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異世界大陸幻想譚アルカーティス 作者:水夜ちはる

7章・それぞれの道標

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7章・それぞれの道標(5)

 ラウエルにミハエル。血の繋がった兄弟よりも赤の他人の方が信じられるとは、王族に生まれたという宿命の皮肉なのだろうか。
 権力ごとき、いつでも譲ってやってもよい。等と思うこともしばしばなのだ。
 何故に人は権力を欲するのだろう? それに伴う、責任と苦労を背負わねばならぬと言うのに。

 ラッツウェルは皮肉っぽくその氷の彫刻を歪ました。公式の場で滅多に表情を崩さぬ彼であったが、ある特定少数の人のまでは、彼が人間たる証をこぼすのである。
「どうかなされましたか?」
「いや……別に」

 今や王妃となったアリアの声である。宰相、ラウグル・フォン・オーベルハイムの娘であったが、その美しさと才能に対しあまりにも欲がなかった。王妃となった今も権力を壟断することはなかったし、ラッツウェルの政治に口を出すこともなかった。
 一人の女性としての幸せ。これが彼女の欲するところであり、それとは逆に彼女は、彼女の望まぬ、権力闘争と陰謀が彼女の少女期のすべてでありそれを彼女の心身を削り取っていた。
 貴族の娘ではなく、一市民の娘として生まれていれば、そこそこ幸せな人生を送れたのかもしれない。

「アリア、気分はどうだろう?」
「ええ、今日はずいぶんと調子がいいようです」
 アリアはいつ頃か病を患っていた。原因不明の熱病で、ただでさえ華奢な体は病的にやせ細りつつあった。

「カテローゼ、茶を炒れてくれぬか」
 ラッツウェルは部屋の隅に控えていた少女を見つけると、彼女に声をかけた。
 カテローゼは素早く返答するとぱたぱたと外へ出ていった。

 ラッツウェルはかつての一件より彼は彼女を気に入っており、それ以来身の回りで使っている。技術は確かに幼く未熟であったが、誠意と実直さで彼女を勝る女中はおらず、何時も透明で彼はその心地よさを高く買っていたのである。
 その活力に満ちた後ろ姿をアリアは眺めやって、羨ましそうに目を細めた。

 私はあとどれくらい生きられるのだろう? わき上がるのは生命の泉ではなく、彼女の生をむしばむ病的な灼熱。
 せめてわが夫に、この国の跡継ぎを。
 それだけが今の彼女の願いになっていた。
 これより三年、アリアは男子アレクサンドルを残し、この世を去ることになる。



 ジークフリート・ハノヴァー。

 二メートルに届こうかという巨躯の彼は、今年二十八歳の誕生日を迎えている。
 日に焼けたたくましい体は均整の取れた無駄のない筋肉で包まれており、そこに内包された剣術や格闘など戦闘術に関するあらゆる技術が染み着いていた。
 十年以上にもなる傭兵生活で培われたものだ。大剣を操る技術と腕力は彼自身が自慢せずとも、その世界で音に聞こえていた。

 その彼は今、カイン市内のホーエンツ公爵家の居城の客室でベッドの上で寝転がっている。普段から歴戦の勇士であることを態度に出さぬ彼であるが、ぼんやりと天井を見つめて警戒心を失っている姿は希であった。

 彼の中には硬く鍵をかけた記憶がある。
 二度と開けることはないだろうと思った記憶の箱を、今になって彼は静かに開けた。その隙間から見える光景を彼は覗き込んだ。



 十二年前という時は、近いのだろうか、遠いのだろうか。
 ジークの脳裏にはその過去が鮮明に蘇る。



「ダメだ、兄上! 一緒に逃げなくては!」
「俺はもう無理だ。この怪我では走れぬ! お前は逃げよ。生き延びてハノムハノヴァー家の誇り高き血を絶やすな。行け、ジーク!」
 少年は炎に包まれる館の中で叫んだ。少年が十六年の生活を共にした生家だった。

「しかし、しかし兄上!」
「行け、ジーク! この館が燃え落ちる混乱に乗じてならば、逃げ切れるぞ!」
 彼よりも五つ年上の兄が炎の向こう側で叫んだ。その傍らには病にかかり、ろくに歩くことすら叶わぬ母の姿がある。
 ジークとその兄が持つ剣はすでに血にまみれていた。

「お行きなさい、ジークフリート。せめて、せめてあなただけでも生き抜いて。母の、母の最後の願いです」
 母親は気丈だった。死を目前にして末弟の生存を祈る姿は悲壮そのものだ。

 炎が一段と激しくなった。
 騒がしい兵士の声が聞こえてくる。

 炎の巻き上げる熱風と、崩れ行く木造の館が少年の視界を奪った。いや、悲しみからの涙で少年の視界は歪んでしまい、母の兄の姿はぼやけてしまっていた。

「うわああああっ!」
 少年は無力感と喪失感に耐えきれず、走り出した。
 炎から逃れるべく、生存本能のままに走り出した。理性よりも本能に身を委ねた方が、楽だったのである。
 理性を閉じこめることによって、むしろ正気を保てたのかもしれない。
 少年は燃え落ちる館を捨て、闇の中を疾走した。

 館を包囲する兵士達数人に出くわすこともあったが、それを切り捨てて前進する才能は既にこの少年にはあった。
 少年は遮る者を皆殺しにした。復讐心と、自分を発見したものは出来る限り少ないほうが自分の逃走手段が困難になると判断したからだ。

 少年は返り血と怒りと悲しみと殺意で修羅になって、夜明けまで駆けた。
 すでに父親と妹は、兄たちよりも先に殺されていた。
 父は彼をかばって、妹は父の死に呆然としている姿を切り裂かれた。
 少年と兄、母が逃走を試みたが、兄は少年と母を守るため、致命傷を負った。母はそもそも逃げ切れるだけの体力がなかった。

 少年だけが逃げ延びた。
 残酷な女神が彼と彼の家族との再会を遠ざけたのかもしれない。生きなければならない運命があったのかもしれない。ただの偶然なのかもしれない。とにかく、少年は生きた。復讐と宿命を背負って。
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