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異世界大陸幻想譚アルカーティス 作者:水夜ちはる

4章・愛を苦抱く

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4章・愛を苦抱く(2)

「おや? ファティマ?」
 ラルフが不意に現れたファティマの姿を捕らえてつぶやいた。
 それまで響いていた木刀がかちあう不規則な音が止む。もっともファティマとしては彼を探していた訳なので不意というわけではなかったが、意外な場所に彼がいたことに驚きを隠せなかった。

「ラルフさん……何やっているんですか?」
 ファティマはラルフの姿を見て悲しげな視線を彼に向けて言った。
 彼が剣の練習をしていると、一目で分かったからだ。
「え、いやなに、少し汗を流したくなって」
 ラルフはファティマの強い視線を感じて思わずたじろいた。かつて世界最強の暗殺者と言われたこの男が、可憐な少女の前に大人気もなく狼狽えている。

「そんな嘘付かないで下さい! 本当の事を言って下さい」
 ファティマの表情はさして強烈なものではなかった。むしろ困惑の表情だった。
 だが、その表情は真剣そのもので訴える力が十分にある。厳しさだけが強い表現ではないことを物語っていた。

「ごめん、ファティマ。でも信じてくれ、私は決して過去の私に戻りはしないよ。ただ、かかる火の粉は払わねばならない、ファティマやルシアを護る力は必要なんだ」
 ラルフは気まずそうに頭をかいてファティマに正直な気持ちを話した。
 少女でありながら優れた洞察力を持つファティマはそれを正直な言葉として受け取った。
 また、ラルフがファティマに続けて嘘を付くことはないと彼女は信じている。

「お願いです。ラルフさんは今のラルフさんでいて下さい。私は、昔のラルフさんをよく知らないけど、今のラルフさんのままでいて欲しい」
「ファティマ……ありがとう。私も変わりたくはない。私を人として接してくれる人達がいる限り……ね」
 ラルフは目を細めた。
 その微笑みは、ファティマへ向けたものなのか、過去の殺人「機械」だった自分への嫌悪か。それは余りに一瞬であったために、その場の者達には察することが出来なかった。



 数日が経つ。
 セレナ達は旅の疲れを癒しながら、次の目的地であるアスブルクへの旅の準備を進めていた。が、その日はいつになく慌ただしさが目立っていた。

「何があったのかなあ?」
 旅の用具や食料などを調達していたセレナとミナは事情を知らずいた。
 呑気そうなその声はそれを表している。

「セレナ……まずいことになったぜ」
 すると、アーディルが現れて低い声で言った。いつもより表情が固い。
 それがセレナには即座に分かった。そして、彼が持っている情報が良いものではないことも分かる。

「いったい何があったの?」
「ヴァルハナの正規兵が動いている。どうやらフェンリルを攻撃するみたいだ。どうも今日、明日中らしい」
「嘘? 随分急な話ね」
 ミナが怪訝そうな声を上げた。

 衰退しているとはいえ、フェンリルの幹部クラスを捕えるには少なくとも数百の兵士を動員させねばならない。通常、都市に常駐する兵士は治安維持などの他の業務に就いており、大規模な動員には数日の準備が必要だった。
 フェンリルはその動向を常に見張っていて、その動きがあるたびに本部を移動させるなどをして凌いできていた。

「俺が抜けている間に、事が進んでいたらしい」
 アーディルは悔しそうにつぶやいた。

 アーディルはフェンリルの諜報員として活躍していた。その能力は超一流である。
 だがアーディルはセレナと共にコルア島へ向かっていてしばらく本部を不在にした。
 無論、彼の代わりに誰かが諜報活動を行ったであろうが、アーディルほどの働きが出来るものはそうそういるものではない。偶然だが、その穴に事は進んでいたのだ。

