第3話 提案
重労働もいいところだ。紅葉の生活力の無さを少々僕は甘くみていた。
衣服や下着は廊下やリビングに脱ぎ捨てられ山のように積まれている――せめて浴室へ放り込め!
廊下には捨て忘れたのか捨て損ねたゴミ袋が山のように重なりゴミ集積所のようになっている――ゴミくらいちゃんと外に捨てろ!
台所の流し台にはカビが生えた食器で埋め尽くされている――食器を使ったら洗え!
近くには民家はない。多少音がしても苦情がくることはない。この惨状を引き起こした紅葉などに気を遣う必要はない。徹底的に掃除させてもらう。
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もう、五時、無論朝の五時だ。結局、一晩中かかってしまった。
屋敷中のゴミを外の庭に一か所にまとめた。あまりの量なので嘉六さんに相談しようと思う。
それから一時間、今の僕の置かれている現状を再確認した。
まず魔術とスキルについて。ほぼ問題なく作動可能。唯一の例外は【終焉召喚】を初めとする召喚系の魔術やスキルが使用不可となったこと。二重召喚を原則としてルールでアルスが禁止したのだと思われる。
またどういうわけか思金神とコンタクトが取れなくなっていた。常識から考えてばアルスの仕業とみるべきだが、あの悪逆スキルは成長を促すためなら僕を谷底に突き落とすことも平然とするようなスキルだ。このゲームへの参加も奴の掌の上ということも十分考えられる。今は五分五分と考えるべきだろう。
次が【神帝の指輪】とルインについて。
ルインの顕現には何ら支障がなかった。どうやら僕個人の戦闘については障害がないようだ。
ただ予想通り、【神帝の指輪】は解析と翻訳機能以外の機能は全て使用不可能となっていた。つまり無限収納道具箱や帰来転移等は使用不可と考えて一先ずは良いと思う。
さらにアルスから貰ったカードにはこの世界の設定とこのゲームの詳細なルールが収納されていた。いわゆるゲームの取説というやつだ。ルールの詳細は今晩から目を通すことにして、世界設定だけはこの時間を利用し読むことにする。
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(あの野郎っ!!!)
この世界の設定を読む度に嵐のような激しい怒りが何度も襲いかかって来ている。
世界の外敵であり、一億人を殺戮した血のクリスマスを引き起こした妖魔――これは二十世紀初頭流行った《妖魔伝》というレトロ漫画のパクリ。
そして鬼は二十世紀初頭に流行ったゲーム《鬼切丸戦記》の設定に酷似している。思い返せば、あの電光掲示板も主人公が式神を召喚する際に用いられていたものと激似だ。
アルスの奴、よりにもよって自分の娯楽のために一億近くの人々を殺戮した生物を創り出し世界に放ったことになる。僕の勘は正しかった。奴は世界にとっての害悪、駆除すべき敵だ。今はまだ僕はアルスの掌で泳ぐ駒にすぎない。だがそれももう少し、奴が犯した罪はきっちりその身をもって清算させてやる。
六時半となった。そろそろ、朝食を作ろう。
冷蔵庫にはまだカビていないパンと卵とバターがあったので、トーストと目玉焼きを作る。これにインスタント珈琲を加えて朝食の出来上がりだ。久々の質素過ぎる朝食だが、これはこれで悪くない。
七時になると宣言通り嘉六さんと良治さんが訪れたのでリビングへ通す。
嘉六さんは一晩での屋敷の変わりように当初よほど驚いたのか目を白黒させていたが、直ぐに悪い笑みを浮かべてブツブツ呟いている。嘉六さんのその姿は悪巧み中の思金神を想起させ背筋に冷たいものが走る。ちなみに家の外に積まれたゴミは無事、嘉六さんに処分してもらえることになった。
七時になり紅葉が起きたのか洗面所へ脚を運ぶ気配がする。紅葉の分のパンをトースターに入れて焼き、焼き立ての目玉焼きを彼女が昨日座っていた席に置く。後はインスタントの珈琲を入れて出来上がりだ。
脱衣所で悲鳴が上がる。次いで廊下を走る音。
下着姿のままで凄い勢いでリビングに飛び込み、僕を指さしパクパクと口を動かす紅葉。昨日の出来事が夢かなんかだと現実逃避でもしていたか、それとも単に寝ぼけているのか。
(此奴、自分が今どんな格好しているかわかってんのか?)
