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異世界大陸幻想譚アルカーティス 作者:水夜ちはる

1章・螺旋の想い

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1章・螺旋の想い(4)

 漆黒の闇。
 この時代、夜という時間は月の存在がなければ、完全に闇が支配する世界となる。闇とは様々な妄想を人に抱かせ、未知は恐怖へといざなう。だが闇を完全に味方につけることができ、夜の帳の中を暗躍する者もいる。

 少女は豪奢なベットの上に華奢な身体を横たえて眠っていた。若い、と言うよりは幼い。十二、三だろうか。まだ女としても未熟である。そこにひたりと影が忍び寄った。否、闇の中で影は存在しえない。闇の中で更に暗黒が存在したのである。

 少女はその気配を察知して、目を覚ました。ほとんど偶然的な察知であった。そうでなければ、この殺した気配を感じることなど不可能に近い。
 その闇を見つめて少女は恐怖した。戦慄と言ってもよい。生理的に身体が小刻みに振るえだす。暑さからではない汗もふつふつと吹き出し、生唾が大きく喉を鳴らした。

 彼女はその闇を「暗殺者」と認識したからだ。無論、彼女は暗殺者と言うものをはっきりとどういうものなのか知らない。だが、それは本能的に察知していた。闇の衣の中で唯一露出した、蒼い目。その目は異常な光を放っており、その冷徹さは見る者の臓腑を貫いているようだった。
 その恐怖は刹那的なものではない。その目に貫かれた者は、暗殺の凶刃からのがれたとしても、一生脳裏に焼き付くであろう。それほど凄絶な眼光だった。

「……あ……ぁ……助けて……」
 少女は消え入りそうな声で、やっと言葉をだした。涙が溢れそうな瞳は小刻みに搖れている。シーツを小さな手で必死に捕らえているのは最後の抵抗なのだろうか。だが、そんな光景を前にして、暗殺者の冷酷な瞳は一瞬もゆらぎはしなかった。

「死ね」
 少女の網膜に焼き付けられたのは悪魔的な冷酷さを放つ眼光のみ。暗殺者のとぎすまされた黒い刃は、彼女の心の蔵を確実に貫いていた。

 こぼれた液体が激しく白いシーツを桜色に染めて行く。
 ひたすらに冷徹を続けた男は、最後の瞬間まで表情に変化をもたせずに、消えた。それは、正に闇にとけ込むようだった。暗闇のラルフォード。彼の名はそこにある。



「ラルフさん、いつまで寝てるんです? おきて朝ご飯食べて下さいよ。片付かないんだから!」
「う……うん、ごめん」
 ラルフは寝起きで重い頭を抱えながらベットから降りた。ゆっくりと背伸びをしながら、大きなあくびをする。ファティマの小さな拳なら三つくらい入りそうだ。

「ラルフさん。ずいぶんうなされてましたけど、悪い夢でも見てたんですか?」
「え? うん……まあね」
 ラルフは表情の無い顔でファティマに応えた。

 あの頃の夢をまだ見るとは……昨晩シレーヌに過去の話をしたからだろうか。

 ラルフはぼんやりとそんなことを考えた。ファティマにはその過去語ったことがある。この街で彼の過去を知るのは、彼自身と彼女のみである。
 ラルフはぼんやりした表情のまま、食卓に座り、ファティマが用意してくれた朝食にかぶりつく。ファティマはまだ十六歳だが、料理を始め家事に関しては熟練の主婦も顔負けである。無論、飯もうまい。生活無能者なラルフにとって、ファティマの存在は実に偉大な存在だった。

「ほら、ラルフさん、ここ掃除しますから、他行って下さい」
「あ、ごめん」
 食事を取るのが非常にのろい彼はいつもファティマのほうきに追い立てられて、食卓から追放される。

 彼がこうぼやいたところ、
「毎日掃除して、そんなに楽しいかなあ?」
「汚れたところが、きれいになることは楽しいですよ」
 と、ファティマは応えたのである。汚いところでも平気でごろごろしていられるラルフには一生かかっても理解できない高邁な精神なのだ。

 ともかく、ファティマのほうきによって食事の場を失ったラルフは、パンを加えたまま、玄関の方へ行き、段になっているところに座って落ち着いた。
 この地方は季節によってかなり湿度が高くなるので、室内の床は高くなっている。床下に風を通して、湿気を防ごうと言うものだ。よって玄関には人が腰掛けるに丁度良い高さの段差があった。

 その玄関と店ので入口を兼ねるドアが突如開いた。シレーヌが現れたのだった。
「あなたの家では玄関で朝食を取る習慣があるの?」
「祖母の遺言で月に二度の割合でね」
 シレーヌの呆れた質問に、ラルフもいい加減な答えで応えた。いつもぼんやりした表情をしているが、本来彼も頭の切れる人間なのだ。もっとも、最近はろくでもないことにそれを働かせているが。

「それにしても、早いね」
「あなたが遅いのよ。とりあえず、午後イチで船が出るそうだから、それまでに準備してよね」
「うん、わかった」
 最後の一口をラルフは押し込み、応えた。

 彼は決めたのだ。どちらを捨てるかを。彼にとって、どちらを捨てるにしても大きな課題であったが、その捨てる対象を考えたところ、どうやらファティマのほうが受ける悲しみや将来への影響が少ないと考えたのだ。無論、彼の一人よがりの結論だが、まさかそれをファティマに相談する訳にも行かない。結局の所、独断に走るのが精一杯であった。また依頼を黙殺することは、ファティマを取ること同じだった。

