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異世界大陸幻想譚アルカーティス 作者:水夜ちはる

4章・愛を苦抱く

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4章・愛を苦抱く(5)

 ミナを抱いたセレナはしばらくの間、ヴァルハナ市の上空を飛び回ると町外れに近い路地の奥にある小さな広場に降り立った。
 ミナはその一部始終を驚愕した表情をうかべ、セレナの豹変ぶりを見つめていた。
 ミナはガイアの一族の存在を知っていたが、それが何を意味するのか、どんな能力があるのかは知らなかったからだ。

 地上に降りたセレナは徐々に紅い衣を失って行き、瞳の燃えるヴァーミリオンもゆっくりと元のライラック色へと戻って行った。
 その劇的な変化にミナは背中の傷を忘れていたが、セレナの名を呼ぼうとしたときにその激痛が彼女を襲った。

「ぐうっ!」
 そのうめきにセレナも我に返った。
「ミナ! 大丈夫? ここは……?」
「セレナ……一体……あなた……何、者?」
 ミナが喘ぎながらセレナに尋ねた。気が付けば出血がおびただしく、視界は霞み、身体は鉛のように重い。
「血液が流れ出るのだから、軽くなってもいいものなのに」
 元気な彼女なら、そう皮肉を言ったものだろう。
 だが、このときは唇を動かすことですら、億劫に思えた。

「え? 何? それより手当しなきゃ!」
 セレナは我も忘れて治癒魔法の呪文の詠唱に入った。魔法が作動すると同時にミナは淡い柔らかな光に包まれているような安楽を覚えた。そして、自然に意識が遠のいて行く。それが魔法の効果なのか、命が燃えつきようとしているのか、彼女には分からない。
「ミナ! 死んじゃ、死んじゃ駄目だからね!」
 セレナの声が彼女の耳には遠く霞んでいた。



 シレーヌは二人部屋を一人で借りていた。ヴァルハナ市の中心市街からは離れた安宿である。部屋は質素ながらも清潔に保たれていた。長年流れ者をやっていると宿の選び方もうまくなるのだった。
「シレーヌさん、他の人達を捜してみます」
「え? そんなこと出来るの?」
「ええ、魔力の強いセレナなら探知できるかもしれません」
 ファティマはシレーヌの問いに頷くと、腰に付けた薬草袋の一つから、何か植物の葉肉をつぶした染料を取り出して、床に幾何学的な文様を描いた。
 薬草の香がしたが、シレーヌには薬草の知識は乏しくそれがなんだかわからなかった。

 ファティマは文様の中央に座ると、座禅を組んで、それぞれ四つの呪符を前後左右の床に張り付けた。
「少しはなれてて下さい。危険ですから」
 ファティマが注意を促すと、シレーヌは慌てて部屋の隅へ退いた。

 シレーヌも十四の歳に両親の不幸があり、こういった流れ者の生活を八年近く続けている。二十三の女性にしては肝が座っているが、さすがに魔法となると怖さが先立つ。それは人が神や霊等の不可視のものを恐れる心境に近い。
 ファティマはシレーヌが退いたことを確認すると、瞳を閉じて精神を丹田に集中させた。じっくりと気を練り、それを全身に潤滑させて行く。
 風もなくやわらかなウェーブを描くファティマの髪が搖れる。動きは大きくないが、黒い霞のようだ。
 それを見てシレーヌは生唾を呑んだ。彼女にはファティマから放たれる膨大な「気」の奔流が見えていた。それは呪術の心得のないシレーヌにも肌で感じられる。

「ひょっとして、この子、凄い才能を秘めているんじゃ……」
 シレーヌはつぶやこうとしたが、喉の渇きが悲鳴をあげて、それは声にならなかった。
 その刹那に、ファティマは大きな瞳を開いた。同時に気の奔流も収まる。

「見つけました。ここからすぐです。でも、ひどく弱々しい」
「落ち着いて。この近くね? すぐ行こう。でも、ファティマはフードか何かで顔を隠した方がいい。見つかると厄介だし」
「はい」



 それが一瞬であったのか、長い時間であったのか、ミナには知る事が出来なかった。
 長いか短いか判断は付かないが意識を失っていたらしい。
 遠くなった耳でセレナの呪文の詠唱が聞こえる。血液が多量に流れたおかげで、身体中の器官の能力が衰えているのだ。

「セ、レナ……だめよ……それ以上魔法、つかっちゃ……セレナ……が死んじゃ……う……」
 ミナは気丈に言ったつもりだった。が、やはり、舌がうまく回らずに弱々しい声となってしまった。
「ごめん、ね……ちゃんと、ちゃんと魔法を修行、しとけば、すぐ、なおして、あげれる、のに」
 セレナは蒼白になり、息も絶え絶えになっていた。脱出の時から魔法を使いっぱなしなのである。無理もなかった。
 魔法は決して無尽蔵なエネルギーではなく、彼女の生命力と交換にさまざまな効果をもたらす。これ以上ミナの治療を続ければ確実に彼女は体内の生命力を使いはたし、死に至るだろう。
 しかし、セレナにミナを見捨てることはできなかった。

「あっ?」
 誰も来るはずの無い古びた路地に人影が立っていた。
 二人である。逆光で顔が確認できない。セレナは愕然とした。魔法の使いすぎで意識がもうろうとして判断が正確にできづらくなっていた。
 セレナはとにかく剣を抜いた。未熟な剣で自らとミナを護れるはずがなかったが、魔法を使う余力も残されていなかった

「セレナ!」
 その人影は彼女の名を呼んだ。セレナにはその声がひどく懐かしく聞こえた。その声を聞き始めたのは、つい最近の事であるのに。
 その人影はセレナの魔力を追ったファティマ達であったのだ。
 ファティマの姿を見たセレナから緊張が一気に崩れ落ちる。それと同時に精神の崩壊が急速に行われた。気が抜けたセレナはその拍子に倒れ込もうとする。

「セレナ! しっかり!」
 ファティマは慌ててセレナを抱き止め、優しく抱擁した。
「そっか、ミナが怪我したんだ……それで限界以上の魔法を」
 セレナが護ろうとしたものは横たわるミナだった。彼女は血の気の失せた冷たい表情で、意識がなかった。ただ、セレナの捨身の努力の成果か、傷口はかなり癒えていて、出血は収まっていた。

「大丈夫なの、二人とも?」
「え? ええ……まあ、セレナの方は精神疲労で意識を失っただけです。ミナの方は……何とも言えません。セレナのおかげでなんとか一命は取り留めていますが、出血の量が酷そうです」
 シレーヌが心配そうに尋ねると、ファティマは注意深い表情で答えた。
 だがファティマはセレナが護ろうとした意志を受け継いで、ミナの命を助ける想いに燃えていた。


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