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異世界大陸幻想譚アルカーティス 作者:水夜ちはる

5章・野望の大陸

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5章・野望の大陸(5)

 キース以下百名のあらくれ者達はハインツの要望に忠実に仕事をこなした。
 罠を稼働させ、さらに大軍が罠にかかって混乱に陥っているように騒ぎ立てたのだ。そして、それを行うのに一人の犠牲者も出してはいない。
「いい部下を持っているようだな」
 ハインツは一人彼らの働きを見てつぶやいた。
 キースとその部下達の動きは手放しで賞賛して良いものだった。

「よし! もういいだろう。すぐにでも敵がこの場所を襲う。卿らは速急にこの場を離れ、身を隠せ。後は各自の才覚に任せる。無事、本隊に戻れることを祈る」
 ハインツは頃合を見て指示を下した。後は逃げ帰るだけである。この夜陰に紛れて離脱を図るのは彼らの能力であればたやすいことだった。
 ハインツの指示が終わると彼らは蜘蛛の子を散らすように散開し、夜の森へと消えた。

 そして実にその数分後、ドゥルジ伯の主力三万が彼らの去った後を襲ったのだ。
「奴らは罠にかかって混乱している! 今ならば、たやすく撃破できる!」
 ドゥルジ伯の号令の元、その配下の部将達が偽の野営の後を襲う。そこには罠による混乱で指揮系統を寸断されたカランダ兵が多数いるはずであった。

 だが、悲鳴を上げたのはドゥルジ伯軍の前衛だった。
「なんだと! 罠が生きている?」
 しかし、そこにはカランダ兵など一兵たりともおらず、逆に彼らが仕掛けた無数の罠の半数が未作動で待ちかまえていたのだ。
 その罠に判断力があるはずもなく、それらは侵入者の命を奪うべく作動した。
 突然の事に前線は混乱した。混乱が恐慌に至るまでにさしたる時間を持たず、たちまち全軍に伝染した。

「こ、これはどうしたことだ!」
 ドゥルジ伯は大軍を指揮する教育を受けていて、一定の指揮能力を持った男であったが、一旦恐慌に駆られた部隊を建て直すのは至難である。
 彼は努力の末、自らの周囲の部隊の混乱を沈めつつあったが、彼から離れた中級の指揮官にその能力はなく、全体として混乱は一向に収まらなかった。

 そこに待ちかまえていたカランダ兵の主力二万五千がドゥルジ伯軍の後輩を襲った。
 混乱し、まともな指揮系統を失っていたドゥルジ伯軍はそれに対応することができなかった。
 ローズハルトを先頭にしたカランダ軍はたちまちドゥルジ軍の後衛部隊を粉砕した。

 ドゥルジ伯は苦戦の中、秩序を保つ部隊を持って後背の反撃にあてたが、勢いに乗るカランダ兵の侵入を食い止めることはできなかった。
 ドゥルジ伯軍の戦線は徐々に崩壊しつつあった。
「おのれ! 姑息な真似をしおって!」
 ドゥルジ伯はなおも強情に反撃を唱えていたが、カランダ軍の侵入を食い止めるその抵抗力はすでに失われていた。

 だが、戦況は再び変わった。
 カランダ軍の後背が騒がしくなったのだ。
 戦況を知ったライゼル辺境伯ハインリッヒがドゥルジ伯軍の崩壊から彼らを助けるべく、カランダ軍の後背を襲ったのである。
「後ろから敵襲? 斤候どもは何をやっておったのだ!」
 ローズハルトは報告に怒声で答えたが、その時にはすでに事態は回復に向かっていた。
 カランダ軍の中央部にいて戦況全体を見ていたゼフルト元帥が後背からの反撃に対応させ、厚いドゥルジ伯軍の中央突破を諦めて比較的陣の薄い左翼へ攻撃を変更するように前衛を務めるローズハルトへ指示を下した。
 陣の薄い部分を強襲されたドゥルジ伯軍になす術はなかった。
 カランダ軍はそこを悠々、かつ迅速に突破し、秩序と速度を保って戦場を離脱したのだ。

「ち、ドゥルジめ、何をやっておるのだ!」
 逃走するカランダ軍の後背を見つめてハインリッヒは忌々しそうに吐き捨てた。
 ドゥルジ伯軍が戦線を維持し、このまま挟撃を続ければ、カランダ軍は無視できない被害を被ったことは間違いない。
「しかし、ゼフルト元帥か、あの指揮は……速い判断は敵ながら見事か、しかし追撃も許さぬ隙のなさは、さすが老練の将と言ったところか」
 ハインリッヒはカランダ軍の動きを見てつぶやいた。
 彼には敵を認めるだけの的確な判断能力と、指揮官としての器があった。
 敵と味方の将の力量。それを鑑みるにハインリッヒはこの先の戦いが厳しいことを予感した。



