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異世界大陸幻想譚アルカーティス 作者:水夜ちはる

4章・愛を苦抱く

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4章・愛を苦抱く(9)

「え? 今、今なんて……」
 セレナは愕然とつぶやいた。自らの耳を信じるならば、彼女は姉と名乗った。
 だが彼女は両親との間の一人娘として育ってきた。俄かに信じることは出来なかった。
 それでも緑の髪をはじめ、目の前の女性はセレナ自身が驚くほどその容姿は似通っていた。
「我らは魔族、人とは相慣れぬもの。おまえは人間ではない」
 端的で冷たい声。セレナは混乱し動揺に瞳を揺らした。
「魔族? どう言うこと? 私は人間よ。それに魔族なんて物語の上での存在だわ」
 セレナは震える声で否定した。

 魔族とはしばしば伝承や童話の中に出てきて、人に害をなす異界の種族である。
 悪戯をしたり家畜を襲う程度の妖魔から、冷酷で残忍な人を殺めたり攫ったりする悪魔まで語られる。彼らは総じて人間の姿形をしているが、変身能力や人間の魔法を超える力を有している。しかし、それは伝説であって架空の創造物にすぎない。

「我らガイアの一族も伝説に語られていた存在だ。魔族の存在をどうして否定できる?」
 シンシアは即座にセレナの言葉を否定した。あまりに冷静な声はセレナに反論の予地を与えなかった。
 反論が出来ないセレナを見て、シンシアは冷たい表情の中で微笑を浮かべた。

「よかろう……ガイアの一族の真の姿を見るがいい」
 シンシアはそう言うと、セレナの視界がぼやけた。否、シンシアの姿がぼやけて行く。
 セレナは愕然として眼を凝らしたが、幻のごとくぼやけて彼女の姿をはっきりと見ることが出来ない。
 それは見るまに変化し、巨大化して行った。やがて蜃気楼の様なシンシアの姿は風に霧が払われるかのようにはっきりとセレナの視界に映る。

 セレナは絶句した。前進に震えが襲った。それは恐怖よりも驚愕からくるものだ。
 彼女の眼の前には、人の数倍の大きさを持つ毒蜘蛛の姿があった。それが奇怪であるのは、胴の部分の全面、すなわち頭部にはシンシアの美しい姿がある。そして、全身の色と言えば、セレナの髪と全く同じ、ガイアの象徴である緑だった。 

「う、うそ……」
 セレナは我を忘れて呟いた。
 その姿は魔物と呼ばずして何と呼ぶだろう。セレナは他に表現する語彙を持たなかった。

「これが我らの真の姿だ。我らは魔族。ガイアも魔族は伝説上だけの物ではない。人間との争いに破れた我らはアステ・ウォールのガイアの塔に封じられ、歴史から隠滅されたのだ。しかし、その時代も終わった。まもなく封印は解ける。我らガイアの一族は封じられた魔族を導き、魔族が再びこの大地を支配する時がくるのだ」

 シンシアの言葉をセレナは受け入れられなかった。
 おびえと拒絶の表情で、首をただ横に振るだけだった。

 シンシアはため息をついた。
「人間の中に溶け込みすぎたか。しかし人間の中ではお前は生きていけない。お前は人間ではないのだから」
 毒蜘蛛は細く長い足を動かしセレナに近寄った。
 巨大で不気味なその魔物はセレナに強烈な拒絶感を与えた。

「違う! 私は人間よ! あなたなんかと違う!」
 セレナは目の前の恐怖とシンシアの放つ言葉に混乱していた。
 即座に呪文を唱え、火球を造り、毒蜘蛛へ投げつけた。
 とっさではあったが、申し分ない威力だった。

「愚か者が!」
 毒蜘蛛は素早く障壁を作って、その火球をはじき返した。
 まともに跳ね返った火球を避けるためにセレナも魔法で障壁を造ろうとしたが、一瞬間に合わずに火球の衝撃を受けて後方に吹き飛ばれた。
 軽量の彼女はかなりの距離を飛ばされて、木の幹にたたきつけられる。

「くっ……」
 肺の空気が押し出されて激痛にセレナは顔をしかめたが、気丈にもすぐさま次の呪文の詠唱に入って更に強力な魔法を繰り出そうと精神を集中させた。
「真の力を知らぬお前には無駄だ!」
 シンシアの瞳が朱色に染まって行く。
 ライゼルでセレナが捕まった時、ヴァルハナでミナを助けた時、セレナの瞳がそうなったようにだ。その刹那に衝撃波は放たれて、セレナの身体を打ち付けた。

