第61章:「狂気に囚われし者」
たしかに驚きはした。
こんな、マキナの中でも森と機械が隣接する辺境な地へわざわざ赴いてくるなんて。
そしてさらにここが蠍の本拠地であることに気づいたことが。
不思議で仕方がない。
彼は本当に理性を持ってここに来たのか。
ただの偶然か。
鬼たる本能か。
魔神たる本能か。
どれにしろ・・・私には部下を殺されたという、彼に対する猛烈な怒りの理由を持っている。
仕事柄、死を目の当たりにするのは珍しくない。
実を言うと彼に壊された部下は新入り。
われを失うほどの怒りはこみあげてこない。
それでも―――
私には、彼にこの部下と同じ道を歩ませなければならない。
それが長たる私の使命。
今回は退けない。
他の部下がみている以上、そうしなければならない。
いくら訓練されているとはいえ、蠍の構成員も人間。
見殺しにした上に、弔いの言葉すら上げない上司では、部下たちの犬のごとき忠誠心が揺らぐ。
どうあっても―――どんな形であっても―――彼を"負かす"しかない。
生死を問わずに・・・ただ―――負かさなければ。
目にも止まらぬ攻防。
周りの様子を考えた上で、侵入者をどうするか決断するギルバート。
この状況で、彼は最も冷静に事を進めた。
一方のルージュといえば、理性という理性を失い、今、眼前にたたずむ邪魔者を排除すべく、狂気のままに行動していた。
「それでは、改めてお手合わせ願いましょう。黒の子よ。いや・・・貴方は子と呼ぶにはあまりに恐ろしい形相をしている。黒の魔神とでも呼びましょうか」
「カカカッ」
奇妙な笑い声と笑みを浮かべ、ルージュは突っ込んだ。
ただまっすぐに。
つまらない、そう立ち尽くすギルバートの口が動いた気がした。
数メートルの距離を一瞬で飛び越えて向かってくるルージュの直線的で鋭い突き。
すさまじい助走を上乗せして繰り出されるその一撃は、石の壁すらも音を立てずに突きぬけそうなほどの勢いと、殺気を伴っていた。
が、どんなにスピードとパワーがあっても当たらなければ意味がない。
それを体現するように、ギルバートは易々とその突きを退けた。
神速の突きが自らの顔に触れる前に、ほんの小さな力をルージュの腕に与え、軌道を変えていたのだ。
周りの誰にも見えてはいなかったが。
「貴方は・・・すでにただの獣になり下がった。おそらくここを見つけた時までは多少の理性は持っていたのでしょう。そうでなければここまで来れるわけがない。そう私は判断する。だが今は、私が相手をするまでない、弱い獣になり下がった」
「カカカッ・・・死ネ」
「ッ!」
零距離。
押さえている左腕。
攻撃を止められた彼は本能的に私から離れると思っていた。
否。
彼の起こした行動は、零距離からの右突き。
情報では彼は腕を武器として使わない、はずだった。
なのに・・・なんだこの威力は。
左腕の感覚がなくなる。
いや、左腕自体の感覚はある。
だが、ない。
私の左腕があるべき場所に、ない。
「くっ!」
「ギルバートさん!!」
放たれたルージュの右突きは、明らかな殺意と、魔神の如き威力、そしてなんらかの怨みを含んでギルバートの左肩を貫いた。
というよりその場所を通過した。
まるでギルバートの肩などなかったかのようにただそこを通ったのだった。
たまたまそこに彼の肩があり、通過進路を邪魔したために壊された。
そんな感じだった。
余った勢いを体全体で受け止めたギルバートは吹っ飛び、壁に叩きつけられる。
隅からミレアが駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!!」
「どいていなさい・・・ミレアさん」
「しかしっ!」
「どきなさい」
「う・・・」
それは初めて表に出したギルバートの殺気だった。
細長い目を鈍い光でギラつかせ、茶色の髪を"残っている右手"でかき上げる。
「侮っていましたよ。そういえばそうだ。貴方はもしかしたら唯一"黒の神"に創造された民なのかもしれないのだ・・・その可能性を忘れていた」
さらっと口にしたその言葉に、ルージュの思考は強く、妙な刺激を伴った痛みを認識する。
「黒の神・・・」
混乱した。
「なんだ・・・」
錯綜した。
「オレは・・・」
そして思考が止まった。
(落ち着け)
頭のなかに響いた言葉は、ギルバートの声によって遮られる。
「逝きなさい。我が雷のもとで」
ギルバートの右腕から黄色い煙がもくもくと現れ、立ち上り、ルージュの頭上に溜まった。
次の瞬間、天井から雷鳴が轟き、黄色い閃光が部屋を満たした。
視界が戻ったとき、ルージュは倒れていた。
ほのかに肉が焼けた、嫌な臭いが漂い、また、部屋を満たす。
ギルバートは左腕付け根から血を流しながら、落ちている自分の腕を拾った。
「ミレアさん。地下に残っている医療部隊を連れてきなさい。腕を繋ぎます」
「は、はいっ!」
「まったく。てこずらせてくれます。しかし本当にこれで良かったのか・・・。我が神よ、少しくらい教えてくださってもいいのに・・・」
そう言って、また前髪をかきあげた。 |