第10話 同居人来襲
路地を出て直ぐさっそく携帯で奈美に連絡し安否を確かめた。昼間メルアドと電話番号の交換をしていて助かった。奈美は黒髪眼鏡女に保護されて今、新見家の屋敷にいるらしい。泣きそうな声で僕とオルトロスの安否を尋ねて来たので今は傷一つないと答えておく。安堵したのか遂に泣き出してしまう。それにテンパりつつも、やっとの事で奈美を宥めて電話を切る。
近くのデパ地下で日用品を含め、一万円分買い込んで岐路に着く。
駅から紅葉の屋敷まではさほど遠くはなかった。徒歩で30分という所だろう。二、三日ごとに買いに訪れることにしよう。
それよりもだ。あれなんだろう?
紅葉の屋敷の駐車場には四、五台のトラックが止まっている。
あのトラックにある独特な犬とトマトのマーク。この世界にも宅配、引っ越し業者の老舗――《クロイヌトマト》があるとは驚きだ。だとするとあのトラックは引っ越し業者。
でも誰が引っ越すんだ? まさか紅葉の奴、僕と住むのがいやで引っ越すなんて言い出すんじゃないだろうな。
これはアルスのゲーム。そのとっておきのゲームにプレイヤー気取りの奴が観ていないわけがない。僕がいないときに紅葉が襲撃されることは依然としてあり得るのだ。だからできる限りは一緒にいたい。
直ぐに僕の危惧も杞憂であることが判明する。なぜなら荷物は運び出されるのではなく、運び込まれていたから。紅葉と一緒に住めるのなら別に他に誰が住もうと構わない。
屋敷に入ると紅葉がたっぷりと焦燥に彩られた顔で僕の胸倉を掴み引き寄せる。どうでもいいが顔が近すぎる。
「これどういうこと?」
「これって言われてもね。引っ越しなんじゃない?」
そうとしか答えようがない。
「そんなの見ればわかるわ!!」
そんな必死な顔で迫られても、僕にも心当たりなど皆無だ。それに僕にそんな権限などないことにこいつは気付いているのだろうか?
「あらライトさん帰ったんですね」
泉幸菜がリビングから顔を出し、優雅な笑みを浮かべてくる。そして姉の紅葉を押しのけ、僕の間に入り手を差し出してくる。
「私、今日からこの屋敷で住みます。実家での修行もありますから隔日となりますが、宜しくお願いしますね」
「あ、ああ、宜しく」
求められるままに握手を交わす僕。
「ここは私の――」
紅葉のあの姿、癇癪の一歩手前とみた。それは妹の幸菜なら僕以上に把握しているはず。それなのにまるで悪戯っ子のような微笑を浮かべて紅葉に向き直る幸菜。
「私の家でもあります」
「泉家本家が許すはずが――」
「お爺ちゃんには了解はとりました」
あの爺さん、また面倒なことを……。
「くう……」
悔しさからか握り締めた拳を震わす紅葉。この勝負もう先は見えた。
「それとも姉さん、私がいてはマズイ事でもするつもりだったんですか?」
「んなわけあるか!! 誰がこんな奴とっ!!」
顔を発火させ、声を張り上げる紅葉。
「あら、なぜライトさんがでてくるんです?」
幸菜の顔に悪い笑みが浮かぶ。頻繁に僕の元の世界の知人の先生が浮かべる笑みであり、大抵碌なものじゃない。
「……」
紅葉はもはや顔どころか、全身真っ赤だ。おそらく小刻みに震えているのは屈辱からだろう。
「昔から独占欲は人一倍強かったですものね。そうですよね、姉さん?」
「~っ!!!」
紅葉は暫し俯いたままブルブル震えていたが、二階へ駆け上がってしまう。
彼女は基本沙耶と基本同レベルだ。あれでは当分機嫌が直らない。これから迎える八つ当たりの日々に、自然に口からため息が漏れる。
彼女が一緒に住みたがる目的は僕だろう。ウインディーネの僕に対する怯えようからも彼女は僕の強さをほぼ正確に把握している。当然、彼女から僕の強さは聞いているはずだ。
要するに幸菜にとって僕は単なる異世界人ではなく、精霊や幻獣と同等の存在にカテゴライズされているはず。何としても獲得しようとするはずだ。僕を篭絡するつもりなんだろうかが、これ以上面倒な事態は勘弁願う。
「引っ越しが済んだらリビングにおいでよ。お茶でも入れる」
「喜んで伺います」
「幸菜さんの後ろで隠れている君もだ。大丈夫、僕は絶対に君に危害を加えたりしないよ」
幸菜の背中から僕の姿を現し、躊躇いがちに頷く青髪の美女。本来、神々しくもあるべきその姿は捨てられた子犬のように儚く頼りない。幸菜がウンディーネの頭を優しく撫でると、僕に手を上げて二階へあがって行く。
屋敷の構造は昨晩の大掃除で粗方、把握している。
一階はリビングやキッチン、脱衣所、浴槽、部屋が数個に物置。さらに驚いたことに魔術工房のようなものもあった。汚れが新しいことからも現在も紅葉が利用しているのだと思われる。
二階は十二、三畳ほどの部屋が数個あった。僕もいつまでもリビングで寝るのは御免被る。一つを使わせてもらうとする。
さて僕のやることは幸菜が増えようと変わらない。始めるとしよう。僕は食堂へ行き作業を開始する。