第8話 銀行強盗撃退
放課後になった。
僕はいつくかよるところがある。即ち、銀行と買い物だ。生活力皆無の紅葉は冷蔵庫に碌なものを残しちゃいなかった。唯一あったのが、パンと卵。後は全て腐っていた。近くのスーパーにでも寄って買って帰ろう。
「紅葉、僕は今日、寄るところがあるから一人で帰ってよ」
あの騒動の後、僕も紅葉の屋敷に住むことにしたことを伝えるが、否定も肯定もしなかった。否定したいなら短気な彼女の事だ。直ぐにでも突っかかって来る。了承ととらえて問題はない。
「うん。わかった」
「……」
僕が言葉もなく眼球が飛び出るくらいの衝撃を受けていると、眉を顰めながらも僕に尋ねて来た。
「どうしたの?」
「いや、まさか返事がもらえるとは……」
いつものように良くて頷くか、無言の了承をかましてくる。そう考えていたのだ。
「……」
僕のこの態度がよほど腹に据えかねたのか、紅葉は鞄を持って教室を出て行ってしまう。嘉六には警護の依頼をしているし、来栖に途中まで一緒に帰るように頼んでいる。
「ライトきゅん!! 振られたw!」
絶妙なタイミングで奈美がドヤ顔で現れる。その親指を立てるそのしぐさが無償に腹が立つ。僕らの会話でも聞いていたのだろう。
昼に奈美と来栖に僕が紅葉と一つ屋根の下で住むつもりであることを伝えても、別段、異議を唱えなかった。それどころか、益々態度が軟化し、今では完璧に打ち解けてしまっていた。
「そりゃあどうも。ところでこの辺の銀行とスーパーってどこにあるかわかる?」
「どっちも芦戸市の駅前、アテクシが案内してあげるw」
この暑い中、スーパー探して歩きまわるなど拷問に近い。スマホでも調べられるが、案内してくれるなら好都合なのだ。
「じゃあ、お願いするよ」
「任された!!」
◆
◆
◆
芦戸市駅前のスクランブル交差点に到着する。
奈美は一度打ち解けると、壁を一切作らず接してくる。芦戸市駅前に到着するバスの中で、色々昔話をしてくれた。
そのほとんどが大昔の紅葉の事、昔の紅葉のこと、今の紅葉の事。全て紅葉の事だった。
彼女がなぜ紅葉にこだわるのかそれがおぼろげながらにも理解できた。なぜならそれは今の僕の最も大きな行動理念と同じだったから。
即ち、彼女は紅葉をほっとけない妹だと思っている。気持ちはわかる。紅葉の凄まじいほどの生活力なさや、今日のような無鉄砲さ、行動原理の子供っぽさを鑑みると妹の沙耶を想起し、つい過保護になってしまう。彼女は昼の食堂では兄妹は来栖だけだと言っていたが、もしかしたら奈美には妹か弟がいたのかもしれない。これはプライバシーの問題だし、詳しく聞くまではしないが。
奈美の案内で、『東都銀行』へと到着する。ATMで取りあえず五万ほど下ろした。
奈美が銀行で支払いがあるというので待合室で待つことにした。
残暑の最後のあがきのような暑さにほとほと参っていたのか、銀行内では客は例外なく冷房がガンガン聞いた部屋の中椅子に腰をかけ、ひと時の魂の休息にふけっていた。
奈美の順番となり、カウンターへと足を運ぶ。奈美と入れ替わるように黒い色の帽子に黒のパーカーを着用した男が銀行の自動ドアから建物内へ入って来るのが視界に入る。黒色帽子の男の後に五人の男達。その全てがこの暑いのに帽子やニット帽を被っている。ピリッと背筋に電撃が走る。
「全員伏せて頭の後ろに手を置け!!」
一人が近くにいる女性の行員の眉間に銃を突きつけ、もう一人が自動小銃を天井に向けて数発発射する。
悲鳴を上げて逃げ惑う客達、そんな逃げる客の一人に銃口を向けるちょび髭の強盗。
銃声が響き、十数発の弾丸が放たれるが、全て人の間を縫うかのように逸れて背後の壁やガラスにひびを入れ破壊する。
当然に偶然などではない。僕が【終焉剣武Ω】を発動し、不可視の無数の剣を造り出し銃弾の軌道を変えたのだ。【終焉剣武Ω】も取得してから長い。それなりにこのスキルを使いこなせるようになってきた。
それにしても――。
(やっぱり、この展開か……これもアルスの掌の上か?)
