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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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ハンスとオデン

 汁には魚の濃い旨みが溶け出している。
 オデンを真似た煮物にボルガンガの魚醤(フィゾーサ)を加えて味を調えたものが今日のハンスの賄いだ。ショーユは使っていない。

「いい出来じゃないか」

 味を見たタイショーが満足げに頷く。ハンスが昼の賄いを任されるようになったここ数日では一番の反応だ。昨日の晩、寝床で必死に考えた甲斐があった。
 エーファの実家から直接仕入れるようになった馬鈴薯も思った通りねっとりとした面白い歯触りで楽しませてくれている。

「シノブさんはどうですか?」

 さっきから黙って何かを考え込んでいるシノブにも声を掛けてみた。未だにシノブからは賄いで褒めてもらったことがない。
 そして今日も、シノブの口から出るのは厳しい言葉だった。

「ボルガンガの漁醤の塩味が少し前面に出過ぎていると思うの。香り付けとしてはもう少し量を減らしても十分な効果があるはずだから、別の出汁との組み合わせ方次第でもっと良くなるんじゃないかな」
「そうですか。ありがとうございます!」

 忘れないように記憶に刻み込みながらも、内心では少しがっかりしていた。
 この出来でも褒めてもらえないなら、どれだけ努力すればいいのだろうという気持ちになる。
 もちろん、一朝一夕で店に出せる料理が作れるようになるとは思っていなかったが、先行きがまるで見えない不安というものは拭い切れない。
 今日のオデンもどきにしたって、街の屋台で出しているオーディン鍋と比べると格段に美味しいのだ。それでも褒めてもらえないというのは、少し厳しい。
 衛兵の訓練とも違って、料理人修業の道は長く険しいというのは、頭では分かっていた。それでも実際に先行きが見えなくなると、不安にもなろうというものだ。

「ハンスさんはどうしてショーユを使わないんですか?」

 最後に取っておいた玉子を頬張ったまま、エーファが聞いてくる。

「それは、いつか暖簾分けをするためよ」

 代わりに応えたのはシノブだった。ノレンワケというのは支店を出すことだというのは、タイショーから教えてもらったことがある。

「あ、ノレンワケをすると裏口が使えなくなるから」
「のぶが続いている限りは醤油も食材も分けられるんだけどね」

 居酒屋ノブの裏口が異世界に繋がっている、という話は既に聞かされていた。
 さばさばとした性格のリオンティーヌはあまり気にしていないようだが、ハンスにはこれまで漠然と不思議に思っていたことの辻褄が合ったので、逆に安心したくらいだ。
 見たことのない食材、食べたことのない料理、聞いたこともない道具。
 ニコラウスに連れられてはじめてこの店を訪れたときから感じていた不思議さは、この店が御伽噺の異世界と繋がっていたからだと言われると全て腑に落ちる。

 不思議だと思っても、ハンスには拒否感はまるでない。
 遍歴硝子職人だった父に連れられて西へ東へと旅を続けていた子供時代に、異なる文化と触れ合うことには随分慣れていた。他の職人が帝国か精々が東王国までしか足を伸ばさないのを、父はさらに遠く遠く離れた土地へも出向いていった。
 タイショーやシノブと比べれば、北方三領邦より北の野伏りの人々や、遥か西の地で遊牧を営む人々の方がもっと違った生活をしていたのだから、気にするほどのことではない。

 それと同時に、いろいろと考えといけないことが増えたと言うことにも気が付いた。
 異世界の食材に頼り切っていては、何かあって裏口が使えなくなってしまえば何も出来ないと言うことになる。それではせっかく料理人の修行を積んでも意味が薄い。
 だから、タイショーの持つ技術はしっかり吸収しながら、できるだけこちらの食材で美味しい料理を作れるようになりたいというのが今のハンスの目標だ。
 ただそれも、あまり上手くいっているとは言いがたかった。
 タイショーはハンスのやりたいことに理解を示してくれているがシノブの舌は厳しい。居酒屋ノブではシノブに認められないと品書きに加えることは許されないのだ。
 焦る必要はないと自分に言い聞かせながらも、ハンスは少し苛立っている自分に気が付いていた。

