第44章:「孤独、刹那」
「何段あるんだこの階段はッ!」
悪態をつきながらヘルメスは宮殿内を走っていた。
素の速力ではルージュには敵わない。
おかげで今は1人で階段を上る始末だった。
ルージュはとっくに階段上部にいるだろう。
と、階段の途中にある一室にヘルメスは人影を見た。
眉をひそめ、内部の様子をうかがおうとするがなかなか聞こえない。
足音ならばたとえ轟音がなっていても聞き分けられるのだが、と思い余計不審に思ったヘルメスは足を止めた。
(上はルージュに行かせればいいか)
妙に興味をかきたてられる対象がこの隣室にいるはずだ。
そう思いすり足でドアに近づく。
と、今までに無音だったにも関わらず、突如として部屋から怒号が響いた。
「皇帝陛下はどこにいるっ!!言え!」
「む〜。そんな大声出さなくてもディアには聞こえるよ〜」
「クソッ!!こんなガキをよこしやがって」
「本性まるだしだね!」
楽しそうに声をあげているのは幼い少女だろう。
声質からも相手の言動からも容易に行き着くことができた。
ヘルメスはそのまま壁に耳をつけた。
「しょうがないから教えてあげるよ〜皇帝さんは第1宮殿にいるんだよ」
「それは本当だな?」
「うん!」
しめた、そうヘルメスは思っただろう。
わざわざ最上階へ登らなくても皇帝の居場所を知ることができた。
少女の言った情報が真実であるという確証はなかったが、ここにはいないと知っていたので十分な手掛かりとなった。
そこでヘルメスはさらに情報を求めようと部屋への突入を試みた。
相手はおそらく皇帝の側近と少女だ。
数瞬の間の後、ヘルメスはドアを蹴破り部屋へ飛び込んだ。
「ッ!何者だ貴様!!」
「・・・なんだと?」
ヘルメスは自分の目を疑った。
確かに少女はいたはずだ。
しかしそこに少女の姿はなかった。
椅子に座るかしこまった服装の男は即座に立ち上がり、壁に立てかけてあった細剣を手に取る。
疑問だらけの現状だがそのことは後だ。
ヘルメスは咄嗟にブーツの中から短剣を抜き、男が剣を振り上げるよりも早く彼の喉元を切り裂いた。
鮮血を散らし、膝からがくりと倒れる男。
すでに目に生気はない。
「バカな・・・さっきは確実に少女の声が・・・」
「あ〜殺しちゃった」
「ッ!?」
どこだッと大声をあげながら部屋全体を見回すヘルメス。
だがどう見ても人影はない。
「む〜ほかの人に聞かれちゃった。まぁいいや、シグラに言ってこよ〜っと」
あたふたするヘルメス。
それもそうだ。
どこからそれが聞こえるのかすらわからない音。
姿が見えない少女。
こちらは身を隠す方法すらない。
まずい、と思った。
今攻撃を仕掛けられたらそれを避ける術はない。
だが彼の思惑とは裏腹に、どうやら少女は部屋を出て行ったらしい。
なぜそう判断したのかは、蹴破られて部屋に散乱したドアの破片がいきなり動き、階段を下りる音がヘルメスの耳に入ったからだった。
ふぅ、と大げさに溜息を吐くヘルメス。
一命を取り留めた感は否めなかった。
「まったく…色術師というヤツらは―――」
それしかなかった。
人外なる力を発揮できるのは、人語を操るが本当に人じゃない生物か、色術師くらいである。
前者の例もこの世界では否定できないが、少なくともヘルメスはその職業の中でもほぼ見たことはない。
今のところは後者の方が強い要素だった。
いくらかの間、男が座っていた椅子に座すヘルメス。
すでに床は真っ赤に染まっていたが、ヘルメスは気にしていなかった。
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
ヘルメスが追ってこないことに気づいたルージュだったが何とも気にしてはいなかった。
むしろここは別々に行動した方が効率が良いとも考えていた次第だ。
ちょうどいいと思いながら残る数段をひとっとびで登り切った。
宮殿の頂上。
ドーム上に広がる高貴な空間。
ガラス張りの外壁をぐるっと眺めたルージュの眼前にこの部屋に似つかわしくない数名の人間が映った。
一段と高く供えられた玉座、その階段の最も下に3人の人間がいる。
うち2人は強固な体躯を見せつけるかのように軽い鎧しか来ていない。
だが問題は他にあった。
