第11話 報告
精霊――灯は祓魔師協会の日本支部、支部長室のドアをノックし、脚を踏み入れる。
椅子には長い黒髪を後ろで束ねた美しい青年が坐していた。
――泉纈――灯を召喚した人間であり、この世界の祓魔師の中では最上位の力を有する男。
「それでその少年とやらは強いのかい?」
既に『東都銀行芦戸支店』での経緯は説明してある。相変わらず無駄が嫌いな人間だ。知りたいことをストレートに問うてくる。
「……強いですね。少なくとも私よりは」
銀行内で少年が発動した魔術は二つ。
一つは《空絶碧》。何層にもわたる空気の壁を造り出すレベル3だが限りなくレベル4に近いとされる人間の魔術師達の個人で使用できる最上位の戦術級最高位黒魔術。しかも、良くわからない改良までしてあった。
二つ目がレベル3の白魔術――《超治癒》。一般に治癒術は極めて難解であり、あんな瀕死の強盗を一瞬でしかも離れた場所から八割の傷を修復するなど、不可能に近い。
さらにあれほど傲岸不遜だったキマーラとキルが祓魔師のエージェントと警察の突入直後、気が付くやいなや警察に泣きながら助けを求めた事を鑑みれば、彼らを圧倒するだけの力を有することは明らか。
少年は元の世界の世界序列の最上位者。しかも千番内に入っている可能性が高い。
世界序列は文字通り魔術師達の強さの序列。この序列の千番内に位置する生物は人間であって人間ではない。五界でも有数の実力者と同化した五界を含めた世界全体の怪物達。この世界に召喚されている既存の精霊や幻獣共が裸足で逃げ出す破壊の化身。
キル? キマーラ? 文字通り格が違うのだ。
「その根拠は?」
灯も魔術師、いくら自らの主とは言え、魔術について不用意に口走るつもりはない。
「キマーラを倒したことがその理由です」
「なるほどな……君にとって禁句というわけか。なら他の者に聞いても同じことだな……」
やはりこの男恐ろしく優秀だ。灯の意図を悉く先読みする。
「そう理解してもらって結構です」
「君の見立てではその少年は人間だろうか?」
「そうも呼べますし、そうも呼べないかもしれません」
「ノンノン、いつも言ってるだろ。発言ははっきりと」
人差し指を左右に振り、口端を上げる泉纈。
表情とは対照的に目が全く笑っていない。五界のルールにより、自主的に五界の核心に渡る事項について話してはならないことになっている。同化者がこのルールに抵触するかは微妙な線だ。上手く誤魔化しておこう。
「彼は私達に近い人間。そうご理解ください」
泉纈という男、嘘を見抜く不可思議な力があり、偽りは述べられないが、灯の今の言葉は全て真実だ。
「精霊と同じ格を有するが人間。いわば僕ら人間の上位種。そんなところか」
大体の事情を今のやりとりで把握してしまった。全くもって恐れ入る。
「ご用件はその件ですか?」
さも愉快そうに笑うと泉纈は笑みを消す。
「少年を調べろ。できる限り委細に。そして私の元まで連れて来い」
もとより、そのつもりだ。それしか灯には方法がないから。
この霊獣召喚という忌々しい術により、灯達精霊や幻獣はこの世界に召喚され、元の世界には原則戻れなくなった。
戻る方法は50年の月日が経過するか、召喚の目的が完了すること。召喚の目的とは妖魔と鬼の討伐。
一般に精霊や幻獣は地球への滞在が原則してできない。これは禁止されるまでもなく、召喚術には厳格な期間制限があるからだ。だから原則数十年の滞在が許される同化は五界の住人ととっては一つのステータスとなっている。
それが五十年も無条件でこの世界にとどまり権利を得るのだ。だからこの世界に召喚された精霊や幻獣にはそこまでの必死さはない。寧ろ、あのキラーマのように召喚者を誘惑し、趣味や遊びに走る者達も多い。
対して灯は一秒も早く帰還しなければならない訳がある。
それは精霊界に居られるグレーテルお嬢様。メイドとして仕えていた灯がお嬢様と別れてはや八年。
人一倍、寂しがりやのあの方は今頃どうしておいでだろうか。まだ、夜怖い夢を見て泣いておいでだろうか。それとも、まだ傍で御本を読んであげなければ寝つけないのだろうか。その姿を思い描くだけで魂が引き裂かれる想いがする。
だからこそ、灯には残り四十二年を悠長に待っている余裕はない。妖魔と鬼を討伐するしか方法はないのだ。
妖魔とは何度か遭遇したが、天才が張っている結界とやらのおかげで、この人間界には下級クラスしか出現しないはず。それにもかかわらず、灯と同等クラスのものもチラホラいた。
さらに石板が事実なら鬼は妖魔以上に強力らしい。鬼とは魔族の鬼種のとこだと思うが、まだ一度も遭遇しておらずあくまで予想でしかない。しかし、仮に鬼が先の大戦で生き残った鬼種で、さらに魔神軍の将校クラスの力を有する者がいればもはや今の灯達の手には負えない。
今、イレギュラー的存在が灯達には必要なのだ。
「了解いたしました」
故郷帰還の決意を胸に一礼し、灯は支部長室を後にした。