「リオンティーヌはどう思う?」

 タイショーが水を向けると、リオンティーヌは腕を組んで唸った。

「まだ少し悩みどころだね」
「悩みどころというと?」
「アツカンよりはヌルカンの方がいいと思うんだけど、銘柄がね。カモヅルかキクマサムネか……」

 これだ。
 ただ賄いを食べているのに、リオンティーヌはこの料理を店に出すときにどんな酒とあわせたほうがいいかを考えている。同じ時期に店に入ったのに、随分と差がついてしまった。
 嫉妬というのは少し違う。
 努力しているのに成果を出せない自分が悔しいのだ。
 衛兵隊にいるときも、人一倍の努力で納得の出来る成果を出してきていた。要領よくなんでもこなすニコラウスは羨ましかったが、相手の方が先輩ということもあってあまり気にしなかった。

 だが、リオンティーヌとは全くの同期だ。
 同期に差をつけられる自分と、成果を出せない自分。もどかしさだけが根雪のように心の底にずんずんと積もっていくのを感じる。

「しかしハンスは凄いね」

 汁の染みたヒラテンを最後に平らげたリオンティーヌがしみじみと呟いた。

「凄いって何がですか?」

 ぜんぜん凄くない。凄いのはリオンティーヌだ、と続けそうになって口を噤む。そんなことを言っても何にもならないからだ。

「だってさ、ここ何日かハンスの賄いを食べてるけど、どんどん美味くなるんだからね。それも毎日だよ? 凄いことじゃないか」

 カラカラと陽気に笑いながらリオンティーヌは椀の汁を飲み干した。
 そう言われてみればそうなのかもしれない。確かに昨日の出来よりも今日の方がよいというのは実感としてある。

「ハンスは気付いてないかもしれないけどね、今日はシノブさんが汁を全部飲み干したんだよ」
「えっ?」

 言われて見てみると、確かにシノブの椀には何も入っていない。食べ方が綺麗なのか、洗う必要もないくらい綺麗に見える。昨日までの賄いは確か少し汁が残っていたはずだ。

「今日は特にお腹が減っていたとか、そういうことじゃないんですか?」

 恐る恐る尋ねるとシノブが小さく首を振る。それを見て、タイショーが妙に真面目くさった顔になった。

「ハンス。俺の修行した料亭ゆきつなでは“しのぶお嬢さんの食べ残し”というとそれはそれは恐れられていたんだぞ」
「“シノブお嬢さんの食べ残し?”」
「ああ。ゆきつなの先々代は“神の舌”と呼ばれるほど鋭敏な味覚の持ち主だったんだが、それを一族の中でも一番色濃く受け継いだのがシノブちゃんで。どんな自信作でもシノブちゃんが食べ残したときは厨房でみんな必死になって原因を考えたものだったなぁ」

 遠い目をするタイショーの二の腕を赤い顔をしたシノブがつねる。何とも仲がいい。歳の離れた兄妹のようにも見える。

「確かにハンスの賄いは昨日よりもずっと良くなってる。だから、心配しないでね」
「でもシノブさん……」

 美味しいとはいってくれないじゃないですか、と言おうとするとタイショーが笑う。

「去年の年末に料理人を目指し始めたハンスがしのぶちゃんに美味しいって言ってもらえたら、俺は立つ瀬がないなぁ」
「……どういうことです?」
「賄いを美味しいって言ってもらうのに、五年掛かったんだよ」

 笑顔で応えるタイショーの言葉に潜む凄みに、ハンスは思わず背筋に脂汗が滴るのを感じた。
 五年。
 それだけの時間を、タイショーは今のハンスと同じように過ごしたということなのだろうか。
 ただ不思議なことに、それが辛いことだとは感じなかった。むしろ逆だ。
 今までは、誰とも比べる相手がいなかった。
 だから給仕のリオンティーヌの覚えのよさに妙な対抗意識を燃やしたりしていたのだ。

 料理人が修行して一人前になるためにどれだけの時間が掛かるのか、自分の中に物差しがなかったのが不安と自信喪失の原因だった。
 五年でも十年でも、先に料理人になった人がどれだけ修行したのかを尋ねるべきだったのだ。
 これまでは霧の中を手探りで進んでいる心持ちだったのが急に目の前が晴れたという気がする。

