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第5話 共同生活の始まり

 目が覚めると何時も代わり映えしない私の屋敷の天井が見える。

 私は低血圧で朝は滅法弱い。悪夢で魘されて起きない限り、起床数分間はボーとして何も考えられないことなどざらだ。特に今日はひどかった。ほとんど半分眠った夢遊病に近い状態で自室の扉を開けて一階の洗面所へ向かう。

 洗面所で顔を冷たい水で数回洗い、顔を拭くタオルを探すべく視線を周りに向ける。


「はぁ? 何これ?」


 素っ頓狂な声が喉から出る。あれだけ山のように積まれていた洗濯物が全部綺麗さっぱり消失していた。慌てて廊下に出ると声を失う。ゴミどころか埃一つ落ちていない。文字通りピカピカだったのだ。

頭にかかっていたモヤが一瞬にして吹き飛び、昨日の私が召喚した黒髪の少年――ライトの姿が脳裏に浮かぶ。

 サーと血の気が引いていき、動機も激しくなる。

 無意識にも喉が崩壊しそうなほどの大声を上げていた。

 リビングまで転がるように廊下を爆走し扉を開けるとそこには私のとびっきりの絶望がエプロン姿で珈琲を入れている所だった。

 言葉が上手く口から吐き出せない。ただ哀れな死に掛けの魚のようにパクパクと動くだけ。


「あ、あんた……」


 これが紅葉の精一杯の抵抗だった。ライトは私を一瞥するとさも不快そうに表情を曇らせ口を開く。


「朝食はできてる。君のお爺さんも来ているし、まず顔を洗って着替えて来な」


(着替え?)


 自分が下着姿であることを思い出し、ライトの言葉とその表情の意味を理解し、火が出るように身体中が発火していく。半分は羞恥から、もう半分は屈辱から。


「くっ!!」


 部屋に駆けこむと、枕を持ち思いっきり壁に叩きつける。


(くそっ! くそっ! くそぉっ!!!)


 ――ライトの私に対するやけに達観した態度が気に入らない。

 ――ライトの私を幼い子供扱いするその態度が頭にくる。

 ――ライトの私のことを何でも知っているふうな態度に腹が立つ。

 ――ライトの私に向けられていたさっきの嫌悪の籠った表情が何より許せない。

 

 枕を殴り続けてようやく気持ちが落ち着いて来た。それでも本来の数十分の一ほどではあるが、冷静に物事を考えられるレベルにはなっている。

 当たり前だが、昨日のことは全て現実。そして私は霊獣召喚という人生最大の賭けに敗けた。昨晩、ライトのあまりの無礼な態度と言葉に自室でふて寝したはいいが、疲れからか朝まで泥のように眠ってしまったようだ。

 それにしても――


(私――子供かい!!)


 自分自身に壮絶に突っ込みつつも、頭を抱える。

 いくらライトが不躾けで、無遠慮な奴だとしても彼は今回の被害者であり、本来なら私を何度殺しても飽き足らないほど憎んでしかるべきだ。それにあの塵屋敷がゴミ一つない清潔感溢れる空間へと一夜にして早変わりした。彼が徹夜で大掃除してくれたことは間違いない。それなのに碌に謝罪も感謝も述べちゃいない。

 本来なら今頃霊獣召喚に失敗した件につき命の尽きかけた蝉のように落胆しなければならないのだろうが、幸か不幸か、ライトの対応に頭が占拠されとてもそれどころじゃない。


 ノロノロと制服に着替えると一階へ降りていく。リビングの扉を開けると私の正面の席に座るライトと目が合った。

 さっきの私の醜態を思い出し、顔があり得ない程紅潮していくのがわかった。目を伏せて席に座るとパンを口に放り込み、目玉焼きも一飲みにするが、咽喉に詰まり息ができなくなってしまう。

 呆れたように肩を竦めると席を立ちあがると珈琲を私に渡してくるライト。その幼い子供に対する母親のような反応に、情けないやら、悔しいやらでひったくるように飲み干すと逃げ出すように自室へ退避した。


               ◆

               ◆

               ◆

 

