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異世界大陸幻想譚アルカーティス 作者:水夜ちはる

6章・心の絆

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6章・心の絆(1)

 ファティマ・アムル・ラスティアスは歴史作家として高名であり、彼女が生きた時代の物語は現実主義で文学的価値のみではなく、歴史文献としても重要視された。
 また彼女は自身の波乱に満ちた人生を自伝書に書き留めている。大陸の各地を巡った彼女の自伝書は彼女の作品の中でも、最も後世の人々に愛された書であった。

 その自伝書の中に、彼女の少女期の冒険譚がある。別名「ガイア伝奇」とも呼ばれ、カランダからアステ・ウォールへの旅が描かれている。
 その一冊だけが数ある彼女の作品に中で特異な作風となっている。彼女は極力現実に起こったことをありのまま文章に表現した作家であったが、これに書かれている現実は現実とかけ離れていた。
 それはガイアの一族、セレナ・アスリードらとの旅物語である。



 ノースラント街道をセレナ達は北上している。
 ノースラント街道は別名北カランダ街道で、名の通り、カランダ市と北カランダの中心都市アスブルクへと至る幹線街道である。
 カランダ市を経由したセレナ達はトラブルに見舞われることもなく、順調に旅程をこなしていた。
 ヴァルハナ市から脱出して一ヶ月余り、アスブルク市へまもなくと言う地点へ来ていた。

 この間、ミナは一九回目の誕生日を向かえていた。
「おまえも十九になったんだから、化粧の一つでもしてみたらどうだ?」
 ジークは一向に大人の顔や身体にならないミナをからかっていた。
「よせよせ、昔、ミナが化粧をして俺に見せに来たことがあってな。どうも子供が大人ぶっているようで、笑えただけだったな」
 アーディルが真実だが、それゆえに言ってはならない事を言ってしまったため、ミナは怒って、二人を追い回していた。
 そんな滑稽劇を見つめながら、セレナは微かに笑っていた。

 ヴァルハナ市を出てまもなく、ガイアの一族に出会った彼女は衝撃の事実を知らされて、一時な混乱に錯乱状態にあったが、それ以来はいたって明るい彼女そのもので、特に変化はなかった。
 それ故にミナ達もあの夜の出来事を聞くことが出来ずにいた。
 しかし誰も知らぬ所で、一人セレナは苦しんでいるのも事実だった。

「……あ!」
 セレナが思わず声を上げた。鉛色の空からちらりと白いものが舞い降りてきたのだ。
 雪である。南方のライゼルで生まれ育ったセレナは雪と言うものを知らない。
「セレナ、それは雪だよ」
「雪? ああ、本で読んだ事しかなかった。初めて見た」
「昔はね、もっと降ったんだけど、最近じゃ積もることも少なくなったよ」
「積もる?」
「雪が地面に落ちても溶けずにどんどん溜っていくんだ。畑も森も家も、みんな真っ白になっちゃうんだ」
 初めて見る雪に純粋な好奇心をくすぶられたセレナは、ミナの説明に大きな瞳を輝かせて真剣に聞き入っていた。
 雪が降らない地方で育ったセレナには、一七歳と言う好奇心溢れる年齢には冷たい風を忘れさせるだけの魅力あった。

 しかし雪はしばらくして止み、その分旅程は順調に進んで、次の日の昼下がりにアスブルクの街へ着くことが出来た。
 アスブルク市は人口一万七千の都市で、北カランダ最大の人口を持つ。北カランダの中心である。
 また、ミナが生まれた街もこの街であった。


 ルシアがジャッドにさらわれて二日になる。
 ラルフ達はジャッドが逃げた方角を北に予想し、いままで来た道を折り返していた。歩調は今までになく速く、ファティマが少々遅れがちにもなったが、それでも場合が場合だけに彼女も必死にラルフ達を追った。

 が、三日目の夜、旧アムル公国領へ差し掛かった小さな宿場町でラルフは一つの決断を口にした。
「ファティマ……一つ、お願いがあるんだ」
 いつになくラルフの口調は静かであった。
 その静けさに、ファティマは激しい不安を覚えた。漆黒の瞳を淡いランプの光を受けて震える。
「ラルフさん?」
 ファティマは弱々しい声で聞き返していた。

 勘のするどい子だ。
 ラルフはそう思い、一拍置いた。

「何処かに逃げていてくれないか。私は……ルシアをもう一度、救い出さねばならない」
「ラルフさん……私、足手まといですか? ラルフさんがそう言うなら、私、何処かへ消えます。ラルフさんの枷になるくらいなら、私……」
 ファティマは必死にこぼれ落ちる涙を瞳に留めようと努力しながら、詰まった声で言った。ラルフはファティマを直視して、心の痛さに眉を潜めた。彼女の聞き分けの良さが、逆に彼の心を突き刺して止まなかった。

「すまない、ファティマ。彼は、ジャッドは強い。誰かを護りながらの戦いでは、今の私では勝てない」
 ラルフは苦しそうにそう告げると、一瞬のためらいの後、ファティマを優しく抱きしめた。
「ラルフ……さん……」
 堪えきれなかった涙が溢れる。
 小さな泣き声がファティマの可憐な唇から漏れた。

 ラルフはファティマの柔らかく、暖かい身体にひとつの郷愁を感じていた。
 それは彼が初めて愛と言うものを感じた、ソフィアという女性と同じ香を、ファティマに感じていたのだ。ファティマの優しさが、人として精神を持たぬ人生を大部分過ごした、ラルフにいくらかを刻み込んでいたのだ。
「ラルフさん……また、また会えますよね……きっと」
「ファティマ、私はまたおまえに会いたいよ。だから、必ず……」

 翌朝、ファティマは西へと旅立った。
 この時南方のアステ・ウォールで動乱の噂があって、南方へ向かうのはより危険と判断したからだった。

 彼女は一度カランダ市へ向いカランダ市から海路南へ向かって、南の玄関口となるホーエンツ大公国からアステ・ウォールを目指すことにしたのだ。
 その判断をラルフは了解し、いずれルシアと共にアステ・ウォール市へ向かうことを誓った。
 また、ファティマにはシレーヌが護衛の意味をかねて同行することになった。
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