僕なら数度瞬きをする間に、この愚者共を挽肉にすることも可能だが、嘉六さんや校長達から目立った行動はとるなと重々念を押されている。
黒色帽子の男がちょび髭強盗の傍まで薄気味の悪い笑みを浮かべながら近づいていく。
「す、すまねぇ、キルさ――」
ちょび髭強盗の姿がぶれて三メートルはある天上に弾丸のように一直線にぶっとび頭から叩きつけられ爆音を上げる。そして、そのまま床に衝突し、痙攣するちょび髭強盗。このまま放っておけばちょび髭強盗は死ぬ。どうやらキルとかいう糞は僕が最も嫌悪する人種らしかった。
「ひっ!」
「ば、バケモノ!!」
行員達の言葉に黒帽子の男――キルはニィと口端を上げる。
これは魔術でもなんでもない。単にキルが蹴り上げただけだ。
キルのレベルは20。レベルが10を超えると通常の銃器ではその皮膚を傷つけることができなくなり、魔術的付与がなされた武器や魔術による攻防がメインとなる。
僕のいた世界では新米魔術師が一人前になったと見做されるのがレベル10の壁。その壁を突破したものはたった一人でマフィアを壊滅できるほどの強さを持つ。
さらに通常の魔術師なら最終的にはレベル20に到達し生涯を終える。要するに未熟な精霊や幻獣達と同レベルの強さを魔術師は所有しているのだ。
しかしこの世界の祓魔師とやらのレベルは平均レベル2~3。少し強くて5~6らしい。要は銃で簡単に死ぬ。
別にこれは彼らが未熟というよりは霊獣召喚に特化した代償だろう。霊獣召喚は召喚術と比較し、精霊族と幻獣族に限定されている点では劣っている。しかし今日の実習の授業を聞く限り、いくつかの点では勝っていた。
一つは精霊、幻獣の召喚期間の延長。通常の召喚術は最長半年に過ぎず、ほとんどが数週間でその効力が切れる。対してこの幻獣召喚は五十年間にも及ぶ召喚が可能だ。
二つ目は霊獣召喚に目的を設定し、その目的を遂げねば五十年が経過しない限り、精霊、幻獣は元の世界への帰還ができなくしている。
三つ目が精霊、幻獣への絶対命令権。原則精霊や幻獣は召喚士の命令には逆らえないとするもので、アルスが僕に課したルール三に相当するものだ。通常の召喚術は召喚士と非召喚者はあくまで対等。だからこの命令というシステムは存在しない。
四つ目は通常の召喚術による召喚だと力は著しく制限されるが、この霊獣召喚はほぼ制限のない召喚が可能となる。僕のスキルによる召喚も力の制限などない。もしかしたら魔術というよりスキルによる召喚に近いのかもしれない。
上記四つとも、現代魔道科学のレベルを軽く超えているが、まだまだ奥義と呼ばれる精霊や幻獣の強化術もあるらしい。勿論、奥義の名の通り、誰でも使えるわけじゃないんだろう。
兎も角だ。僕のいた世界では新米に毛が生えた強さに過ぎないが、この世界では精霊の一般レベルに近いキルはまさに超人だろう。
「おい、お前らこうなりたくなければ素直に従え」
親指で瀕死のちょび髭強盗を親指で指す。
こいつ手慣れてやがる。人が恐怖するツボを理解している。未だにピクピクと痙攣しているちょび髭男を見て逃げる気力も失せたのか、客と行員はうつ伏せになって後ろに手を組む。強盗達は銀行のシャッターを下ろし、次々に紐で腕と脚を縛って行く。
丁度、客や行員は芋虫状態で床に放置されており、視界は床と強盗達の脚くらいだ。これは使えるかもしれない。
全員が捕縛され次第行動を起し、強盗を殲滅する。その上で捕縛されている客と行員全員の紐を【終焉剣武Ω】により創造した剣で切断する。そうすれば、部屋内の全員の紐が切られている以上、僕を特定することはできなくなる。つまり、誰にも知られることなく敵を無力化できるし、嘉六さんとの約束も守れるというわけ。