「あぐっ!」
 セレナは再び吹き飛ばされて、先ほどの木の幹にたたきつけられる。
 魔法のための精神集中と詠唱も途切れてしまった。
 だが、セレナは立ち上がった。
 既に冷静さは失われ、彼女の精神は怒りが支配している。こぼれる緑の髪から覗くセレナの瞳はシンシアと同じ紅の輝きを放っていた。

「その瞳……本来の力には程遠いが、覚醒は始まっていたという事か」
 シンシアは興味深くつぶやいた。
 セレナは強大な力を放つ。ヴァルハナでは兵の大群を薙払い、二人を死に至らしめた衝撃波だ。
 しかし、それはシンシアが二度めの放った衝撃波で難なく相殺された。

「その紅き瞳。緑の髪。紛れもなく私と同じだ。ガイアの一族とは魔族。私のように醜い魔族のだ。私と来い。そして共に魔族の支配する世界を築き上げるのだ」
 シンシアは高らかに笑った。

 ぽつり、ぽつりと雨があたり始めた。
 深い秋のそれは凍てつく雨だ。その雨は時間と共に激しさを増していく。雨に当たるたびにセレナの身体は冷えていき、冷静さを取り戻す。
 その冷静さを取り戻すことはなによりも残酷だった。

「私が……あなたと、同じ?」
「これは忠告だ。おまえが人間と馴れ合うことは決してお前を幸せにはしない。いや不幸に陥れるだろう。人は魔族を受け入れることはない。人よりも遥かに強い力を持つ我らを許しはしない。おまえの周りにいる人間も、いずれ目覚めて行くお前の本来の姿を見て、おまえを遠ざけるだろう」
 シンシアは氷のような表情の中に、僅かに哀れみを浮かべていた。
 それは彼女が過去受けた経験を語ったのだろうか。セレナは何も言えず立ち尽くしていた。

 やがてシンシアは現れたときのように幻のごとく消えた。が、それは幻ではない。セレナの幻覚ではない。そうであって欲しいセレナが皮肉にも一番分かっていた。

 雨は更に激しさを増し、森の木々の葉を雨粒が打ち付け、静寂の夜はうってかわって雨音に支配された。
 セレナはその身を切るような冷たい雨に当たり続けながら、泣いていた。
 涙と雨が彼女の美しい顔をぐしゃぐしゃに汚していた。

「セレナーっ!」
 ミナの大声量でも決して損なうことの無い美声がセレナの耳に飛び込んで来た。
 セレナはただ立ちすくんだまま、首だけを声の方向へ向けた。
 森の闇の中からミナを先頭に、アーディル、ジークが現れた。さきほどの衝撃波が激突する轟音を聞きつけて心配になったアーディル達が駆けつけたのだ。

「アー……ディル」
 彼らの耳には届かぬか細い声でセレナは彼女の愛する男の名を呼んだ。それは絶望と冷気で震えた唇から漏れた微かな吐息だった。
 ゆっくりとセレナの身体が崩れていく。

「セレナ!」
 アーディル達は慌てて彼女に駆け寄り、彼女の身体が地面に落ちる前に受け止めた。
「セレナ! 何があったんだ!」
 彼女を受け止めたアーディルが真剣な表情で尋ねた。
 その表情は芯から彼女を心配しているからだ。それがセレナには切実に分かった。それが、悲しくて仕方がなかった。

 セレナはアーディルを愛している。アーディルもセレナに仲間以上の感情を抱いている。
 セレナがアーディルに自身の心の内を告白すれば、アーディルもきっと受け入れるにちがいなかった。
 それがセレナに取って苦痛のほかならなかった。自分は魔族なのである。人とは愛慣れぬ、そうシンシアのように醜く変身する魔族なのである。シンシアの行っている事はおそらく正しいと彼女は感じていた。ライゼルのこと、ヴァルハナのこと、彼女ははっきりと覚えているわけではない。だがおぼろげに残ったその記憶が、シンシアの言葉と紐付いて行く。

 私は人間ではない。魔物だ――。

 それをアーディルに知られたなら……そうでなくてもそれをかくしてアーディルと共に生きて行けるのか。

「わああああっ!」
 セレナはアーディルの腕をふりほどくとミナの胸に抱きついた。
 そして、泣きじゃくった。全ての感情が溢れていた。が、その感情はあまりに混濁していたために周りの人間はセレナに何が起こったのか、悟ることが出来なかった。

