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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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恋するコンラート(前篇)

「ゼバスティアン、何か前例はないのか!」

 重臣中の重臣である中務卿のゼバスティアンにコンラートが声を荒げるのはこれがはじめてだった。夜半に家出から帰参したコンラートは随伴の家臣団を相手に無理難題をふっかけている。

「前例というと、先ほどのお話にあった居酒屋が禁制品のヴァニラを使用することへの勅許のことですかな?」
「それではない。それではないぞ、ゼバスティアン。見合いを反故にする方だ」

 無茶を言うなという顔でゼバスティアンは首を振った。
 代々の貴族ではなく大学出身の法曹家として法服貴族に名を連ねるゼバスティアンは帝国に関わる古今東西ありとあらゆる判例を記憶していると言われる老臣だ。
 先帝の懐刀として知られていたが、帝位と共に譲られた。官僚団の束ねとして近隣諸国に名を轟かせる切れ者でもある。

「陛下、事は御身一人の問題ではありません。帝国の問題です」
「左様。帝国の問題は即ち皇帝の問題であり、皇帝の問題は即ち帝国の問題だ」
「聞き分けのない子供のような屁理屈はお止めなさい。王女摂政宮との見合いを破棄するとなれば、下手をすれば戦争ですよ」

 東王国の現在の王であるユーグは幼い。実権は王女摂政宮とその官僚団が掌握していた。
 つまりは王女摂政宮であるセレスティーナ・ド・オイリアとの見合いを断るということは、実質的に東王国そのものの顔に泥を塗ることになる。

「……勝てるか?」
「戦争となれば負けるつもりはありません。しかし、無意味です」

 ゼバスティアンは声音からしてコンラートの真意を測りかねているようだ。まさか見合いが嫌だから戦争を起こすと本気で言っているわけではないと信じてはくれているようだが、原因までは見当も付かないらしい。
 まさか昨日会ったばかりのどこかの貴族の娘に一目惚れしたからだとは想像もつかないだろう。
 法律のために生まれ、法律のために育ち、法律のために生きているようなゼバスティアンの暮らす法律の宇宙には動機を推定することはあっても恋愛という言葉は存在しそうにない。
 だが、頼れる相手は最早ゼバスティアンしかいなかった。

 見合いがどうこうというよりも、もう一度セレスに会いたい。

「ゼバスティアン、笑わずに聞いて欲しい」
「ご安心ください、陛下。私はこの三十年ほど一度も笑っておりません」
「そうであったな」

 真面目腐った顔で冗句めいたことをいうゼバスティアンに、人払いを命じる。

「……ゼバスティアン、余は恋を知ったぞ」

 コンラートの言葉にゼバスティアンは鷲鼻をひくひくと動かせ、何かを堪えたようだった。

「左様ですか。おめでとうございます」
「祝ってくれるのか?」
「遅くとも、無いよりは良いです。恋のない人生など、色彩のない絵画のようなものです」
「謹厳居士のそなたのことだ。叱られるかと思っていたが」
「陛下、こう見えてこのゼバスティアン、三十一年前までは笑顔の良く似合う好青年として世の女性たちと世界の秘密についての知識を深めておったのですよ」

 冗句とも冗句でないともつかないことを言われ、コンラートの口元が緩んだ。
 そういえば今日はずっと怒り続けていたような気がする。

「それで陛下。遅すぎたとはいえ恋は恋です。いかが取り計らいましょう」
「応援してくれるのか?」
「まさか。見合いを成功させるためです。今の気持ちのまま見合いに臨んでも相手の気分を害するだけでしょう。一目会って落ち着くのであれば、それで良いではありませんか」
「そういうことか」
「そういうことです。なにせ相手は王女摂政宮セレスティーヌ・ド・オイリア。あの<英雄王>の産んだ政治的化物です。普段の理知的なコンラート五世陛下であれば太刀打ちできても、恋するコンラートでは相手にならないでしょう」

 言いたいことをずけずけ言ってのけてから、ゼバスティアンは三十年ぶりの笑みを浮かべた。

「それで、三十七年も頑なに閉ざされ続けた陛下の心の鍵を持っていた女性はなんという名前なのですか。陛下の忠実なる僕であるゼバスティアン・フォン・ホーエンバッハにだけ打ち明けて御覧なさいな」
「……セレス、という名なのだ」

 勇気を振り絞って告白すると、ゼバスティアンはまた鷲鼻をひくひくさせた。前々から思っていたが、これは笑いを堪えているのではあるまいか。

「あちらもセレス、こちらもセレスですか。どうせなら同一人物なら探す手間も省けるのですが」
「そういうわけにはいかんだろう。恋愛物語ではないのだぞ」
「“現実は物語より奇なり”とも申しますぞ」
「ベーデガーか」
「残念、クローヴィンケルですな」

 吟遊詩人の名言を引きながら、ゼバスティアンは既に行李の中から貴族年鑑を取り出している。
 帝国紋章院が年に一度発行している年鑑で、帝国で貴族籍にある者の一覧がまとめられていた。息子娘の名も基本的に網羅されているが、索引があるわけではない。

「セレスという名はどちらかといえば東王国風ですから帝国でそれほどありふれた名ではありません。と言ってもそれだけで絞り込めるわけではない。お、一人発見……失礼、五十九歳ですな」
「年の頃は十七から二十歳、だと思う」

 頁を繰るゼバスティアンの手が止まる。

「あちらのセレスは確か十九歳です」
「だからあちらのセレスの話は止めろと言っている。それともそなたは法律家ではなく恋愛吟遊詩人として名を上げるつもりでもあるのか?」
「貧乏学生時代には二度三度手を染めましたな。クローヴィンケルの恋愛詩の偽造ですとか」
「クローヴィンケルは恋愛詩なんて歌わんぞ」
「だから希少価値が出るのです。羊皮紙だけは本物そっくりに凝りましたから、今でも出回っているかもしれません」

 嘘か本当か分からないことを言って煙に巻きつつ、ゼバスティアンの手は止まらない。瞬く間に数十人のセレス候補が挙げられ、それをコンラートが一人ひとり吟味していく。
 しかし、年鑑には似顔絵が描かれているわけではないので、絞り込む情報は不足していた。

「こちらのセレス嬢の母親は燃えるような赤髪です」
「父親の遺伝ということもあると思うが、どうだ?」
「……私がはじめてお会いしたときには既に禿げ上がっておいででした」

 銀縁眼鏡のセレスの候補者は絞込みの中で数十人が十人に減り、五人に減り、三人に減る。ついには一人も残らなかった。

「怪しい候補はおりますが、領地は古都から遠く離れております」
「八方塞がり、か」

 貴族であるという前提が間違っていたのだろうか。
 もし商人や他の身分、あるいは年鑑にも載っていない貴族や他国の貴族であれば、この方法で見つけることはできない。

「方法はあります。諦めるのはまだ早いでしょう」
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