 お爺ちゃん達が帰り、私もそろそろ学校へ行かないと遅刻する。

 でもライトと顔を合わせたくない。これは一ノ鳥のような嫌悪感ではない。寧ろ感触としてはあの世話好きで優しそうなところなど、普段の私ならいい線いっていると判断しているところだろう。いくら私の好みの男性像であっても、如何せん決定的にライトと私は相性が最悪なのだ。それは昨日から数回話してもはや疑いはない。本来なら関わらないに限るが、私のしでかしたことの大きさを考えればそういうわけにもいかない。

 重たい気持ちに対応するように脚は鉛のように重かった。

 

 一階へ降りてお腹に力を入れてリビングの扉を開けるともぬけの殻だった。

 ほっとする気持ちとこうも振り回しくれるライトに理不尽にも腹が立った。 



 清慶学園の祓魔科の校舎へ入ると、生徒達の視線が一斉に紅葉に集まる。


(私の周りだけまるで異世界のようだ)

 

 そんな阿呆な感想を抱きつつも、下駄箱を開け靴に手を掛ける。


「紅葉た~ん!」


 色欲まみれた声とともにお尻を撫でまわされる。振り向きざまに脚を勢いよく上空に上げて高く上がった踵を色情魔の顔面にぶち落とす。

 普段なら彼女の頭頂部に踵がもろに決まって恍惚に(・・・)悶えているところだが今日は脇から伸びる右手により防がれていた。パーカーを着用した灰色髪の中性的な美少年。ただし頭には耳も生えてるし、犬歯も鋭い。彼が奈美(なみ)が昨日召喚した幻獣。


「わりぃな、本心では平然と見過ごしたいところなんだが、一応、こんな変態でも俺の主人だからな」


 灰色髪の少年はすまなそうに頭をカリカリと掻く。言葉遣いは粗野だが、紳士的な幻獣らしい。


「ブヒイイイイイイ――」


 奇妙な奇声を上げながら私の胸に顔を埋めようとする奈美(へんたい)


「いい加減にしろや!!」


 奈美(へんたい)の後ろ襟首をムンズと掴むと灰色髪の少年は額に太い青筋を張らせながらも、私に左手を僅かに上げて謝るような仕草をすると二階への階段へと姿を消していく。


 教室へ入る窓際の席に座り、机に突っ伏す。

 クラス中の視線が集中するのが気配でわかる。ただし決して話しかけてくるわけではなく、ヒソヒソと感じの悪い噂話に花を咲かせるだけ。十中八九、嘲笑だろうが端から私はクラスで浮いていた。さほど気になるわけではない。寧ろ、教室内の方がライトと顔を会せるよりはなんぼか心が休まるというものだ。


「紅葉」


 机の前に気配を感じて顔を上げると真っ赤な髪に赤い瞳の少年――来栖が気遣わしげな表情で私を見下ろしていた。


「ん? そんな神妙な顔してどうしたの?」


「……」


 暫し無言で来栖は紅葉を観察していたが、緊張していた顔の筋肉を緩めて席を離れていく。

 何だったんだろう? まあ今は他人に構っていられるほどの余裕は私にはない。

 直面している問題は私の召喚術によりこの世界での生活を余儀なくされたライトに対する保障。

 ライトは私の召喚のせいで住む場所すらない。彼の寝床となる場所を直ぐにでも手配する必要がある。ライト一人の住む場所ならお父さん達が残してくれた遺産で何とでもなる。ただライトがそれを受け入れるかはまた別問題だろうが。

 次はライトの帰還の方法。ライトは私が他人の手を借りることに不満そうだったが、お爺ちゃんに頼もう。今は恥や外聞を気にしている場合ではない。それほどの過ちを私は犯してしまったのだから。

最後はライトのこの世界に滞在中の金銭等の問題だ。これもお父さんの遺産を切り崩すしかあるまい。

 最低でもこのくらいの保障は必要だろう。

 そこまで考えたとき担任の犬童(いんどう)先生が教室に入って来る。

 先生の後に続く人物を視界に入れ、私は即座に席を立ち上がり、絶叫を上げた。


               ◆

               ◆

               ◆

 

