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異世界大陸幻想譚アルカーティス 作者:水夜ちはる

7章・それぞれの道標

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7章・それぞれの道標(6)

 ジークフリート・フォン・ハノムハノヴァー。

 ジークの本来の名だ。
 それを彼は音節毎に区切って発音してみた。十二年前、捨てた貴族号を付けて。
 俺は家族を殺したキュメイルとホーエンツ家に復讐を誓ったはずなのに。知らぬ間にそんなこと随分と冷えてしまったのだな。
 ジークは皮肉っぽく唇をゆがめた。
 俺は今の俺でいい。別に過去に立ち返ったとしても、何が変わるというものか。
 ジークは自身の体を跳ね上げるとそのつまらない客間から出ていった。

 素朴で人懐っこい性格のミナはジェシカと談笑していた。
 ジェシカはホーエンツ公爵カイルの実妹で、伯爵号も持つ高貴な身分である。
 普通の神経の持ち主なら萎縮して少なくとも会話に「壁」を作ってしまうことだろう。
 だがミナはその「壁」を作ることがなかった。
 次の誕生日で二十歳を迎えようかという彼女だが、精神と肉体は至って少女のままであり、その活力と純朴さはジェシカの心を心地よくさせた。
 ジェシカはミナを気に入っていた。

 そうやって二人が廊下を歩いていると、彼女らの前に一人の男が現れた。巨躯である。兵士ではない。
「あ、ジーク」
 ミナの声に青年は澄んだ表情で片手をあげて応えた。
 ジークの姿を見たジェシカは彼の前に立って深々とお辞儀をした。

「その節はありがとうございました。我が家の者の市民に対する態度……それにあれだけの市民の中、あの子供を気遣ったのは旅人であるあなた達だけだとは、悲しいことです。それも私達、為政者の責任なのでしょうね」
 馬に蹴られた赤ん坊は一命を取り留めていた。ジェシカの応急措置と、迅速な医者の対応が幼き命を守ったのだ。しかし、ジェシカは悲しそうに皮肉の笑みを浮かべた。
 ジークはそれに何の反応を見せず、ジェシカの顔を眺めやった。ジェシカの優美な首筋が怪訝で傾く。

「私の顔に、何か?」
 ジークは小さな吐息を漏らした。
 ミナはそれを注意深く見た。ここ数年、ジークと一緒にいることが多かった彼女だが、初めて見る表情だった。

「あのジェシカ嬢ちゃんが、立派なことを言うようになったもんだな」
 皮肉っぽい声ではない。懐かしい声だった。
 その言葉に一瞬戸惑ったジェシカであったが、彼女の脳裏に過去の光景が鮮やかに蘇る。
 それは数瞬の時をおいて、劇的な表情の変化へと導いた。

「ジークフリート……? ジーク兄ちゃん?」
 二人は乳母兄妹だった。
 しかし血のつながりなど関係なく兄弟であった。
 兄はよく妹の面倒を見たし、妹はよく兄の言いつけを守っていた。ある意味、理想的な兄妹像と言えよう。時には兄妹喧嘩も起こしたが、次の日にはまた笑顔を見せ会った。

 子供達には身分の差など、大した意味は持たなかった。
 徐々に二人は成長して行き、先に思春期を迎えた少女が、たくましく育った少年にその感情が恋心へと変わっていった。だが、少年の方は少しずつ、少しずつだが、「身分」というものを知りはじめていた。
 この地を治め大陸の要である公国の娘と、一辺境の下級貴族との差を。

