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異世界大陸幻想譚アルカーティス 作者:水夜ちはる

6章・心の絆

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6章・心の絆(5)

 乗客にファティマを加え、セレナたちの乗った船はカランダ市を出港した。
、トバ海とカイン湾の境目を滑るように船は南へと走った。このあたりでは冬に季節風はほぼ北から吹く。帆船が主流であるこの時代の船は、風を受けて快適な速度を保つ事ができた。アスブルクから乗った乗客はほぼカランダで降り、カインへ向かう乗客はあまり姿がなかった。

 人が疎らになった甲板の上でセレナは静かに歌を口ずさんでいた。
 母に幼少のころ教わった歌だ。
 母が言っていた。母が生まれ育ったはるか南方の歌であると。南方でしかも古い言葉なので、歌詞の意味のほとんどはセレナは理解していなかった。
 その旋律は船首近くにいるセレナから船尾へとゆっくりと悲しく流れていた。
 それを耳にしたファティマは、感情に誘われるまま、セレナの方へ歩いた。
 その気配をしったセレナは歌を止め、少し恥ずかしそうな顔でファティマを見た。セレナの瞳はわずかに濡れて輝きを増していたようであった。

「悲しそうな歌ね」
「うん。母さんが教えてくれた歌……」

 ファティマははっとなって申し訳なさそうな顔をした。
 セレナが瞳を濡らしていたのは歌への共感ではなく、死んだ母親を思い出しての事だと知ったからだ。
 ファティマの表情を見て、セレナは微笑んで言った。
「もう過ぎた事だし、気にしないで」
 セレナは過ぎ去った悲劇の過去よりも、これより迎える将来の不安の方がはるかに胸に満ちている。
 ガイアの謎。
 自分が何者であるかを確かめるために、彼女は旅を続けているのだ。



 ラッツウェルがカランダの王宮に戻った直後、異変が伝えられた。
 王宮のアリアの私室で、日々の多忙な執務から開放されたひとときを過ごしていたときであった。

「陛下。ハインツ伯爵がお目通りを願いたいと仰せです」
「ハインツが? ふむ、通せ」
 臨時でラッツウェルの身の回りを任されたカテローゼは期待以上の働きを示し、いつのまにかラッツウェルの側をずっと離れないでいた。そして真面目て献身を惜しまぬ彼女をラッツウェルは快く思い、ずっと側に置いていた。

「陛下……一大事が起こりました」
 カテローゼに案内されたハインツはラッツウェルと顔を合わせるなり、彼の柔らかな声で第一声を放った。
「一大事か、あまり重要そうな顔をしておらぬな?」
 ラッツウェルは苦笑した。
 ハインツが狼狽する表情を見せていなかったので「一大事」と言われても、現実味にかけていたのである。

「はあ、しかし、反乱が起こったのです」
「反乱? どうも予は反乱にすかれるらしい。後世の歴史家に『反乱王』等と不名誉な名前がつけられそうだな」
 ラッツウェルは苦笑いしてつぶやいた。
 この時点ではまだ彼には冗談を口にする余裕が残されていたが、反乱の首謀者の名を聞いたときは、冷静で名の知れるこの王もプラチナの瞳を驚愕に見開かせた。
「ミハエルとルシアが婚姻を交わし、アムル公国復興を宣言しただと?」



「くっくっく。兄……いやラッツウェルの驚く顔が目にうかぶ」
「しかし、驚かせるために反乱を起こしたのでは……」
「わかっておる、そちらの方もちゃんと予定どおりに事を運べるのだな?」
「わかりませぬ。俺とラルフォード。奴の力がかつての奴の力に肉薄しておれば、俺は奴と闘う。もし、奴の力がかつての力にはるかにおよばねば、俺の知ったところではない。もしそれならば、奴はただの役立たずに過ぎぬ」
「彼の者とは闘わねば本質が分からぬと?」
「ま、そういう事です」

 ミハエルの問いにジャッドは失礼ともいえる態度で片目を閉じて見せた。

 ――問題はカーミラの動きだな。
 奴は復讐に先が見えなくなっている。そんな詰まらぬ事でラルフォードを殺させては、世の中が楽しくなくなる。

 ジャッドはにやと笑って、気配をその場から瞬時に消した。

「ラルフをおびき寄せるつもり? 彼を利用しようって言う考えは私が承知しないからね」
「おびき寄せる? 違うね、放っておいても彼はここに来る。それはルシア、あなたがここに居るからだ、まあこの展開には彼も驚いている事だろうがね」
 ルシアは自身の夫を醜忌の瞳で睨み付けた。
 彼女は彼と結婚したが、その間には愛情の欠片さえもなく、ただ「政略」と「利害」の二つの言葉だけが漂っていた。
 彼女もまた暗殺者たちとは違った意味で「愛」を捨てた人間であったのである。



「あの愚鈍王子が……」
 それが流行語となって人々の口から耳へと流れていた。

 王宮から失踪し、突如東方の辺境の地、アムル公国で唯一の公国の血を引くルシアとともにミハエルがカランダ王国に反旗を翻した事は、カランダ市の王宮はおろか、市井の民衆さえも驚きで包まれていた。

 ラッツウェルの対応は早く、その知らせの真偽を確かめそれを真だと確認すると、すぐさま軍議を開いて対策を論議した。
 その軍議ではラッツウェルの要望もあり即断が求められた。

 結果、討伐軍の総大将は王弟ラウエル。彼はそれを自ら進み出た。
 名目は、婚約者ルシアを奪われたためと言う理由だったが、彼にとってそれは口実のみで、実際彼は血の繋がった弟を非常に嫌悪していたのだ。
 ラウエルは人望はともかく文武共に一定の能力を有した人間であった。それゆえに愚者と呼ばれる弟が嫌悪の対象だったのだ。
 そして彼に与えられた兵力は三万余。
 一度は滅びた公国への制裁には十分すぎる兵力であった。

 軍議が終わり、任務を与えられなかったハインツは、彼の本質でもある怠け者の一面を出し、ほっと胸をなでおろしていた。
 彼は今や大将の階級にあるが、出世を望んだ事は一度もない。
 階級が上がれば俸給が増えるのは良かったが、仕事が増えるのは彼にはたまらなくうっとうしい事だった。しかし昇進の辞令を断るわけにはいかないので、仕方なく昇進している彼である。

「ハインツ閣下! 王宮の正門に亡命者が陛下に面会を求めておりますが……」
「報告はもっと相手に伝わるようにするように」
 若い騎士が駆け寄ってくると、ハインツは小首をかしげて彼に耳を向けた。
「すみません。しかしその者が言うには『朕は皇帝である』と」
 騎士は動揺した様子を隠せず、そう言った。
 ハインツは怪訝そうにその騎士にもう一度聞き直した。

 この大陸で皇帝を名乗る人物はただ一人である。
 アステ・ウォール帝国の皇帝のみだ。
 ここ数年前に世代交代があったと聞くが、権力争いに忙しい彼の国では、皇帝は頻繁に交代させられるので、いちいち覚えていてはきりがない。ハインツは現在の皇帝の名を思い出す事ができなかった。

 ――その皇帝が亡命者としてカランダの王宮を訪ねている?

 ハインツの先見を持ってしても、この時ばかりは未来を視る事ができなかった。
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