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異世界大陸幻想譚アルカーティス 作者:水夜ちはる

5章・野望の大陸

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5章・野望の大陸(8)

「あれはまさしく鬼才だな。人じゃない。あんなずるい方法は、俺にはできない」
 ローズハルトは回想録にそう記録している。
 また、歴史作家としてこの時代の一人であるファティマ・アムル・ラスティアスはこうも記述している。
「カランダ王国はラッツウェルの治下によって第二の人生を踏み出した。が、そこには幾多の難関が散らばっていたのだが、それらを駆逐し、頑丈な基礎を構築したのは彼の功績である」

 彼らが述べたのはグスタフ・ド・ハインツその人である。
 先者は彼の友人であり、身近なものであった。批判的ながら彼の才能を的確は表している。一方、後者は同時代の人物であったが、直接の面識はなく、客観的な評価であった。


 ハインツは軍をラズバル峠に移動させていた。
 その動きは彼にしては鈍かったが、これには一つの意図があった。それは、「敵に発見されなければいけない」という奇妙な理由だった。

 その頃、ラズバル峠よりも北のファルム峠に簡単な砦を築き、カランダ軍の攻撃に備えていたドゥルジ伯はそのカランダ軍の行動を密偵からの報告を受けた。
「ラズバル峠に? 一体どういう事だ。奴らは我々を無視するつもりか?」
 ドゥルジ伯はハインツの戦略を理解することができず、憤った様子で言葉を吐いた。
「なるほど、大胆不敵と言うのはこういう事を言うのだ。こんな戦略をするにはよほどの度胸と自信を持っているか、もしくは脳天気だ」
 同刻、報告を受けたハインリッヒはしばらくの考慮の後、敵軍の行動の意図を察していた。彼はドゥルジ伯よりも若かったが軍略に置いてははるかに彼を凌いでいた。

 ハインツらが進軍したラズバル峠は旧街道の峠であり、整備も行き届いていない急峻な峠である。
 旅人も少なく、とても大軍が進軍するに向いた峠ではない。
 一方、ドゥルジ伯軍の構えるファルム峠は、新しく開かれた街道にあり、道も広く整備もされており、進軍には安かった。
 しかしドゥルジ伯軍はその峠の地形を利用し、砦を築いて硬い陣を敷いていた。
 この時代、軍を高所に配した方が圧倒的に有利であった。そこがむしゃらに攻めるだけではカランダ軍に勝利はなかった。

 ハインツの採った戦略はきわめて簡単だった。
「通りたい道が邪魔されるなら、回り道をすればいいのさ。急がば回れってね」
 説明を求める幕僚達にハインツは微笑みを浮かべて嘯いたのである。

 ドゥルジ伯軍の後背にあるのは大都市ヴァルハナで、そこが彼らの補給拠点である。
 戦略の基礎は補給であり、戦史は何処の国を掘り返しても飢えた軍隊が勝利を収めた例は見あたらない。その程度はドゥルジ伯もよく理解していた。

 ハインツの狙いはその補給線だった。
 逆にハインツらの補給拠点はカランダ市である。ハインツらがドゥルジ伯を無視してヴァルハナに向かえば、彼らは後背の補給路を丸裸にしてしまうこととなる。が、ここにハインツが置いた布石がある。

 カランダ市に残るラッツウェルが率いる一軍である。
 これには二万以上の兵力があり、簡単に切り崩せる勢力ではない。
 もし仮にドゥルジ伯軍がハインツらの補給路を断つべく前進すれば、ラッツウェルはカランダ市より打って出てドゥルジ伯軍を迎え打つ、それと同時にハインツらは反転し、ラッツウェルらの動きに呼応してドゥルジ軍を挟撃することが出来るのだ。
 また、ドゥルジ伯軍がファルム峠を動かねば、ハインツらはそのまま直進し、ヴァルハナ市を占領する。