「どうして……どうして、ここに?」
「どうしたもないさ。つまりは成りゆきだ」
「もう、逢えないと思っていた……」
「俺もこの地を訪れることはないと思っていた」

 ジェシカは涙を浮かべてジークを見つめていた。それを見てジークは視線を逸らせた。
「だが、俺はあの日を忘れはしないし、あの時に戻ることもできない。たとえ、復讐はすり切れて薄くなってしまったがね」
 いつものジークと違う。ミナはそう感じた。
 何処がどういう風にと聞かれれば、答えることは出来なかったであろうが、確かに違和感を感じていたのは間違いではない。
「私達を……怨んでいるの?」
「どうかな? もう十年以上も昔のことだ。時間と言うものはいろんな感情を流しちまうらしい」
 ジークは皮肉っぽく笑って見せた。精悍な笑顔だ。
 その表情にはミナは常の身近さを憶えたし、ジェシカは自身に残る記憶の中のジークとは違うと言うことを悟った。



「何じゃ? お主は?」
 不機嫌で、幼い声がさして広くない部屋に響いた。
 この時、ハインツは珍しく驚きの表情を浮かべていた。なぜなら、彼の瞳に映し出された者が、彼の豊かな想像力さえも遥かに凌駕していたからに他ならない。

「あの……失礼だとは想いますが、お名前を直接お聞かせいただけませぬか?」
 ハインツは驚愕から抜け出せぬまま、質問をした。
 無礼な問いかけに少女はあからさまに不機嫌な表情を浮かべたが、それ以上にハインツの顔が驚いていたので少女はため息をついた。
 ハインツと同様の反応を彼女はいくつも見てきたからだ。

「よかろう。予の名はエイリン・アイラ・アステ・ウォール。エイリン二世じゃ」
 ハインツはもういちど驚愕した。その名が示すのは、名目上とはいえ、この大陸アルカーティスを支配する帝国の長。すなわちアステ・ウォール帝国の皇帝を指し示していたからである。しかしその姿はどう見たとしても十三・四歳の少女であった。
 ハインツはしばらくその少女を見つめていたが、明晰な彼の頭脳は様々な可能性を予測し、その中から現状を組み立てていく。
 近頃かの帝国では帝位の交代があったと彼は思い出した。
 だが、即位した皇帝が大した供も連れずに、はるか北方のカランダまで出向く理由はない。この少女が皇帝であるならば、おそらくは「先帝」であるとハインツは考えた。

「なるほど、しかし、その皇帝陛下がこのカランダになんの御用でしょうか?」
 その質問に皇帝アイラは返答に窮した。
 彼女はハインツが想像したように、玉座を奪われた皇帝であったからだ。
 本来ならば彼女はそこで命を奪われていた運命にあったが、運や自身とその周りの努力の賜物で、何とか生き逃れたのである。

「し、失礼な奴じゃ。予を皇帝と知って跪かぬとは不敬に価するぞ。それに皇帝の訪問に対して王が応対せぬとはカランダの礼儀とはどうなっておるのだ」
 アイラは強い口調で言ったが、その端々に同様が見られてハインツは思わず苦笑してしまった。

「いえいえ、失礼なのは私個人であって、カランダ全体がこうではありませぬ。どうか腹をお立てになるなら私個人にしていただくとしてて、ご用件をお聞かせ願えないでしょうか。私もカランダ王の臣下である身。寛容で賢明な皇帝陛下にあらせられては、私の立場もご配慮いただければと思います」
 ハインツは恭しく言った。だが、その口調は芝居がかっており、アイラの眉を吊り上げさせた。
 だが次の瞬間、アイラは我慢できなくなったかのように噴出し、大声で笑い始めた。

「わかった、わかった。お主は予を計ろうとしておるのか? 見上げた奴じゃ。そして軟弱そうに見えて意外と肝が据わっておるな」
 アイラの声にハインツは柔らかに笑った。
「そう言う皇帝陛下も」
 不遜な言葉にアイラはますます気に入ってハインツを微笑んで見返した。
 アイラはハインツを見て底知れぬ知性を感じ、ハインツはアイラを悪戯や策謀によって現れたものではないと感じていた。
 この二人の邂逅は、大陸にとってまた一つの道標を立てることとなる。


7章・それぞれの道標<了>
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