第7話 奇妙哀愁
午後の授業は精霊や幻獣の扱いを覚える実習だった。
「なぜ僕らは見学してるんだい?」
観覧席で隣に座り、ぼんやりと戦闘を眺める相棒へと半眼を向ける。
「……」
またダンマリか。どうやっても彼女は僕と話す気はないらしい。
肩を竦めて闘技場へ視線を向ける。
ほとんどが、レベル15~20。レベル10を超えると銃器は一切効かなくなる。この世界の人間としては最強だ。それは認める。
しかし、アルスの言の通りならこのゲームをクリアするためには僕クラスの強さがなければならない。
悪いが彼らじゃこのゲームのクリアは不可能だ。あの《裁きの塔》のマジキチ具合を見ればアルスの非常識さは予想できる。何せ下層でさえもレベル605の魔物、300体の総攻撃をくらう極悪さだ。彼らでは雑魚敵と遭遇次第一瞬でひき肉だ。
観覧席は実習の休憩所としても用いられている。今も若干数名は観覧席で休息している。
そして近づいてくる三人の人間と三柱の精霊・幻獣の一団。その中の一人にはこれまた見覚えがあった。陸人や纏など比較にならないほどの腐れ外道。何度殺しても飽き足らない僕の憎悪の対照。
「見ろよ、ネレイス! あのブスぅ、見学してるぅ!」
金髪の女生徒が見るに堪えない下品な笑みを浮かべ紅葉を指さす。そして女生徒の後ろには青色のドレスを着た人間種とは到底思えない美しい女性が佇んでいる。精霊だ。レベル二十四。この世界にいる精霊としてはかなりの強者だ。
「汚らわしい」
ネレイスと呼ばれた精霊は僕に冷たい嘲る瞳を向ける。
そういやいつだったかヘンゼルが言ってたな。精霊は他者の魔力に敏感に反応するって。僕から魔力を感じないからのこの反応か。
今僕は魔力を抑えてはいるが、通常人並みにはあるはずだ。それが全く感じない。やはり、考えられるのはアルスだが、そうするといくつか疑問が生じる。即ち、ウインディーネが僕の魔力を感知し得ていたわけだ。もしかしたら一定以上のステータスがないと僕を感知し得ない設定なのかもしれない。
「うわ~、本当だぁ~何の魔力も感じなぁ~い。ホント、才能ない奴っているんだねぇ~」
甘ったるい声を上げる黒髪ボブカットの女生徒。傍にいた金色の長い髪を後ろで縛った長身のイケメン男性が、相槌を打つ。
「そういうな、マキ、この世はお前のように才気あふれるものばかりではない。どこの世も、出来損ないというものはいるものだ」
「だよねぇ~、あんなヒトモドキ召喚したら私ショックで死んじゃうよぉ~」
凄まじい怒りを眉の辺りに這わせながら紅葉が勢いよく立ち上がり、奴らを睥睨する。
紅葉にとってただの人間の僕を召喚したことは人生最大の汚点だろうし、怒るのも無理はない。
「な、何、此奴ぅ? 生意気ぃ!! シルル、やっちゃってぇ~!!」
「愚かな人間。我が主の命だ。悪く思うなよ」
嘘つけよ。その喜悦の笑顔、弱者をいたぶることに快感でも覚えるんだろう?
兎も角、紅葉の危機だ。切り抜ける方法はいくつかあるが――。
「止めろ、紅葉は僕の許嫁だ」
茶髪の壮絶イケメンがシルルから紅葉を庇うように立ちはだかる。
ヒロインの危機に、颯爽と登場する勇者。これが外道勇者――如月北斗の顔じゃなければ僕もそれなりに称賛するんだけれども。
それにしても許嫁ね。北斗顔の男に朱花の顔の女が将来添遂げるか。僕に無関係とわかっちゃいるが、どうしても受け入れなれない。
(今の僕途轍もなく気持ち悪いよな……)
自嘲気味に大きく息を吐き出す。この世でトップレベルに憎んでいる女に激似の女が他の男にとられるのが許せない。中々どうして歪んでやがる。
兎も角、もう少しこの茶番を観察してみよう。僕の役目はあくまで紅葉の保護だ。それ以上でも以下でもないのだから。
「小僧、どけ。邪魔だてするならマキの連れとて容赦せん」
シルルと茶髪イケメンを相互に見ながらもオロオロし始めるマキ。
「ギーヴル」
茶髪イケメンの声に応じてその背後から金の髪を長く伸ばした青い目の美女が出現する。金髪美女はジーパンに上半身黒色の水着姿であり、薄気味悪い笑みを顔一面に張りつけている。
「寛太ぁ、この男、貰ってもいい~?」
「好きにしろ」
寛太の了承の言葉にジーパン、水着女の顔が恍惚に染まり、目が血のように真っ赤に変色する。
「ちっ! 物狂いの類か。だから獣臭い幻獣風情は嫌なんだ」
「私ねぇ、綺麗なものが大好きなのぉ~」
「ああそうかよ。我個人としてはお前のような気狂いには吐き気すら覚える。しかし、お前のような異常者を屠るのも、《妖精の森》の一員たる我らの役目」
《妖精の森》? なぜここで僕らのギルドの話がでてくる?