 それをハインリッヒはドゥルジに忠告した。
「我々は不利な状況に置かれた。これを打開するに二つの策がある。細いラズバルを通る奴らは隊列が長くなっている。そこを着くか、ここを放棄してヴァルハナへ引いて仕切りなおすか……もっとも前者はその危険性を奴らも理解しての進軍だろう。何かしらの策を持っているかも知れぬ」
 結局、ドゥルジ伯はハインリッヒの進言を受け入れ、戦術的に有利な場所を捨ててヴァルハナに退却する策を採った。
 戦わずして勝つ。戦略の第一歩であり、至る所でもある。
 言うは易いが行うに難いそれを簡単にやってのけたハインツを鬼才と呼ばずして何と呼ぶか、ローズハルトの人物描写は正鵠射て違わなかった。

「何、オーベルハイム公の動きを封じた時点で、この作戦は有効になっただけさ」
 ハインツは周りの感心をよそに、彼らしくぼんやりと次の事を考えていた。



 ドゥルジ伯軍は東に向かって退却していた。
 数の上では未だドゥルジ・ハインリッヒ連合軍の方が勝っていたが、戦わずして彼らを退却に至らしめたハインツの奇略によって彼らの士気は地に落ちていた。

 そのドゥルジ伯軍の横腹に鋭い一撃が加わった。
 無論、カランダ軍の攻撃である。
 カランダ軍は先ほど見せた鈍速からは想像できぬ速さで彼らに肉薄していたのだ。しかし、それでも万単位の軍勢が出せる速さではない。
 これはローズハルトが率いる五千騎からなる精鋭の騎兵の遊撃部隊で、ローズハルトの卓越した用兵技術によって、ドゥルジ伯軍の予測外の急行を可能にしたのである。

 予期せぬ奇襲にドゥルジ伯軍は浮き足立った。
 元々低くなっていた戦意は失われ、主力であった庸兵達は次々と戦線を離脱して行った。
 ドゥルジ伯軍は瞬く間に大混乱に陥った。指揮系統は失われドゥルジ伯にこれを収集する能力はなく、彼はローズハルト軍の先鋒が自らに近付いていると知ると、単騎ヴァルハナへ逃げ帰ろうとしたのだった。
 それを見た諸将達は自らの主君の暗愚さに気づいて、単独で奮戦していた者も抵抗を止め、逃亡か降伏の二つに一つの道を取った。

 その頃、ドゥルジ伯に見切りをつけたハインリッヒは自らの軍のみを巧みに集結させ、混乱とローズハルトの部隊を迂回して、迅速かつ整然と戦線を離脱していた。
「所詮は無能者か。あれと組んだのは間違いであったか。もはや、ガイアの一族を捜している時期ではないか。ラッツウェル……か。ハインツと言う味方をつけて、この大陸をその野望で埋め尽くすつもりか」
 ハインリッヒは荒れる戦場を見つめてそう独り言を呟いた。
 彼は本拠のライゼルへの帰途を急がねばならなかった。政治的に厳しくなった立場を回復せねばならぬと言う運命が待ちかまえていることを彼は知っていたからである。



 ドゥルジ伯がヴァルハナ市に逃げ帰ったとき、彼の持つ兵力は彼と共に逃げた五千弱の兵士のみであり、彼我の戦力差は逆転し、数字以上に互いの勝敗の帰趨は見え始めていた。
 ハインツは手を緩めず迅速に兵力を展開させ、ヴァルハナ市を囲い込み、ヴァルハナ市を孤立させた。
 一方、それに対抗してドゥルジ伯は篭城の構えを見せて、徹底抗戦の意を示していた。
 市民のためを思うと、早急に攻め陥したほうがよい。
 ローズハルトとゼフルトはハインツにそう告げたが、ハインツは別に慌てる振りもなく、のんびりした声で答えていた。
「強襲すればこちらに犠牲が出てしまうし、街に火がついてしまうかも知れない。もうしばらく待とう。ドゥルジ伯が真に愚者であれば、答えは出るさ。まあ、他の手がないわけじゃないが、なるべく楽に勝てれば、それに越したことはないだろう?」