これしかない。そう考えてうつ伏せになろうとしたわけだが、一つ僕は大きくかつ基本的事項を忘れていることに気が付く。それはクラスメイトたる赤髪少女の性格。
「おい、餓鬼、お前も早くうつ伏せになれ!!」
中々うつ伏せにならない僕に近づくマスクをした強盗の一人。
「オルトロス、行くよ」
奈美の感情をなくした声。刹那、僕の目と鼻の先に到達したマスクの強盗の一人が横凪になり、空中を凄い速度で回転していく。強盗は壁に叩きつけられ、ピクリとも動かなくなる。ちょび髭強盗とどっこいどっこい。見たところ後もって十五分、その間に治療しなければ彼奴も死ぬ。
奈美のこの獣のようなギラギラ光る怒りの表情から察するに、さっきの攻撃はオルトロスの意思ではなく、奈美が殺せと命じた結果かもしれない。瀕死ですんでいるのはオルトロスが奈美の命令に全力で抵抗したから。そう判断せざるを得ないほど奈美の顔は怒りと焦燥と凄まじい憎悪に満ちていた。
そして奈美の憤怒と憎悪の原因は多分僕に強盗の一人が近づいたから。彼女は一度仲間になったものには家族同然の思いを寄せる。そんな人物なのかもしれない。しかし、ここまで苛烈な反応をするのは異常だ。過去に奈美に何かあったと考えるべきか。
ともあれ、奈美は僕の友達だ。僕のために奈美が警察のやっかいになることなど絶対に許せないし、何より彼女が人を殺すことを僕は許容しない。
異世界アリウスで人を殺めたからわかる。一度他者の命を奪えばもう二度、後戻りはできない。どんなに綺麗な言葉で塗り固めてもそれは徐々に魂を後戻りができないほど犯していく。そして辿り着くのは破滅。
そんな道を奈美に歩ませるほど僕は落ちちゃいない。嘉六さんとの約束はあくまで信頼関係に基づくもの。この世界でできた数少ない友人の人生を台無しにしてまで守るべきものではない。少なくとも十分後には強制的に介入する。
獣耳を持つ灰色の髪の少年オルトロスが奈美の前に彼女を守るように出現していた。
そして奈美の前に立つもう一人の女性。
紺のスーツに肩程の黒髪を一本結びにした眼鏡を掛けた美女。彼女が一切の油断なく、キルに銃口を向けていた。
このタイミング、彼女は僕らと同様この事件に偶然出くわした警察関係では多分ない。おそらく彼女は――。
「A級指名手配犯キル、殺人、傷害、強盗、監禁の容疑で逮捕します。他の者達も同じです。抵抗するようなら霊獣法17条に基づき処理します」
黒髪眼鏡の女性は右手で銃口を向けたまま、左手で令状をキルに突きつける。
罪名だけでキルがどういう奴か予想はつく。キルの相手は奈美には少々刺激が強いかもしれない。
「なんだ、お前、精霊か」
そう。彼女は精霊だ。まさか、人間社会の犯罪を取り締まる精霊まで現れるとは夢にも思わなかった。ある意味何でもありだ。しかもレベル48。精霊界全体としてはどうってことないが、この世界ではかなりの強者だ。
「無駄な抵抗は止めて投降しなさい」
腰のホルダーから銃を引き抜き、その銃口をキルに向ける。この世界では珍しいが、あれは魔銃。しかも、伝説級レベル5の武器。精霊がこの世界に持ち込んだ兵器、そう考えるべきだ。
伝説級レベル5の魔銃を持つレベル48の精霊に、レベル51のオルトロス。キルのレベルは20に過ぎない事を鑑みれば、本来のキルのとる方策としては逃げの一手のはずだが。
「無駄な抵抗ねぇ」
顔に皺を波立たせ、せせら笑うキル。
「もう一度言います! 投降しなさい!」
全く動じようとしないキルに眉を顰めつつも、銃の引き金に指をつける。
「ん~?」