 ちらりと家の奥を見ると、掃除で忙しくくるくる動き回っているファティマの姿を捕らえることが出来た。ラルフはねぐせの付いた蜂蜜色の髪をかき回し、青い瞳を微かに悲しみに揺らした。
「運が良かったら、また戻って来るから……」
 ラルフはそれを声にはしなかった。




 「竜の城」が過ぎ去った後の空は、一段と秋の色を強めていた。永遠の青は正しく底無しに天を突き上げている。あの奥には何があるのか、誰も知るところではない。

「やれやれ、どうやら極悪人になってしまったようだな」
 とぼけた声でぼんやりとつぶやいたのはラルフだ。
「とっくの昔から、極悪人でしょ? あなたは」
「まあ、そうかも知れないけど、あの子を裏切るってのは初めてだしね。それに、この歳になってまで家出するとは、夢にも想わなかった」
 意外に真面目そうな声でラルフは言った。その不良青年は唯一書置きを残して家をこっそりと去ったのだ。ファティマがふとした用事の留守に。彼はルシアを取ったのだ。

「しかたがないんじゃない? そう言う割り切りは時に必要よ……」
 振り返っては悲しそうな瞳を魅せるラルフにシレーヌが諭した。これを見ているとラルフよりも五歳も若いシレーヌのほうが姉のようにも見える。

「ファティマは自由に生きていける。私がいないほうがむしろね。だけど、ルシアは違う。私が行かねば、ずっと鳥かごの鳥だ。いや、それよりもっとたちが悪い。ともかく彼女が今あの立場にいるのは私の責任だ。政治的な道具にさせるのは余りにも可愛そうだ」
「言い訳? まあそう言う割り切り方もあるか」
 シレーヌが責める。小さな言葉だが辛辣である。
「まあね」
 その攻めがひそかにラルフの心の傷の痛みを和らげていることに、彼自身は気付いていた。シレーヌもそれを意図的にしているのだろう。ラルフは声にはしなかったが、シレーヌに感謝の言葉を送りたかった。

「ラルフさん!」
 突然張りのある声がラルフの背後から飛んで来た。この二年間で彼が一番聞き慣れた声だ。その声にラルフはぎくりとする。声の主はファティマだ。

「ファティマ……」
 ラルフは顔面を蒼白にして振り返った。口元は笑っているが、目が笑っていない。その彼の視線の突き当たるところには、髪を乱して肩で息をするファティマであった。これほど落ち着かない姿をしているファティマを見るのは久しぶりだった。

「あの……これにはちょっとした訳が」
 ラルフは浮気の晴れた男のように情けない声をだした。
 彼は知っている。常日頃に乱暴に振舞う女性より、普段はやさしげで落ち着いている人間が怒ったときの方が、遥かに怖いのだ。今のファティマがそうだろう。

「何処へ行くんですか?」
「えっと」
 つかつかと歩み寄るファティマに情けないことにラルフは狼狽して腰を引く。かつて暗黒のラルフォードと言われた男を、今でも恐れているものがこれを見たとしたら、どう思うだろうか。
 ラルフとファティマの相対距離が小柄なファティマの半歩程度になったとき、ファティマの腕がぴくりと動いた。ラルフは反射的に目を閉じる。平手打ちぐらいは覚悟したのだ。

「ラルフさんの馬鹿っ! どうして、どうして? なぜ、私に何も言ってくれないんですか! 私……そんなに邪魔ですか?」
 突然、堰を切ったようにファティマのつぶらな瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。ファティマはラルフの胸へ飛び込んでいた。

「ファティマ……ごめん」
 ラルフは落ち着きを取り戻して、ゆっくりと乱れたファティマの黒髪を撫でてやった。不器用な男の精一杯の優しさだ。

「ごめん……ファティマには教えられないんだ。教えたら、ファティマにもひょっとすると危険がふりかかってしまう。そんなことは、出来ないよ」
「いったい……何処へいくつもりなんです? そんな危険な事、止めて下さい」
「駄目なんだ。古い友達を二度も裏切れるほど良い行いの蓄えが無いんだ。だから、ファティマ。君は十分一人で暮らして行ける。私なんかいなくてもね。いや、私みたいなのがいると、余計君を縛り付けてしまう。だから、一人で生きて行くんだ。新しい道があるよ、きっと」
 ラルフは静かに諭した。我ながら卑怯だと思っても、彼にはそれしか思い付かなかった。だが、ファティマは大きく首を振る。長い髪が搖れて黒い霞を生む。

「いやです。私、ラルフさんの側にいたい。いなきゃいけないもの! ラルフさんに助けられた、あの日から! 私、危険でもラルフさんに付いて行きます!」
「おいおい……」

 ファティマは二年ほど前に、ラルフに助けられた。

 それはファティマは元来奴隷身分で、ある街の奴隷商人が山賊に襲われたときに、偶然ラルフがそこにぶらりと現れたところだった。ラルフは商品の仕入のために、その街にきていたのだ。戦利品として、金品と共にまだ幼かったが、可憐だったファティマをさらおうとしていた山賊達に、ラルフは見るに見かねて剣を抜いたのだった。山賊とラルフでは剣の腕に雲泥の差がある。たとえ多勢に無勢であろうとも、ラルフの敵ではなかった。
 それ以来である、ファティマがラルフにぞっこんしているのは。

「大丈夫です。私、少しだけど魔法使えますし」
「魔法ね……そういえば、そうだっけ。……まあ、仕方が無いか……」
 ファティマの熱願を断わる意志の強さを持たないラルフはしぶしぶそれを承諾した。もともと、いい加減な性格を持っているのですぐに自分の意見を変えてしまう質があるのは否めない。シレーヌに悩みを打ち明けたころの苦悩は何処へやら。

「さて、やっかいなことになったぞ」
 ラルフは苦笑いしながら、心の中でつぶやいた。
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