見た目が朱花の姿なのだ。正直この手の醜態は目にしたくない。
(……まただ。また僕は……)
「あんた……」
頬を引き攣らせながらも僕から視線を外せない紅葉。
「朝食はできてる。君のお爺さんも来ているし、まず顔を洗って着替えて来な」
「くっ!!」
怒りか、それとも羞恥からか顔を火のように火照らせてリビングの扉を乱暴に閉める。
十分後、制服に着替えた紅葉は席に座るとパンを口に詰め込み、目玉焼きを飲み込んで喉に詰まらせる。
珈琲を差し出すと、すごい顔で睨まれた。完璧に嫌われたらしい。その割に珈琲を一気飲みして二階へ駆け上がって行く。餓鬼か此奴……。
「すまんのう、ライト」
そんな一ミリも済まなそうな気持ちが籠っていない声色で謝罪されてもね。寧ろ、この人からにじみ出ているのは歓喜。
「それで御用は?」
紅葉がリビングを出ていくとき呼び止めなかったことからも、嘉六さんの目的は僕だ。
「良治」
「はっ! ライト様、これをお持ちください」
良治さんが僕の前にスマホ、制服を三着、カード三枚に、通帳一枚、鍵を僕に渡す。
「儂からの詫びじゃ。是非受け取ってくれ」
詫びね。白々しい爺さんだ。この様子、きっとそれだけじゃない。
まずは銀行の通帳、カードと暗証番号が記載された用紙。通帳内の金額は僕の予想と桁が二桁ほど異なっていた。一億円程入っていたのだ。僕が元の世界に帰れないことを見越しての見舞金ってところか。僕にはこの世界で金を稼ぐ手段はない。あってこしたことはない。
次が住民カード、住民票の変わりだろう。この御仁、かなり無茶したようだ。まさか公式に僕という存在を作り上げるとは思わなかった。
この世界には念話はない。第二ルール『被召喚者(君)は召喚者に己の力を悟られないように努めなければならない』がある以上、紅葉と連絡とるには手段が必須だった。このスマホは正直助かる。
最後が学生カードと制服三着、そして多分この屋敷の鍵。
「僕にあの学校へ通えと?」
「そうじゃ」
確かに学園には紅葉がいる。紅葉の魔力はレベル30に相当するほど高いが、それでも他の値はレベル4~5のものにすぎず、妖魔の強襲にでもあった場合、僕がいなければ即死亡だ。僕は学園内にいる必要がある。だけど、学園内に僕が存在するためには僕が人間である以上、学園関係者でなければならない。だから用務員としてでも雇ってもらうよう働きかけようとは思っていたのだ。この嘉六という御仁は顔が広そうだし。
あの学校の雰囲気はいけ好かない明神高校と酷似していた。僕はごみ溜めに好き好んで近づくほど変態じゃない。しかし、事情が事情だ。この際、僕の感情などどうでもいいし、学生の方が寧ろ紅葉を守り易い。
「了承いたしました。僕もその方が好都合ですし。でも最後の鍵、この屋敷のものですよね? 僕が紅葉さんと一緒に住んでも問題ないんですか?」
「構わん、構わん。紅葉は儂に借りがある。ライトとの生活は何が何でも受け入れさせる」
多分、紅葉は僕を嫌ってはいるが、僕がこの家に住むこと自体拒みはしない。拒むくらいなら端から昨日謝ってなど来ないだろうし、僕に負い目もある。
だが彼女と僕は妖魔討伐のパートナー、いわば運命共同体。彼女との最低限の信頼関係は必須条件だ。できれば彼女の明示ないし黙示の了解を得てから鍵は貰いたい。
「了解です。でも鍵は紅葉さんの了承をもらい次第にさせていただきます」
嘉六さんは頷くと口を開く。
「それとじゃな、お主の力、世間には隠しておいて欲しいんじゃが可能か?」
僕の力を隠したいか。理由は複数思いつくがまだ僕はこの人達の事をよく知らない。不用意な予測は害悪でしかない。
それに、アルスのルール其の二――被召喚者(君)は召喚者に己の力を悟られないように努めなければならない――がある。下手に断ってルール2に抵触しないとも限らない。受けない選択肢は僕にはない。
「それも僕は異論ありません」
「そうか、そうか、うん、うん。それでは早速、校長と教師達に会せよう」
僕のこの返答がよほど嬉しいのか目を細めるとテンションが一段と高くなり、立ち上がると、玄関へ向かう嘉六さん。
良治さんも小さいため息を吐くとリビングの扉へ手を差し僕を車まで案内してくれた。