軽鎧の兵士などどこでもみられる。
中にはその肉体を自慢したいがために鎧さえつけないものもいるのだから。
しかし残りの1人はどうしたことか。
体が大きいわけでもなく、特に筋骨隆々というようにも見えない。むしろかなり細い。
その1人は女だった。
ゆらりと流れるような、かつ美しい着物を着ている。
赤い下地に紺の紅葉が待っているその着物は女性特有の美しさを倍増させていた。
ルージュと同じ真黒で長い髪の毛を頭の後ろで一本に縛り付けている。
顔は着物と同じように美しく整っており、たいていの男はそれで虜にできそうなくらいだった。
だがそれは妖艶さだけでなく、健康的な美しさも秘めている。
大きく、流れるように横に伸びている眼は美、そのものだった。
「また、嵌められた」
だがルージュはそれを気にもかけなかった。
確かに彼女は美しいが、今はそれ以上に皇帝の後ろに付いている何者かにうまくあしらわれていることが癇に障った。
ここは皇帝の居場所を聞ける者すら排除されていた。
つまり、ルージュ達がここに寄ることをまるで予言していたかのように用意周到なのだ。
愕然とするルージュ。
そこへ声がかかった。
「私の名はレン・ローレライ。手合せ願う」
(構ってられないな)
「申し訳ないが今はそれどころではない。後にしてもらおうか」
彼女は妙だった。
ここに待ち伏せしているということはルージュ達の暗殺やら何やらを依頼されているに違いない。
なのにわざわざ"手合せ願う"などと格式ばっているのだ。
(コイツは何か違うな。まだ隣の2人の方が"らしい")
(俺もそう思うぞ。あの2人の巨漢と着物の女が一緒にここで待ってられた事が嘘みたいだな)
(ああ、あの顔は殺したくてたまらないって顔だ)
2人の男は同時に走りだした。
ドスドス、と鈍い足音を鳴らしながら大きな剣を振りかぶる。
その大剣を振り上げる際の衝撃で、玉座の下にある銀のテーブルはボコボコにへこんだ。
彼らはルージュの首をとったと確信しただろう。
瞬間に振りおろした大剣はルージュの体を粉々に潰したように見えた。
しかし2人のうち一方が異変に気づく。
自分が常々自慢してきた太い右腕を何かが貫いている。
それは弾丸ではなかった。
巨漢の腕から頭を出していたのは"手"だった。
「え」
ブシュと血が噴き出る。
痛みにもがく巨漢はその場に倒れた。
その様子を間近で見たもう一方は恐怖のあまり数歩後ろに退いた。
「気が立っているんだ。オレの手を煩わすな」
静かに放った言葉。
巨漢の腕を貫いていたのはルージュの右腕だった。
血だらけの腕をブンと振り払いながらもう一人に視線を向ける。
悪魔のような赤い眼に怯えきった大男は我に返ったかのように叫び始めた。
「黙れ」
ルージュの脚が唸り、風を切った。
同時に不快な音が皇帝の部屋に響いた。
叫び声がなくなると、ルージュは女の方を振り向く。
できるだけ不快に思うような殺し方をしたはずだった。
滅多に使わない腕を使ってまで"穢れ"を求めた。
なぜか、彼女を手にかけたくはなかった。
それがどうしてかはわからない。
ただ、彼女に向かってきてほしくはなかった。
その女は、同じ匂いがした。
どこか寂しげな空気を纏っている。
彼女はあの場所の住人に似ていた。
眼も似ていた。
孤独を知りつくした眼だった。
(来るな)
最も早くルージュの異変に気づいたのはファフニールだった。
(ルージュ?)
呼びかけにも応じない。
ルージュはただ願っていた。
彼女が向かってこないことを。
血だらけの右腕を女に向け、威圧した。
だが彼女の眼は変わらない。
(諦めろ。あの女は向かってくるぞ)
ブリューナクもルージュを諭すように言った。
無情にもルージュの願いは叶いそうになかった。
彼女は左腰につけた鞘に手をかける。
(あの鞘の形状・・・太刀か!!ルージュ早く離れろ!!)
ルージュはようやく決心をした。
向かってくるものは排除するまで・・・嫌な響きが脳裏をよぎった。
(ルージュ!聞いているのか!早く離れろッ!!)
着物の女とルージュの間の距離はおよそ10メートル。
しかしブリューナクは叫んだ。
早く離れろ、と。
そしてルージュが2、3瞬きをする間にそれは起こった。 |