「ハンスさん、急に良い顔になりましたね」

 お代わりに玉子を自分でよそいながらエーファが笑う。エーファがお代わりをしたのも、そう言えば今日がはじめてだ。
 ちょっとしたことで、身体が軽くなる。明日もやって行こうという気が湧いてきた。

「そう言えばハンスはお父さんと仲直りできたのかい?」

 リオンティーヌの奇襲に、思わず噎せる。汁が気管に入ってしまったらしい。

「な、なんですか藪から棒に」
「いやね、今日ここに来る途中、ナポリタンのゲーアノートさんが弟さんと一緒に歩いてるのを見掛けたもんだからさ」
「ああ、あの二人、再会できたんですか」
「だからハンスのところもどうかなと思ってね」

 その問いにハンスは片頬を歪ませた苦笑でしか返すことが出来なかった。
 毎日家に帰っているのに、このところ父親のローレンツと話した記憶が全くない。喧嘩というよりはほとんど戦争だ。ローレンツも頑固だがハンスも頑固だ。互いに歩み寄りの姿勢は見えない。
 人の好い硝子職人である兄は巻き込まれるのを恐れて二人から距離を置いているので、家の中は最早ちょっとした戦場の様相を呈している。
 原因は、ハンスが衛兵を辞めて料理人を目指していることだ。
 このことをローレンツは逃げ出したのだと見ているようなのだ。転職を祝福してくれとまでは言わないが、せめてそっとしておいて欲しいのだが、事あるごとに厭味のような質問をぶつけられて、ハンスもついに我慢の扉の閂が壊れてしまった。

「……その様子だともう少しかかりそうだねぇ」
「まぁ、じっくりやっていきますよ」

 椀の中に残っていた汁を啜る。確かにシノブの言うように、少し塩気が強い。これをまろやかにするにはどうすればいいだろうか。頭の中にある味をいろいろと組み合わせてみるが、まだまだ解決策は浮かばない。出汁を組み合わせるとどんな味になるのか。

 これが修行ということか。
 自分の問題点を見つけ、どうすればいいのかを普段の仕事の中で盗んでいく。手がかりは既に与えられているのだ。そうやって一つ一つ積み重ねていくしかない。

「あ、そういえば今日はもう一つ賄いがあるんだった」

 そう言ってシノブがレイゾウコから容器を取り出す。これも異世界の魔法だ。

「角煮の煮汁で漬け込んだ半熟玉子です!」

 美味しそうじゃないかと言うリオンティーヌの声とエーファの悲鳴が重なる。今日だけでもう三つは玉子を食べているエーファには少し酷な話だろう。
 良い色に漬け込まれた玉子をハシで半分に割ると、とろりとした黄身が皿に零れそうになる。シノブが半熟玉子用に用意した皿は淡い緑色で、黄身の色合いとよく似合う。

 料理は目でも楽しむのだな、と思いながら口に運ぶと、濃厚な玉子の味が広がった。
 とろとろの黄身の味わいと白身に染み込んだ角煮の汁の濃い味は互いを引き立てあって舌をまろやかに包み込んでいく。

「美味しいなぁ」

 思わず呟いてから、空になった自分のオデン椀に目を遣る。
 美味しいという言葉を、誰かの口から聞きたい。でもそれは、自然と漏れる言葉であって欲しい。努力したことに対する評価としてではなく、料理で幸せになった証として。

 自分の椀に、オデンの馬鈴薯をお代わりし、カラシを付けて一口齧る。
 居酒屋ノブに始めてきた日、自分はこれに感動した。
 本当はその日から、料理人を目指そうという気持ちが芽生えていた。自分が美味しいものを食べて幸せになった気持ちを、他の誰かにも味わって貰いたかったからだ。

「やっぱり半熟玉子は良いねぇ。酒の当てにもピッタリだ」
「ううう……私、もう一個玉子食べます!」
「あ、その玉子は私が狙ってた奴だよ、エーファちゃん!」

 賑やかに半熟玉子を取り合う三人を見て、タイショーと頷き合う。
 この店に来て、良かった。
 今日はローレンツのために何か作ってやろう。そんなことを考えながら、ハンスは開店の準備に取り掛かるのだった。
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