 その戦闘はきわめて短いものであり、一時間余りであった。
 だが、その戦果は大きく、ドゥルジ伯軍の死傷者はその五分の一を数えていた。
 しかしカランダ軍はハインリッヒの後背からの奇襲によって逃走せねばならず、敗走するドゥルジ軍を追うことができなかった。それによってドゥルジ軍は辛くも壊滅を免れた。
 ただしハインツが意図した戦略的な目的は遂げられた。彼の狙いはドゥルジ伯軍の戦意の喪失と戦力の削減であり、ここで一気に撃破までは考えていなかった。

 その彼はドゥルジ伯の罠を見せかけの作動をさせた後、森の深い所に隠れていたのだが、味方がドゥルジ伯の軍に襲いかかったとき、迂闊にものこのこと姿を表したために、味方の兵に敵の将兵に間違えられて追い回される羽目になった。
 ハインツはまさか味方と戦う訳にも行かず、ほうほうの体で逃げだし、逃亡する途中、何時のまにかカランダ軍本陣の近くまで来ていて、まさに「回収」された形で彼は戻るべき場所に戻っていた。

「さすがはゼフルト元帥だな。我々にはできぬ見事な用兵だ」
 安息の一息を付けたハインツはもっともらしく元帥の老練たる用兵を評賛したが、余り説得力がなかったのは言うまでもない。
 しかし、彼の評価は事実と違わず、ゼフルト元帥は戦況見極めると戦力を一点に集中し、ローズハルトに敵左翼を突き破らせると、迅速なる速さを持って戦場を離脱したのだ。それも機動力では定評のあるハインリッヒが指揮するライゼル騎兵を相手にしてだ。

「グスタフ・ド・ハインツか。一見軟弱な貴族の青二才に見えるが、なるほど敵の動きを良く読んでいる。なかなか見所がありそうではないか」
 一方、ゼフルト元帥はハインツを辛辣ながらも彼なりの賞賛の声で評価していた。
 老いた彼の瞳に、彼はハインツの若々しい姿を思い浮かべて、彼が我が孫であれば、とつぶやいた。
 彼には子も孫も恵まれていなかったのである。



 一昼夜の逃走を続けたドゥルジ伯軍は更にその数を減らし、二万余まで数を失っていた。
 しかし、その間ハインリッヒ軍と合流を果たし、その数は四万弱。依然カランダ軍に対して、圧倒的数的優位を保っていた。

 彼らはそのまま東へ進みし、ヴァルハナ山脈まで撤退していた。
 これはライゼル辺境伯ハインリッヒがドゥルジ伯に持ち掛けた案であった。

 原始戦争から始まって、近代戦争に至るまで自軍を高い位置に置くことはきわめて有利とされた。
 原始的な戦闘における、弓、剣、槍などにおける集団戦術は位置エネルギーを得ることによってその威力を増幅させる。
 近代戦争においても砲や銃火器による戦闘に追いても高所は命中率と威力を増すことが出来る。索敵においても有利である。
 また下方の軍は敵を攻めるためには山道を登らねばらず、その機動力は落ちること著しく、兵の疲弊を招く。
 故に高所を制す軍が相対的有利を得ることになる。
 しかし、これは太古の兵法家にして哲学者であった男が論じて以来、用兵家の間では常識中の常識であり、並の指揮官ならば誰もが知るところであった。

 その常套手段は防御に徹した場合、効果は非常に大きなものとなる。
 そして、ハインリッヒの取った戦略もそれであった。峠を制し、そこを相手より大兵力で守る。
 攻める側は如何なる方法を用いようが、勝利を収めるのは困難であった。

「やれやれ、かわいげのない戦略をするものだ」
 しかし、ハインツはそう評したものの、ハインリッヒの立場が自分なら、自分もそうしただろう、と思わざるを得ない。それ以上の効果のある戦略も存在しうるかも知れないが、存在したとしても、彼の知能の及ぶところではなかった。

 一方、ハインリッヒの戦略はさらに壮大だった。
 ヴァルハナ山脈を自然の大長城として敵を長期に渡って食い止める。
 彼らの支配下にある東カランダにはヴァルハナ、ドゥルジ、ライゼルと言った大都市と、アムル地方、ライゼル地方と言った豊かな穀物地帯も有している。独自の経営を行うことも不可能ではなかった。

 戦闘が長期に渡れば、逆に基盤の不安定さを露呈されるのがカランダ軍であった。彼らが基盤とする西カランダにはドゥルジ伯らと縁のある、オーベルハイム公ら諸候も数多くいるからだ。
 ハインツもその戦略を感じ取っていた。
「やはり相手の思惑通り事が進むと負けてしまうだろうな」
 ハインツはまるで他人事のようにつぶやいていたが、その瞳は知的な輝きを増しており、その光の中には絶望の影はなかった。
 彼は楽観はしていなかったが、事態の変化を不可能とは考えていなかった。

 翌日、カランダ軍は動きを見せた。それはドゥルジ軍らが待ちかまえる峠より、遥か南のより険しい旧街道の峠に向かっていた。
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