「ま、フェンリルも小さな組織だが、間者が紛れ込んで分からないほどには大きいからな」
 アーディルは舌打ちした。極小さな組織なら秘密が漏れたり、間者が紛れ込むことはないが、ある程度の大きさを組織ともなると、その末端までは目が回らない。
 管理能力は幹部達にかかって来るのだが、その能力はフェンリルはやや足りていなかった。

「ルシアさんやラルフさん達を呼んで来てくれ。少し予定が早まった。今日中にこの町を出るぞ」
 アーディルはそう言い残すと、慌ただしい喧騒の中に消えて行った。
 彼もフェンリルの中心を担う立場である。非常事態に忙しくなっていた。
 セレナは消えたアーディルの背中を追って、不安そうな表情を浮かべた瞳を搖れ動かした。



「あまり無茶はなさらぬと言う話であったはずですぞ!」
 老いた男が憤慨して叫んでいた。彼の名はエルネスト・フォン・ヴァルハナ。名前が示すとおり、このヴァルハナ市に封ぜられ、この地を治める諸候で伯爵の地位を持つ。

 十七年前に彼はこの地の支配者であったが、当時台頭していたリヒャルト三世によって、大軍でヴァルハナ市を包囲された際に、無益な抵抗をよしとせず、単身リヒャルト三世の元へ降伏を宣告した。市民と部下の安全を約しにして。
 その潔さをリヒャルト三世はこの人物を高く評価して、この地の封臣に取り立てたのであった。それはラッツウェルの代になってもそれは続いていた。

 しかし彼ももう七十を過ぎて心身に衰えが見え始めていた。
「無茶ではありませんよ。我が情報によるとフェンリルにはあのルシア公女が捕らわれておる。それを救い出すのに何のおとがめがあろうか」
 ドゥルジ伯は薄い唇を皮肉っぽく歪めて笑った。
 このとき彼は私兵を動員しヴァルハナに駐留していた。
 フェンリルに身を寄せるルシア救出を名目に、約一〇〇〇名の兵士がフェンリル攻撃のために集結していた。
 この兵はヴァルハナの兵でなかったためフェンリルの諜報員たちが動員に気付けなかったのも仕方がない。その点では彼はフェンリルを出し抜いたと言っても語弊はない。それが彼の狙いであったかどうかは定かではないが、戦略上、虚を付いた形となった。
 ただしこの一件をふくめてだが、彼は生涯、ある者に踊らされていたと言うことは気付かなかったのだが――。


 セレナ達はルシア達を連れて二階の会議室になっている広間へ向かった。
 そこにはすでにリヒターを初めとした幹部達、それにアーディルやジークなどもいた。皆が緊張をしている。陽気なジークまでもがだ。

「セレナ、みんな集めたか?」
 アーディルの問いにセレナは無言で頷いた。緊張感は人を無口にする。
 そして無意識に身体中が火照り、暑さからではない汗が分泌される。

「よし、聞いてくれ。ともかくフェンリルに無関係な人間はまず、逃げて貰う。ルシアさんやラルフさん達の事だ。そして、セレナ、おまえもな」
 アーディルがてきぱきとした口調で速やかに説明した。セレナはフェンリルに無関係な人間として数えられたことに、何か言葉を返そうとしたが、場の雰囲気とアーディルの真剣な声に言葉が出なかった。

「ともかく、向こうの狙いはルシアさんだ。おそらくな。それと、もしかするとセレナも狙いの一つかもしれん」
 リヒターがそうつぶやいた。

 ミナやルシアがはっとセレナを見つめる。彼女は美しい少女であるが政戦略上ただの少女に過ぎない。希有なる緑の髪、ガイアの一族である事を除けば、だ。
 ただ、それが何を意味しているのか、彼女がどんな能力を持っているのか知らない。彼女自身ですら、分かっていないのだ。
 しかし、彼女がある一定の人間達が狙っていることは確かだった。そうでなければ、彼女はアーディル達と会うこともなく、ライゼルの山奥で日々を暮らしていたであろう。