顎に手を当て、奈美と黒髪眼鏡の女性にねっとりと凝視すると、顔を醜悪に歪めるキル。
「お前と隣の赤髪の餓鬼、中々いい顔の造りをしてる。
赤髪の餓鬼は幼女趣味の変態に受けがいいかもな。そっちの黒髪眼鏡は精霊好きの変態富豪共にさぞかし高く売れそうだ」
奈美がビクッと身体を強張らせ、顔一面を嫌悪に染める。
「下種め!! 貴様の捕縛命令など形式にすぎんっ!!」
銃口にピンポンボールほどの五つの赤色の球体が生じ、黒髪眼鏡女は引き金を引く。黒髪眼鏡女の銃口から放たれた死を体現した五発の紅の弾丸は高速で回転し、空中で幾つもの輝線を描き、キルに四方八方から殺到する。
「キマーラ」
紅の弾丸はキルに触れる数センチ手前でバンという破裂音とともに弾け飛ぶ。
キルの脇には真っ黒のフルメイルに身を包んだモヒカンの巨漢。
「はい、は~い」
モヒカンの顔に塗りたくった厚化粧と気色悪いほど高い声の相乗効果は実に極悪な効果を発揮する。
「な?」
刹那、巨漢モヒカン――キマーラは黒髪眼鏡女の懐に飛び込み、その腹部にゴツゴツした右拳を突き立てる。黒髪眼鏡女の身体は天井付近まで空中を舞上がる。
さらに奈美を庇うように身構えていたオルトロスの前まで移動し、右の裏拳をぶちかますキマーラ。豪風を巻き起こしクリーンヒットした右の裏拳により、オルトロスの身体はまるでボールのように吹き飛ばされ、銀行の外を覆っていたシャッターを突き破り、その姿を消失させる。
床に伏せる行員と客達の至る所から絶望に塗り固められた悲鳴があがる。
「あ~ら、呆気ないわねぇ~」
そりゃあ呆気ないだろうよ。レベル88による攻撃だ。オルトロスレベル51、再起不能にはなってはないだろうが、それなりのダメージは負っていてしかるべきだ。さらに奴は隠匿系のスキル持ち。
レベル88の身体能力を持ち、気配まで消せるのだ。奈美達に勝ちはない。そしてそれはレベル48の精霊が加勢しても同じだろう。
あとは僕が介入するタイミングだが――。
「オルト……ロス?」
奈美は大きく目を見開き、シャッターを突き破って消えっていったオルトロスに視線を向ける。
「ガール、悪く思わないでねぇ~、私も心が痛むのよぉ~」
キマーラはその言葉とは裏腹に顔を狂喜に歪めながらもゆっくりと奈美に近づいていく。
あのカマ幻獣も、今日のシルルとかいう糞精霊と同じ。弱者をいたぶって快感を覚える糞野郎。どうもこの世界の幻獣や精霊は僕の知る者達とは一線を画しているものばかりだ。ゲームマスターたるアルスの策謀によるものか、それとも元々、幻獣や精霊の中にはこの手の輩が多いのか。
ゆっくりと迫るキマーラに彼女の指と脚が小刻みに震えるのが僕の視界に入る。この光景は僕の意思を決するには十分だった。だって、彼女はこの世界でできた数少ない友。駆け引きに利用してよい存在ではないから。
僕が介入しようと、足を踏み出そうしたとき、シャッターに開いた大穴からキマーラに向けて一直線に走る灰色の閃光。灰色の光線の正体はオルトロス。
「あ~ら?」
オルトロスはキマーラの蟀谷に渾身の左拳を叩き込む。キマーラは避けもせず、ただ口端を上げるのみ。
左拳が蟀谷に衝突し、空気がビリビリと震える。
間髪入れず、オルトロスは空中で器用に回転し右回し蹴りをキマーラの右頸部に放つ。蹈鞴を踏むキマーラにオルトロスは口を大きく開く。耳を弄するような咆哮が轟き、大気が爆ぜる。
キマーラが初めて両腕を十字にして、凄まじい衝撃に耐えようとするが、数メートル押し戻される。
「怪我ないか、奈美」
「……」
オルトロスの問いに目尻に涙を溜めて大きく頷く奈美。
「じゃあ俺が時間を稼ぐ、そいつを連れてこの場を離れろ!」