 ハインツの予言は的中する。城門付近に罠を張り、ハインツらの急襲を待っていたドゥルジ伯は動きを見せぬ敵に苛立ち、愚かなる選択を犯したのだった。

 彼はヴァルハナ市民を人質にとり、彼らの生命と引き換えに撤退せよとカランダ軍に突きつけたのである。
 それを知ったヴァルハナ市民は怒り、四万を越す人民は一斉に蜂起したのである。
 同時に兵士達の一部も離反し、もはや反乱を抑える力もないドゥルジ伯は市民と兵士達に取り押さえられ、ハインツらの前に引き出されたのだった。

 ここに歴史に刻まれた「ヴァルハナ戦役」はあっけなく終幕を向かえ、ハインツはほとんどの自軍の犠牲を払わず、小数で多数を討った軍略家として名を広めたのだった。



「そうか、ハインツとやらはドゥルジに勝ったか。まあ、ドゥルジごときに手こずるようではたかが知れているが、なかなか見事な勝ちっぷりのようだな。で、どうだ? お前のほうの収穫は」
 部下からの報告を聞いた愚鈍王子の異名を持つミハエルは微笑んだ。が、それは暗愚なる笑みではなく、知性の閃光を秘めた冷笑だった。
「上々にて」
 答えたのはジャッドであった。知性を秘めた野性人の瞳をもつ彼は、誰にも仕えることのない自由人の気風を漂わせている。
 しかし相手が仕えるだけの器量と才覚の持ち主であれば、そして彼の人生を楽しいものにする者であれば別であった。そして、「愚鈍王子ミハエル」は彼が仕えるにふさわしい人物だと、彼は見抜いていた。

「しかし、何故でございます? 今更、アムル公国公女ルシアを手中に収めたところで……」
「ルシアの持つものは三つある。まずは美しさと才覚だ。この際はそんなものはどうでもいい。あとあと一つ、彼女はアムル公国の血筋と言うものを持っている」
 ジャッドは人の心理を読むに愚鈍な男ではなかったが、ミハエルの真意を見定めることが出来なかった。

「アムル戦役の際、かの地は塩をまかれ不毛の大地にされたが、それも過去のことになった。アムル公国は初夏から秋にかけて雨量がきわめて多い。大地は洗われて元の肥沃さを取り戻している。かつての民も戻りつつある。そこへルシアをつれて帰り、アムル公国復興を宣言させるのだ」
「なるほど」
 ジャッドはようやくミハエルの話の真意が見え、好奇心豊かな瞳を揺らした。

「アムル家はよく民に愛されていたようだ。民も愛国心豊かな風土と聞く。ルシアが故郷に帰ったと知れば、難民となった者達も戻る。そこに私とおまえが加われば、我が兄、ラッツウェルに対抗できる勢力となる。いや、少なくとも兄は我々を無視することを出来ぬ」
 ミハエルは冷笑を浮かべたまま話していた。

 かつてジャッドは何故ラッツウェルに逆らうのかをミハエルに問いた事があった。
 その時の答えは、奇妙そのものであった。

「分からぬ。自分自身でさえな。次兄ラウエルならばともかく、長兄ラッツウェルには私怨もない。カランダ王の座も対して欲しいものではない。歴史に名を残したいわけでもない。名誉を望むならば、愚鈍王子などと呼ばれる行為はせぬだろう。自分自身良く分からぬが、私は長い人生の中の暇つぶしに兄王に逆らうのかも知れぬ」

 ジャッドはその答えを聞いたとき、彼について行こうと思った。
 少なくとも、この人について行けば、退屈はすまいと思った。
 人生を一つの娯楽と考えるジャッドには彼の気性は惹かれるものに値したのだ。
 端からみれば、なんと愚かな男達だろう。
 しかし、彼らは自分達を信じていた。



 ラッツウェルは潜在的な敵の一つであったドゥルジを下し、その勢力を飲み干して北カランダに大きな力を持った。もはや彼に追随する勢力は国内にはなく、覇道を走り始めたと言って語弊はなかった。しかし、その中にもミハエルを初め、オーベルハイム公、ライゼル辺境伯ハインリッヒ等の有力な野心家達が未だ息を潜めていた。
 大陸は今、野望の渦に揉まれている。それはカランダ国内だけでなく、南方のアステ・ウォールも同じ宿命を急いでいた――。

5章・野望の大陸<了>
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