「あ~え~と、転校生を紹介するよ。皆も知っての通り、昨日の召喚で呼ばれましたライト君で~す」


 転校生じゃねぇだろう!! それがクラスの満場一致の見解だ。勿論その筆頭は私だったわけだが。


「ども、ライトです。よろしく」


「ちょ、ちょっと待ってください、犬童(いんどう)先生。彼は私が召喚し――」


「はい、はい、は~い。ライト君は織部さんの隣ねぇ。じゃあ、皆今日も張り切って行こうか」


 犬童(いんどう)先生はパンパンと手を叩くと、私の言葉を遮る。こんな強引なことをする人物には心あたりがある。ならば犬童(いんどう)先生を初めとする他の先生の篭絡もとっくの昔に完了済みだろう。異議を申し立てても時間の無駄だ。

 私の隣の席までくるとライトは顔を近づけ、こぼれるような笑顔で囁いてくる。


「よろしく、紅葉」


 理由もなく、滑稽なほど顔が紅潮していくのが自分でもわかる。必死で誤魔化そうと顔を背ける。一時間目の授業は全く頭に入らなった。


               ◆

               ◆

               ◆

 


「終了まで十分ほどあるけど丁度キリがいいから今日はここまでにします。

 復習だけはするようにね」


 教科書で机をトントンと叩くと、それを小脇に抱えて教室を出ていく。


「話があるからついてきて」


「了解」


 ライトも立ち上がり、私の後に続く。多分今私は般若のような顔をしているんだと思う。

私の前にはモーセの十戒のごとく人の道ができていた。その人の道を全身から怒りを体現させながら歩く私と全く動じたふうもなくついてくるライト。


 屋上へ到着し、ライトに向き直る。


「どういうつもり!?」


 憤りで感情を上手く制御ができない。


「何が?」


 キョトンとした顔でライトは尋ねて来た。その毅然とした態度が私のさらなる怒りの導火線に着火する。


「転校の件よ!!!」


「叫ぶなよ、ビックリするだろ」


「な――ぜ!!」

 

 肩を竦めるとライトは私の目を見つめる。それは恐いくらい真剣な顔つきだった。


「決まってる。君を守るためだよ」


「私を……守る? 貴方が?」


(はは……こいつ何を言ってるんだ?)

 

 驚愕を通り越して笑いが口から洩れて来る。ライトには私を守れない。

 私も法術師だ。他者の魔力量くらい感知できる。ライトからは一般人程の魔力も感じられない。さらにみるからに碌に鍛えた事もなさそうな虚弱体質。いずれの観点からも私レベルの戦いで役に立つとは思えない。


「そうさ。だから僕はこれから常に君と一緒にいるよ」


 異性にこんな告白のようなセリフを真顔で伝えられたのは生まれて初めてだ。


「だ、駄目にきまってるでしょ」


だからドモリまくりながらも、早口で拒絶の言葉を吐き出す。


「悪いけど、君、昨日自分にできる事なら何でもする。そう言ったよね?」


 そうきたか……でもなぜそこまでして私を守ろうとする?


「……」


「都合が悪いとだんまりかい? 

まあいい。兎も角、僕の望みは君の傍にいること。君自身で言った言葉だ。今更反故するなど僕は許さない」


「なぜ……私を守ろうとするの?」


 私は無力なライトに守られるなど絶対に許容しない。だからライトの目的など聞いても意味はない。なのに私の口から出たのは拒絶の言葉ではなく疑問だった。


「……それ言わなきゃダメかい?」


「ええ」


 嘘だ。聞く意味などない。なのにライトの次の言葉に動悸が激しくなり、息が詰まるような思いが走り抜ける。

 ライトは暫し腕を組んで空を見上げていたが、私の目を見つめて来る。私の喉がゴクリとなった。


「君のお爺さんに調べてもらったのさ。君が発動した霊獣召喚により、僕は君が死ねば元の世界に帰れなくなるらしい。だからだよ」


「それ……だけ?」


「ああ」


 やっぱりこいつは最低だ。このとき私の心の中にあったのはその言葉だけ。同時に私の身体の芯にあった正体不明の熱も急速に冷めて行く。

 彼の立場になれば元の世界に戻れなくなることが最も避けるべき事態のはず。本来尋ねるまでもない。にもかかわらず私はこのときどうしてもライトが許せなかった。


「そう! なら好きにすれば!」


 これ以上ライトとの会話に意味などない。もはや視線すら向けず、校舎への扉まで速足で歩いていく。

 

「ついてこないでっ!!!」


 私の後についてくるライトに声を張り上げると勢いよく校舎の中に入った。




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