召喚士は精霊や幻獣に対し絶対命令権を有する。故に精霊・幻獣は召喚者の命令には逆らえない。だがそれはあくまで精霊や幻獣に召喚士が命令したときだけ。今、奈美を逃がそうとしているのはオルトロスの純粋なる意思。
「だ~め、ガール、逃がさないわぁ~」
奈美は僕に近づこうとするが、キマーラが空気を破裂させるような凄まじい勢いで迫って来る。
オルトロスは口から衝撃波を吐き出して、キマーラに向けて疾駆し、拳の波状攻撃をお見舞いする。
「む~だぁ~、軽すぎるわぁ~」
オルトロスの爆撃のような拳の嵐の中、キマーラの無造作に繰り出した右拳がオルトロスの胸部に突き刺さり、トラックに正面衝突したような途轍もない速度でぶっ飛び壁に叩きつけられる。
即座に立ち上がり、その口からは血を吐き出し、キマーラに向けて疾走するオルトロス。
僕は不覚にも見とれていた。
――奈美を身を挺して守ろうとするその姿に。
――何度も、何度も打ちのめされ、叩き潰されても立ち上がるその姿に。
――己の正義と信念に基づき突き進むその姿に。
純真無垢なその姿は穢れに穢れ切った僕には到底真似できないことだから。僕はそれがひたすら眩しく、そして羨ましかった。
だからこそ今ここで僕が不用意に介入し問題を解決するわけにはいかなくなった。彼はまだ奈美を逃がすという使命をやり遂げていない。それは彼の信念を踏みにじるに等しい行為だ。それに僕の予想が正しければそろそろ事態は動く。
「奈美ぃ、いけぇ!!」
オルトロスは絶叫し、キマーラに突進する。既に、満身創痍。利き腕の右腕は根元から捻じれ上げられ骨が見え隠れしている。身体中の至る所の皮膚が抉れ、血を拭き出している。
奈美はオルトロスがなぶられる姿に一歩も動けなくなってしまっている。
「ごめんねぇ~、でもだめよぉ~」
キマーラが気色悪い顔をさらに醜悪に歪めつつも、オルトロスの鳩尾に右拳を深くめり込ませる。オルトロスの身体が浮き上がり、血反吐が大量に床にまき散らされる。
「オルトロスっ!!」
奈美は顔を涙でグシャグシャにして駆け寄ろうとしたそのとき、僕の予想は的中する。
天井に浮かぶ、幾つもの炎を纏った紅弾。それが超高速でキマーラに殺到する。空爆のような紅の炎弾はキマーラの肉体に次々に衝突し、閃光と共に紅蓮の花を咲かせる。建物内を熱風と衝撃波が吹き荒れ、粉々になった机や椅子が壁に叩きつけられる。
この炎弾の正体は黒髪眼鏡女の魔銃。大体伝説級レベル5の武具があんなちゃちなわけがあるまい。先刻の紅弾は手加減でもしていたのだろう。今回は全力。彼女があらかじめ結界を張ってなければ、行員と客達は瀕死、下手すれば死んでいたかもしれない。
現にキル以外の強盗の五人は僕が咄嗟に黒魔術で空気の障壁を発生させていなければ燃え死んでいた。まあその隙に瀕死のマスク男とついでにちょび髭強盗もレベル3の白魔術――《超治癒》で回復させた。この距離では効果が薄いから全快まではしていまいが、奴らは強盗、死ななければそれでいい。加えて、黒魔術レベル3《空絶碧――改》により銀行員と客の一人、一人に防御の障壁を造り出しておく。この《空絶碧》の効果は無論、物理的衝撃からの保護にある。その効果に障壁内外の音や映像の遮断能力を加えたのが、この《空絶碧――改》だ。
兎も角、あの紅弾をまともに受けたのだ。多少の時間稼ぎはできよう。
「僕は大丈夫だ」
奈美を脇に抱え、僕に視線を向けていた黒髪眼鏡女は頷くと大穴の開いたシャッターまで疾駆する。
彼女の進路には僕がいた。心情的には僕も保護したかっただろうが、彼女がこうも素直に僕の言に従ったのは僕が黒魔術と白魔術を展開しているのを彼女は目にしていたからだと思われる。
