は随分と荒れてたぞ」
「あぁ、わかってる。全部僕のせいだからね、きっと」
「なにがあったかは知らないが、ステラちゃん、普段はあまり呑まない方だからなぁ。ゆっくり寝かせてやれよ」
心配するマスターに後ろ手を振ると、男はステラを抱きかかえたまま酒場を出て行った。
なんだか、拍子抜けしたゼルは、男の出て行った扉を眺めながら頭をかいた。
「何だったんだ一体……」
「さっきの二人はハンターでね。ステラちゃんを迎えに来たイケメン兄さんは、ステラちゃんの相棒なんだよ」
「はぁ?!」
思わず、ゼルの口から間抜けな声が飛びだす。
「あんなガキのくせしてハンターって……」
「ガキ? わはははは。兄ちゃん何か勘違いしてるなぁ。ああ見えて、ステラちゃんは“24歳”の大人のレディだよ」
最後に、可愛かったろ? と付け足してマスターは陽気に笑った。もちろんゼルは有り得ない真実に言葉も失って、ただ、あんぐりと口を空けていたのだった。
(に…24……オレより5つ年上……嘘だァ!)
結局その後は、遅いからと言って迎えに来たリリアと、宿屋までの道のりを並んで歩けたゼル。
思いきって、さり気ない雰囲気を装いリリアの手を握ろうと何度も自分の勇気と格闘を繰り広げたのであるが……――人生そう甘くはない。
ゼルの小さな努力も虚しく、やはりリリアの手を握れることはなく、少しも歩かない内に角を曲がったところの宿屋に着くのであった。 |