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異世界大陸幻想譚アルカーティス 作者:水夜ちはる

3章・エロイカの遺言

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3章・エロイカの遺言(3)


 カランダ市内にある貴族の私邸は高級市街地の中心に存在しており、その中でも一段と美しさと雄大さに秀でた館がある。

 それはハインツ家の屋敷であって、ハインツの父が先王リヒャルト三世から賜った物であった。
 ハインツはこの日、休日とあって、ぼんやりと中庭で意図のない時間を過ごしていた。暇を暇として過ごす事の出来る人間はわりと希少である。その性格の持ち主である彼はこの日も暇を暇で過ごそうとしていた。

「陛下が私に個人的に会いたいと?」
 王宮から使者が訪れ、それを受け継いだ使用人がハインツに報告をしていた。

「さて、どう言った用件だろう? まあいい、準備をしてくれないか?」
 ハインツは人のよい笑みを浮かべて、中庭の椅子から立ち上がると、使用人に命令と言うよりはお願いすると言う感じで言った。
 とにかく彼は言動が貴族らしからぬ男で、表情を引き締めていれば端正な顔立ちは貴公子然として若い貴族らしく見えたが、いつもぼんやりしていてそれらしくなかった。
 逆に特権階級の青年らしく横暴に振舞うわけでもなく、いつも奴隷や平民階級にも廊下でぶつかって逆に頭を下げるような人間だった。

「兄上!」
 そのぼんやりとした空気を切り裂くように、凛と澄んだ声がハインツの耳に飛び込んで来た。女性の声であったが、張りのある発音は高貴さを漂わせ、貴族の娘らしさのある声だった。

 声の主はハインツに駆け寄っていた。背の高い女だ。
 その彼女はハインツより少し背が低いだけだ。ハインツは中背で平均的な成年男子に比べて取り立てて低くはない。

 彼女の名をエリザベート・ド・ハインツと言う。
「エリ……何か?」
 美しい妹を微笑みながら向かえてハインツはつぶやいた。彼女は彼の実妹でエリザベート。彼にはエリと呼ばれいる。

「私も、私も陛下に会わせて下さい」
 ハインツは怪訝そうに首をかしげながら、エリの美しい瞳をのぞき込んだ。
「まだ言っているのか?」
「もちろんです。私も陛下にお仕えしたい」
 ハインツは小さくため息を付いてエリを見つめていた。彼女に才能が無いわけではない。ハインツはそれをよく知っている。が、その才能は彼女が「女」で在ることに寄与しなかった。その才能とはすなわち「剣」。武芸者として仕えようというのだ。

「おまえが陛下に何が出来ると言うのだ?」
「もちろん……剣です。私の剣で陛下をお守りします。この命に代えても」
 ハインツは深くため息をついた。

 彼は「命に代えても」等と言った言葉を余り好きではなかった。
 彼には命に変わるほどの他の物があるとは信じられないのである。それにハインツはエリがそんな命を測りにかけるような生活をするよりも、一女性としての幸せを追って欲しかった。人並優れて美しい彼女なのだ。

 しかし同様にハインツはエリが執拗にラッツウェルに仕えたいという心の内を知っていた。
 それは六年ほども遡らねばならないのだが、エリは誤って川に落ちたことがあった。溺れかけた彼女を助けたのは、当時皇太子であったラッツウェルだった。
 王族でありながら自ら川に飛び込み、少女助けた優しさに幼きエリは心打たれ、その日からラッツウェルに仕える事を心に決めたのだった。

 その日からエリは自らを救ってくれたラッツウェルを守るため、剣を学んだ。
 その経緯をハインツは知っている。エリのいみじさはよく分かる。強く反対しきれぬ彼が、剣士としてのエリを育ててしまった。自らに責任のあることも彼の心を痛くした。

「エリ。おまえには無理だ。生半かな剣では陛下をお守りするどころか、御迷惑をかける事になるぞ」
「生半かな剣ではありませぬ!」
「ならば、私に勝ってみなさい。私程度に勝てないのでは、諦めるしかないからな」
 ハインツは静かな仕草で剣を抜いた。貴族であり軍人でもある彼は一応剣術を一通り学んで、一応帯剣をしているが、お世辞にも剣術を評価されたことなどはない。
 エリもそのハインツの剣の評判は知っていた。だが、挑発されては彼女も黙っては居られない。

「兄上……ならば!」
 エリは一瞬を戸惑いに費やしたが、すぐに意を決して剣を抜いてハインツに襲いかかった。その俊敏さ、目標までの最短直線を取る彼女の攻撃は正しく彼女その物で、それ事態はどんな剣の達人でも感嘆の声をあげただろう。

 だが、ハインツはゆらりと揺らめいて、エリの剣は幻のような彼の身体を抵抗もなく貫いただけだった。
「なっ!」
 エリが振り返ると、ハインツの剣が彼女の想像を超えた所から突き出て、彼女の首筋のところにあった。