彼女が施した防御結界は黒魔術。つまり彼女は精霊ではあるが魔術師。魔術師なら先ほど僕が使った魔術から、僕に一定の力があると判断してしかるべきだから。
「キマーラ、何遊んでる? 商品が逃げんぞ!!」
キルの心底不快そうな舌打ちが耳に入って来る。
「ふん、言われなくても逃がさないわよ!!」
「させる――かよ!」
キマーラが疾走しようとするが突如動きが止まる。口から血を流し、顔中を真っ赤に血で染め上げたオルトロスが左手でキマーラの足首を掴んでいたのだ。
「貴様っ!!」
額にすごい青筋をむくむく這わせるキマーラの顔面に黒髪眼鏡が振り返らずに放った紅弾数発が着弾し、煙を周囲にまき散らす。
キマーラが右腕を薙ぎ払い煙幕を吹き飛ばすが、既に黒髪眼鏡女はシャッターの大穴から外に逃れた後だった。
「ざまあねぇな――俺の勝ちだ」
オルトロスはキマーラの足首を掴みながら仰向けになって満足そうに顔をほころばせる。
「な~にがおかしいのよぉ!!?」
顔に憤激の色を漲らせながらキマーラは右脚を持ち上げ、脚の裏をオルトロスの頭部に固定し、振り下ろす。豪風を伴いオルトロスの頭部を爆砕せんと驀進する右脚。
僕は床に脚を叩きつける。次の瞬間床が爆ぜ、カチンとスイッチが入り、体感時間が永遠の時を刻み始める。そのスローモーションのような世界で僕は一足飛びにオルトロスの元まで疾走し、彼を抱きかかえると行員や客が寝転がっている場所まで行き、彼らの傍にそっとオルトロスの身体を置く。
直後、キマーラの脚が唸りを上げて床を爆砕し、広範囲にわたって陥没する。
「お……まえ?」
雷に打たれたような、呆気にとられた不思議な顔で僕を食い入るように見上げるオルトロス。
「君は英雄としての目的を果たした。ここからは道を踏み外した僕ら外道畜生の生きる世界」
キマーラは僕をジロジロと眺め見ると口を開く。
「誰、あなた?」
キマーラの眉間の皺が深くなっている。
さっきの僕の動きはキマーラよりも少し速い程度にコントロールしている。でも僕からは魔力が感じられない。確かにこれほど不自然な人物は他にはおるまい。真面な戦闘経験がある者なら、そんな不自然な相手は逃げの一手だ。
「さ~てね」
「そんな魔力皆無の雑魚に何やってる!? テメエがチンタラしてんから大事な商品に逃げられたじぇねぇか!!」
キルが噛みつくように、キマーラに怒鳴る。
(ちっ! ド素人がっ!!)
キマーラは僕に構えを取る。
どうやら、こと戦闘に関してはこのオカマ、予想よりは馬鹿ではないらしい。もっとも僕の魔力の感知が不可能な時点で、相手にすらならないわけだが。
キマーラが僕に向けて疾走し、掌底を僕の頭蓋に放ってくる。豪風を巻き起こして接近する右拳を左手の掌で受け止める。次いで間髪入れずの蟀谷にフック、頸部に手刀、鳩尾にアッパーの連続攻撃。その全てを左手によって防ぎ、いなす。最後の僕の眉間へ放たれたキマーラの巨大な右正拳を左手の掌で受ける。凄まじい衝撃波が発生し、銀行の建物を揺らす。
(この程度か……)
時期に黒髪眼鏡女の応援部隊が到着する。マスコミも殺到しているだろうし、流石に全国放送で衆目の的になれば嘉六さんに何言われるか……こんな雑魚と遊んでいる時間はないのだ。とっとと終わらせよう。
「っ!!?」
僕が奴の右拳を握り潰そうとした刹那、奴は顔を引き攣らせつつも、弾かれたように後方へと退避する。
どうやら真っ当な危機察知能力程度はあるらしい。キマーラの価値をやや上方修正する。
「そんな雑魚にいつまでもたついている!!