そういや思金神から今精霊族のメンバーの希望者が殺到しているとの報告を受けている。どうやら精霊界に里帰りをしたお調子者のメンバーの数名が吹聴したらしい。まあ、心当たりは嫌っという程があるわけだが……。
僕個人としては精霊族についてよくは知らない。だから思金神の進言通り、精霊達の《妖精の森》への加入にテストを導入したのだ。
とは言え一応精霊族の新規加入者は僕に一度会う事になっていたはず。つまり、メンバーで僕を知らぬはずがないのだ。力も大したことがないし、多分ハッタリだろうが仮に真実ならこんな下種をメンバーに加える試験などないに等しい。試験の見直しが急務となる。
ギーヴルとシルルから魔力が放出される。《妖精の森》所属の児童達よりも貧弱な魔力に過ぎないが、それでもこの世界の住人には十分脅威のレベルだ。このまま傍観して未熟共の御遊戯により、紅葉が傷ついたのでは目も当てられない。そうは言っても紅葉の性格からして助けに入った許嫁を残してこの場を離れるのはよしとすまい。さて参った。
一旦退避するよう進言するべく横にいる紅葉に顔を向けるが、彼女は僕の手を握ると、闘技場の出口まで走り出し始める。
紅葉らしからぬ行為に完璧に面食らいながらも、振り払う理由など勿論なく黙ってついていく僕。
闘技場を抜けて校舎へ入り階段を駆け上がり、屋上へ一直線に向かう。
背後からは外道勇者北斗に激似の寛太の声が聞こえて来る。
屋上の扉を開けると外には出ずに、近くにあったロッカーに僕を押し込めると紅葉も入る。
結果的に僕の胸部に顔を埋める格好で息を殺す紅葉。朱花とそっくりな顔が僕の目と鼻の先にある。その事実に僕の心臓が激しく波打ち始めるのがわかる。
紅葉の僕を庇うようなその姿がかつての朱花に重なり、気持ちが騒めき出し、おぼろげな過去の何気ない風景が脳裏をよぎり出す。
情けない……情けないが、今確信した。結局僕は忘れたつもりになっていただけだ。例えそれが憎しみだったとしてもやはり僕は朱花を忘れることなどできない。何となくだがそれが良く理解できた。
身体の中を吹き荒れる正体不明の狂わしい気持ち。その制御不可能な切なさに紅葉を痛いくらい抱きしめていた。紅葉は顔を紅潮させ躊躇いつつも顔を上げるが、僕の顔を視界に入れるとその目を大きく見開く。
数分の間、僕はロッカーの中で紅葉を抱きしめていた。
授業終了を知らせるチャイムの音が鼓膜を刺激する。
「ライト……授業が終わったし、そろそろ離して欲しい」
躊躇いがちにも尋ねて来る紅葉。
「あ、わるい」
慌てて紅葉の両肩を掴み、その身体を離す。彼女は熟したイチゴのように真っ赤になって俯いたままでいた。
さっきのが最後。僕の自分自身でも説明できない不可思議な気持ちにこれ以上彼女を付き合わせてはいけない。
「ありがとう」
沈む気持ちを抑えつけ、顔に無理矢理笑みを作り彼女に感謝の言葉を述べると、ロッカーから出て階段を駆け下りる。
「ちょっ――」
今は考えるのはやめだ。色々動かなければならない。紅葉に気付かれないようにできる限り静かに速やかに。
まず、職員室へ行き犬童先生に粗方の経緯を説明し対処を頼んだ。
犬童先生は、当事件は学校側で全て処理をすることを理由に、僕にくれぐれも軽はずみな行為をするなと何度も念を押してきた。
無論考えもなく衝動的に動く気などないし、先ほどは殺気すらない未熟者達の単なる小競り合い。殺し合いではなく、学校側が動けばすぐにでも沈静化する性質のものだ。
それに僕が不用意に動いてそれが紅葉の耳に入り、第二ルールに抵触なんてふざけた事態は可能な限り避けたい。
僕自身が動くのは奴らが道を決定的に踏み外しそうになったとき。だから今後、僕が目を離した隙に紅葉が襲われる可能性も念頭に動かなければならない。こんなときルール四――被召喚者は召喚者に魔術やスキルの才能や魔術道具や武具を与えてはいけない――が正直痛い。紅葉の保護の対策も必要だ。
その保護対策の其の一が織部嘉六への電話だ。
ロッカーに紅葉と隠れていたところまで、端折らずにほぼ事実通りに説明し、学校外での紅葉の保護を頼む。無論、保護されるとわかれば彼女は臍を曲げる。だから彼女に知られないようにという条件を付与した。嘉六はこの条件付の僕の依頼を二つ返事で了承する。孫が危険にされたのだ。怒り心頭かと思ったが、逆に機嫌は著しく良くなっていた。一体この反応はなんだろう?
最後が紅葉の学校内での保護。学校外は嘉六に任せた。見るからに過保護気味な嘉六なことだ。それなりの実力のある者を護衛につけるだろう。ならばあとは学校内だけ、目を光らせていればいい。
その騎士の候補は奈美、来栖の兄妹。少々、いや、大分、過保護すぎるかもしれないが後で、事情を二人にも説明し協力を仰ごう。あの二人なら僕以上に憤り、必要以上の協力はきっとしてもらえる。
教室へ戻ると紅葉は奈美、来栖と窓際で談話している。その姿を見てほっと胸を撫で下ろす。
二人には部屋を出たすきに事情をさらっと話した。
反応はまさに想像通りであり、対照的でもあった。
案の定、奈美はシルルとマキに殴り込みをかけようとする。
精霊や霊獣を使用した戦闘は闘技場以外で認められておらず、少なくない罰が下るはず。そう伝え何とか思いとどまらせる。
対して来栖は僕の判断にそうかと相槌をうつだけだった。
二人に今後紅葉が今後、奴らに狙われる可能性をほのめかすと、あっさりできる限り紅葉の傍にいる事を約束してくれた。