第50章:「蠍」
ルージュ達が忍び込んだ王宮とほぼ同じような作りをしたもうひとつの宮殿。
そこでこの国の長たるマキナ皇帝は微笑を浮かべていた。
それは余裕の表情なのか、もしそうなのなら愚かだ、とシグラは内心で思っていた。
が、それを口にするわけでもなく平然と冷たい微笑を崩さない。
皇帝は玉座の間から階段を少し降りたところで窓から顔を出していた。
珍しく隣に護衛をつけていない。
その隣にはシグラとディアが立っている。
「美しいな」
「?」
シグラはその言葉に反応しきれずに唖然とする。
それを待っていたかのように皇帝は声を上げた。
「この国は美しい。あらゆる進展の中で最もいい道を選んだ。科学という名のな」
「仰る通りデス陛下」
心にもないことを口先だけで唱えておくシグラ。
ディアはその点に幼すぎ、ぼろを出しかねないのでシグラから黙っているように指示されている。
つまらなさそうに壁を指の爪でひっかいていた。
「これでロワ・エスカリエを制圧できれば天下は余の物だ。しかしそれでは次の目標が無くなってしまうな」
高らかに笑うマキナ皇帝は本気で言っているらしかった。
シグラはいっぺんに否定することもできなく、ただ神妙に頷く。
そして冗談めかしてこう言った。
「それでは陛下。すべてを我がものとした後は―――世界を作り直してはどうしょうか?」
「ふむ、お主からそんな言葉が出るとは思いもしなかったぞ。だが・・・それもいいな。世界を作りかえるか」
どこか遠くを見るように皇帝は目を細めた。
そこに何を見出しているのかシグラにはわからなかった。
わかりたくもなかった。
「陛下、ワタシはこれから私用があるのでこれにて失礼します」
「お主の働きには期待しているぞ、シグラ」
「恐縮デス」
白銀の髪の青年はディアを小声で呼ぶと長い階段を下りて行った。
「これから忙しくなりそうデスね」
誰にも聞こえないように呟いた。
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
まばゆい光が宙に拡散した。
ヴェントは自分の影が足元の前に出たことに驚きながらもそれがセレの仕業であると確信したので少し安堵した。
正面に面している林。
裏側には背を向けて走るセレ。
なんとしてもセレに攻撃を通すわけにはいかないと思っていた矢先。
セレの体から一瞬にして光が発散した。
それはセレの色の力だった。
数秒間光り続け、ようやく辺りに普通の明るさが戻った頃、セレとネピアの姿は見えなかった。
足もとの影もすぐに裏側へ移動する。
今、太陽は自分の正面に位置していた。
そしてその暗殺者もおそらく―――
セレが放った閃光を直視したのか、木々の中に潜むはずの何物かは攻撃を仕掛けてこなかった。
だが逃げるに逃げれない。
もしそれがこちらの様子を伺うだけの布石だとしたら背を向けた瞬間血を見ることになる。
(こんなピリピリした緊張感は割に合わないな)
周りに隠れる場所はない。
どこから攻撃されてもおかしくない状況下にヴェントはいた。
一方の敵は身を隠す場所もあり、その能力も達人級である。
十中八九暗殺者が隠れているのは林の中だが、だからといってすぐにヴェントの"能力"を使うわけにはいかない。
確信のない攻撃を起こして、無駄に手の内を知らせるのは一種の自殺行為だ。
(よく考えれば今俺は絶体絶命じゃないか)
考えずとも背中から冷汗が溢れてくる。
緊張で指先まで震え始め、足が固まった。
ヴェント自身こういう修羅場を味わったことがなかったわけではない。
だが今回相手はおそらくその道のプロだ。
今はただ生きることだけを考えるしか道はない。
不意に口元に笑みがこぼれた。
それが何のためだかはわからない。
窮地に追い込まれたヴェントは覚悟を決めた。
「かかってこい!この陰湿野郎」
一向に表す気配を見せなかった暗殺者。
まともな悪口が思い浮かばなかったが、できるだけ嫌悪をこめてそう言い放った。
せめて姿が見えれば。
そんな藁をもつかむ思いでヴェントは頭をフル回転させていた。
ザッと林の中で音が鳴る。
(まさかね)
そのまさかだった。
数秒して中から姿を現したのは黒い装束に身を包んだ仮面の女だった。
肌にはりつくような薄い黒衣の上にローブを着ている。
服のせいか、妙に体の凹凸が目立っていた。
おそらくその上に着ているローブは武器を隠すために着ているのだろう。
純粋な素手での戦いでは少し邪魔になりそうなものだった。
何の躊躇もなく飛び出してきた仮面の女に少々驚いたように声をかける。
「まさか本当に出てくるとは思わなかった。もしかしてさっきの悪口に結構怒ってる?」
ひきつるような笑いを含みながらできるだけ挑発する。
だが女は反応すらしない。
と、聞こえるか聞こえないかくらいの声質で話し始めた。
「相手が1人だから出てきただけ。1人なら姿を見られても殺せば終わり」
(なるほど、物騒な輩だ)
声には出さないがそう思った。
いかにも隠密集団らしい話である。
つまりは自分を殺せばそれでまた真相は闇の中。
わかりやすいがそれゆえに確実性を持っている。
だがヴェントには少し思い当るところがあった。
「お前、"蠍"の者だろう?」
あまりに卓越しすぎている。
その能力、考え方、まさに密偵達のそれだ。
そこまで優秀な諜報機関はひとつしかない。
セレに教えてもらった組織名"蠍"。
彼女はその名を聞いた瞬間にほんの少し動いた。
動揺しているのだろうか、それとも咄嗟にどう処理しようか考えているのか。
どちらにしろその名に何らかの反応を示した時点で答えはひとつだった。
「なるほど、お前は蠍の人間だ」
威圧を込めてそう言い放った。
実際それがわかったところで何の助けにもならないが彼らには少し興味がある。
それにこの争いに負けたとしても勝ったとしても情報があるにこしたことはない。
後で役に立つかもしれないし、場合によっては金にさえ変わる。
(問題は、とりあえず死なないことか)
剣の柄を汗のにじむ手でがっちり掴んだ。
その様子に気づいた女も指の間に数本の針をはさんで構えた。
「・・・お手柔らかに」
ヴェントが土を思いっきり踏み込んだのと同時に、女も仮面を揺らしながら地面を蹴った。
ぶつかり合う互いの武器。
高い金属音がその場に響いた。 |