「ルシアさん、ガルドさん、ラルフさんとファティマ……あと、セレナとミナは裏口から出て、この町を出るんだ。セレナ達はそのままアスブルクへ向かえ、いいな?」
 アーディルが矢継ぎ早に言った。人選は的確である。
 ミナはフェンリルの一員だが、最年少かつ、少女である。この場に残したくはなかった。
 フェンリルが攻め込まれたら、数の差は絶望的であり、敗北は必死である。ミナのような少女をこんな所で死なせたくはなかった。

「待ってよ! 私はフェンリルの正式な一員よ? 私も残るっ!」
 ミナが慌てて叫んだ。彼女にもいっぱしの責任感があるのだ。
「違うさ。ミナにもフェンリルの一員として働いて貰う。セレナを護るんだ。俺の変わりにな」
 アーディルは諭すような口調でミナにつぶやいた。ミナは何も言えなかった。アーディルの言葉に逆らえない圧倒がそれにあったからだ。

「来たっ! やつらすぐ側まで来ていやがったんだ!」
 突然、ドアが開けられるとフェンリルの男が血相を変えて飛び込んで来た。
「なっ?」
 場が急に騒然となった。狼狽する者、驚愕する者など様々である。
 予想外の出来事には人間だれしも反応が遅れる。
 が、経験豊かな者ほど正確な判断を取り戻すに時間がかからなかった。

「ちっ、ごちゃごちゃしてる暇はないってわけか! ともかく、セレナ達は逃げるのが先決だ。ミナ、おまえはこの町の地理に詳しい。頼むぜ!」
 アーディルは数瞬で常の冷静さを取り戻し、セレナ達に的確な指示を与えた。彼女らはまだ狼狽の渦中にあったが、やはり場慣れてしているラルフは冷静だった。
「行動は早いほうがいいな。脱出は時間がかかればかかるほどまずい」
 緊張感の無い声が、セレナ達を落ち着かせた。

 アーディルは部屋を飛び出して、一階へと走った。押し寄せる兵士達を食い止めるためだ。
 正確にはセレナ達が逃げるための時間稼ぎだと言ってもいい。それにリヒター達フェンリルの幹部達が続いた。

「アーディル!」
 セレナは彼らの後を追って、階段を駆け降りた。次にミナ達もそれを追う。
「おまえ達は早く逃げろ、俺達が奴らを引き付ける!」
「でも! それじゃアーディル達が!」
「馬鹿やろっ! さっさといけっ!」
 セレナの不安そうな声をアーディルの叱責がかき消した。すでに入口の方では戦闘が始まっているらしく、その騒音がここまで押し寄せて来る。

「セレナ! 裏口へ回るよ!」
 ミナがセレナの腕を掴んだ。彼女も一人前に訓練を受けている。戦場での判断と行動の遅れは命を危険に晒すことを彼女は知っていた。
「でも! アーディル達が!」
 セレナはアーディル達を心配して、その場を動こうとしなかった。その気持ちはミナにも分かった。彼女もセレナと同じくアーディルに心惹かれる少女であるからだ。
「馬鹿! アーディルの気持ちを無駄にする気? 行くよっ!」
 ミナは彼女にしては珍しい険しい表情でセレナを叱責した。それにセレナは微かに身体を震わせたようだった。が、次の瞬間にはミナが力ずくでもセレナを動かそうと腕を引っ張っていた。

「アーディル! 絶対、絶対に死なないで!」
 セレナはミナに引きずられながらも、アーディルの方へ顔を向けて悲痛な声で叫んでいた。が、その言葉の途中でセレナは彼に背を向けてミナと共に走りだしていた。
 辛さからか、彼の思いを尊重するしたのか、彼女自身すらそれを知らない。
 ただ、彼女はがむしゃらに走った。

「ちっ……」
 アーディルはセレナの背中を視線で追って、苦笑した。

 まったくあんな表情を見せられたら、死ねないよな――!

 アーディルは表情を引き締めると、戦闘が建物の中まで侵入していることを確認して、その中へ身を沈めて行った。
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