「だめだな。私程度にすら勝てぬようでは陛下に推薦することはできない……私は陛下の元へ参上する。留守を頼む」
 ハインツは剣を納め、きびすを返して立ち去った。
 そこには愕然と立ちすくむエリだけが残されていた。

 ハインツが使ったのは幻術だった。これは依然会ったことのある暗殺者から教わった物だ。
 もし、エリの剣をハインツがまともに剣で受けようとしたならば、勝敗は有無も言わせぬ速さでエリが勝っていたであろう。ハインツは姑息なトリックを使ったに過ぎない。

 だがこの程度のトリックにかかるようでは、エリはラッツウェルの命を狙うであろう暗殺者の牙に倒れるのは目に見えている。
 ハインツはエリをそんな風に失いたくはなかった。彼にとって彼女は唯一の肉親なのだから。自らのエゴとは知りつつも、ハインツはエリを危険に近づかせたくなかった。



 昼下がりにカランダ王宮の中庭で、木陰に身を寄せる女性がいた。その気配はまるでその風景に溶け込むかのごとくで、草木の様に自然の中に気配を殺していた。
 彼女の名はカーミラ。女吸血鬼を意味する言葉を名に持つ暗殺者。
 「幻妖のカーミラ」と言う名は彼女の通り名で、当代の暗殺者の最高峰の一人とされる。
 まだ、若干二十四歳であった。

「誰だ? 気配を殺して忍び寄るとは余りいい趣味ではないな」
「気付いたか。さすがと言うところか?」
「世辞などに興味はない。何の用だ? 『疾風のジャッド』よ」
 カーミラは彼女を日光から護る木の葉のざわめきに気配を感じ、その気配から人物を特定させて鋭い声を投げかけていた。曖昧と言うことを一切に排除したかの口調は女性らしさがなかった。彼女は暗殺のために愛を捨てた女である。

「おまえはこの乱世をどう見るか?」
「乱世? 確かに乱世かも知れぬ。だがラッツウェルと言う男のみが、その乱世を平定し、治める能力と器を持つ人物と私は判断している。その他にはおらん」
「お前はそう見るか……だが俺は見つけた。俺はそれに付く。おまえはラッツウェル……ラルフォードはフェンリルへ下った……面白くなりそうだな」
「ふん」
 カーミラは鼻で笑おうとしたが、すっと気配が降りてきて目の前に声の人物が現れた。

 「疾風のジャット」、それが彼の名であった。中肉中背だったが、しなやかな筋肉の肉体と、鋭利な刃物のような視線と、口元には僅かに陽気さは相反しているようで彼の表情の中で絶妙の調和を奏でていた。
 だが漂う雰囲気は暗殺者のそれで、彼もまた「暗闇のラルフォード」、「幻妖のカーミラ」と並び、闇世界に名を轟かせるの暗殺者であった。
 「暗闇のラルフォード」が後の二者に対して圧倒的に有名だったが、それは彼が世に早く出たに過ぎない。能力の優劣はそれとは別にあった。

「その人物とは?」
 カーミラが問いた。問いかけではあったが、媚びたところは未塵もなかった。
「昔のよしみだ。答えてやろう……愚者と呼ばれる男だ」
「愚者……まさか」
「ふ、分かるまい。おまえの考え方にはそぐわない。が、奴の本当の姿は愚者ではない。俺は奴の中に愚の中に智を見た。これは面白くなりそうではないか」
 ジャッドは陽気な口元を皮肉っぽく歪めて笑った。
 カーミラはその彼の笑みを忌みたる視線で見つめた。が、表情は氷の彫刻のそのままである。彼女は感情を外に漏らさぬように育てられた。無論、それは暗殺者として有利に働くために。
 そのためにジャッドの暗殺者らしからぬ表情の豊かさに嫌悪を抱かずにいられなかった。

「俺達は陰。光あっての陰。だが、陰なくして光が成り立たぬ事も知って貰わねばならぬ……これからはおまえとも敵味方だな」
「味方であった覚えはない」
 カーミラは冷徹な声で答えた。
 彼女はちらりとジャットが背負った長弓を見る。それが彼の名の証であった。

 「疾風」の名は、その長弓を表したものである。
 彼の射撃は疾風のごとくの速さで、対象を確実に射ぬく。
 その腕はまさに神弓と呼ぶにふさわしく、闇の深淵であろうが、目に見えぬ距離であろうが確実に貫く。その能力は慄然を覚えずにはいられない。彼を敵に回すと言うことは、何時、狙われているか分からぬのだ。

 カーミラは厄介な男が現れたと思った。
 もしこの男がその「愚者」のために、ラッツウェルを狙撃するとなればそれは大きな脅威だ。ラッツウェルはジャットの気配に気づくこともなく暗殺されるであろう。

 今、王を守れるのは私一人か――。
 カーミラはそう心の中でつぶやくと、ジャットの前から姿を消した。
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