さっきお前が逃がした女は十中八九、祓魔師協会のエージェントだ。時期にここに雪崩れ込んでくるぞ!!」
「……」
キルの激高を無視して僕を注視するキマーラ。その顔には不安が汚点のようにくっついていた。
「お前、誰だ?」
ついさっきと全く同じ疑問。だがその意味と真剣さは先ほどと別次元のものとなっていた。そしてそれは耳障りなオカマ口調が消え、野太い声に変っていることである意味、実証されている。
「僕? そんなに知りたいなら教えてやるよ」
僕はゆっくり抑え込んでいた魔力を解放していく。
僕の全身から湧き出た濃密で暴悪な赤黒色の魔力は陽炎のように揺らめき、周囲へ漏れ出し、部屋中に吹き抜けていく。
(ば、馬鹿な、マンティコア様と互角、いや、それ以上? ……ははっ、馬鹿げてる! 勝てっこねぇ!)
キマーラの様子からどうやら僕の魔力が外部で可視化されると知覚する。そんなシステムらしい。
最後にあった余裕まで完全に消失し、キマーラは物怖じする小鹿のような表情で後ずさりを開始する。
「逃げる……わよ」
裏返る声で僕からキルを庇うように移動するキマーラ。そういやこの霊獣召喚のルールでは召喚士が死亡すると、精霊や幻獣は元の世界へ戻れなくなる。そんな術式だったはずだ。
「ざけんな!! まだ金庫に手すら付けちゃいねぇ!!」
「馬鹿野郎ぉ!! 見てわかんねぇのか? そんなレベルの奴じゃねぇんだよ!!」
遂にオカマ言葉すらかなぐり捨てしまった。
「大丈夫だよ。僕は君らを殺さない。だけどさ――」
僕は全力でキマーラまで疾走し、右手に顕現したルインで奴の左腕を肩口からぶった切るとその腕を掴みとり、バックステップで元の場所へと戻る。ちなみにルインは既に異空間に収容済み。おそらく僕の姿を認識すらできなかったこの部屋の者達には僕が突如奴の左腕を持っていることしか知覚し得まい。
「それが君達にとって幸運かはまた別の話だ」
左手でクルクルとキマーラの左腕を宙で舞い踊らせる僕。
「へ? そ、それあたしの腕? ぐおぉぉ!!!!」
両膝を床につき噴水のように血が流れ出る左肩を抑えるキマーラが僕にどぶ鼠のような怯えをたっぷり含んだ表情を向けて来る。
奴の左腕を地面に放り投げると奴にゆっくりと僕は近づいていく。
「くるな――」
拒絶の言葉を吐き出させるより前に、僕は奴の背後に移動すると奴の後ろ髪を掴み、床に叩きつける。ミシリッと蜘蛛の巣状に床が陥没する。
構わず僕は奴の顔を床に叩きつけた。何度も、何度も叩きつけた。
……
…………
………………
僕の前には肉達磨と化したキマーラが横たわっていた。断っておくが、一応、死んじゃいない。白魔術――《超治癒》で回復させながら、十二分に痛めつけた。顔は原型など留めないくらい変形しているが、殺されるよりかは幾分ましだろう。
僕が次の獲物へと視線を向けるとキルは腰を抜かしたのか、奇声を上げて正面のドアまで腹這いで移動しようとする。奴の前に跳躍し、その頭を踏みつける。
「許じて!!」
許す? そんなわけないだろう。仮にも僕の仲間を変態に売り払おうとしたんだ。此奴には死など生ぬるい地獄を見てもらう。さっき思いついた最高の術のプレゼントがあるんだ。気に入ってくれるかな。
バタバタと脚をもがれたゴキブリのように動く奴に右手の掌を掲げるが、キルは数回、痙攣すると動かなくなった。勿論、術などまだ発動しちゃいないし、頭を踏んづけている力もちゃんと加減している。
股間近くから湯気の立つ液体を鑑みれば、どうやらキルは気絶してしまったようだ。しかもよりによって失禁して。
此奴にはとびっきりの禁術のプレゼントを与えようと考えていたのだが、若干しらけてしまった。それに入口に無数の気配がする。それも尋常ではないレベルの――。
オルトロスは瀕死だ。このまま放置すれば彼は死ぬ。しかし、ここで白魔術を使うと多分、突入してくるエージェントに見られる。目立つのは殊の外マズイ。タイムリミットだ。僕はオルトロスに近づくと、抱きかかえる。身体を硬直させ、青白い顔を強張らせるが、これと言って抵抗はしなかった。
(それにしても男にしてはやけに華奢だな、この幻獣族……)
そんな一抹の不安を抱えながらも、僕は裏の非常口から外へ出た。