「セレナっ? いったいどうしたのよ!」
 ミナがセレナを抱き止めながら尋ねた。
 アーディルだけではない。皆が自分を心配しているのだ。仲間の心配する視線がこの時のセレナにはとてつもない圧力になっていた。

「セレナっ?」
 セレナは突然ミナをふりほどくと宿の方へ駆けた。闇の中を逃げるように走った。
 夜目が効き、昔から森や山道にはなれているセレナの足は速かった。
 突然の行動を起こしたセレナを追いかけたアーディル達が彼女に追いついたのは、彼女が自分の部屋に入ってしまってからだった。
 セレナは部屋の鍵を占めるとそのドアにもたれた。濡れた服と濡れた髪がまとわりついてきた。自分がどんな惨めな姿であるかを最確認する。

「セレナ! 開けてよ!」
「いったい何があったんだよ!」
 扉を激しく叩く音がして、ミナやアーディル達の声がセレナの身体に直接伝わってきた。
 セレナは乱れた姿のまま、扉にもたれていた。アーディル達の真剣に心配する声も、今となっては彼女の心に毒針を差し込まれるようなものだった。

「……ごめん……ミナ……アーディル……今は……独りにして欲しいの」
 セレナはやっとの事で自分の意志を言葉にした。ひどく掠れてひどい声だった。涙が喉を水分を奪っていた。
 ミナはセレナのすすり上げるような声を聞いて、扉を叩くのを止めた。
 真実はミナが知る由もなかったが、直感的にセレナが深い衝撃を受けたことを悟った。

「アーディル、今晩は独りにしてあげましょ……何があったわからないけど、ひどく錯乱してるみたいだし……明日落ち着いてから……」
 ミナが静かに動揺するアーディルの腕を掴んで言った。
 取り付く島もないセレナの様子からアーディルもミナの意見に従った。
 かつてセレナは自殺未遂を起こしたことを思いだして彼は少し背筋を寒くしたが、今は彼女を信じて独りにさせるほうが良いと判断した。



 夜の沈黙の中でセレナはうなだれていた。今でも脳裏にシンシアの言葉がこだましている。

 私は魔族……人とは相馴れぬ者……
 私は醜い化物になる……人間達、アーディル達ちはそんな私を受け入れることはない。

 セレナはよろよろと歩きながら、雨に濡れた衣服を脱ぎ捨てた。
 寝衣を脱ぎ捨てればもう全裸である。その全裸に冬の冷気が彼女の全身を虐めていく。その痛むような寒気も内面からの激痛に比べれば生優しいものだった。

 アーディル……アーディル――!

 セレナは心の中で愛する者の名を連呼し、ふらりとベットの上に身体を投げた。冷気から身を護るために毛布にくるまる。

 人とは相馴れぬ者……

 シンシアの言葉が脳裏をかけめぐる。その刹那にセレナは両手で緑の美しい髪をかきむしった。無惨に豊かな髪は乱され、負荷に耐えかねた髪が切れたり、抜けたりする。
 そのまま、セレナは毛布に顔を埋めて鳴咽した。激しく鳴咽した。

 ちがう! 私は人間よ! 人間のセレナ・アスリードよ! 
 魔族の封印を解いて世界を支配する? 冗談じゃない!
 人と相容れない? 違う! アーディル達は私に優しく接してくれている!
 私たちを利用しようとする人間は確かにいる。でも、ファーニアさん達のような何も知らない人をこれ以上死なせるものか!
 私に特別な力があるならば、それで戦ってやる! 魔族達と! 私たちを苦しめる人間と!
 そして、打ち砕いてみせる! 運命なんて!

 セレナは鳴咽の中で決意をしていた。
 ガイアの力、すなわち魔族としての力は彼女の身体のうちにあることは、薄々ながら自覚していた。それはヴァルハナでミナを助けて以来、顕著だった。
 自分が特別な存在であることは認めざるを得ない。
 ならばそれを利用しようと彼女は決意していた。
 自らと彼女の仲間のために。

 だがその決意は自身が魔族、あのシンシアのような魔物であることを認めることと同じだった。魔物である自分を愛する人間がいるだろうか。

 ――否。

 セレナはアーディルへの愛を諦めねばならなかった。しかし彼女はそれも出来ないことを。
 アーディルは彼女が初めて愛した男だ。その彼への愛を自ら捨てることなど、今の彼女に出来ようもない。
 だから、彼女はとめどなく泣いたのである。
 悲壮な彼女の決意は、彼女に愛を砕かせ、苦抱かせたのである。

4章・エロイカの遺言<了>
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