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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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徴税請負人とその弟(後篇)

「ここがクローヴィンケルの歌っている居酒屋ノブですかね?」

 半開きの戸から中を覗いたのは役者風の美男子だ。
 派手な衣装に着飾っているが、口元に穏やかな笑みを湛えた表情に素朴な優しさが滲んでいる。

「はい、居酒屋のぶは当店です」

 しのぶが応えると安堵したのか男は胸を撫で下ろした。いちいち動きが大仰で芝居がかっているところを見ると、やはり最初の見立て通りに役者かそういった仕事に携わっているのだろう。

「ああ、それはよかった。クローヴィンケルの歌では“<馬丁宿>通りを入って少し歩けば”としか言っていませんでしたから。趣のある店構えなのですぐに分かったんですが違っていたらどうしようと思いまして」

 頭を掻きながら戸を潜ろうとする客に「昼はやっていない」と断ろうとするが、なんとなく押し切られるようにカウンターへ案内してしまう。
 おしぼりで拭う笑顔に何処かで見た覚えがある気もするのだが、どうしても思い出せない。
 一度来た客なら、しのぶは顔だけでなく声や背丈、身に纏う雰囲気で覚えているはずなのだ。それなのに思い出せないと言うことは、誰かの空似だろうか。
 注文を取ろうとすると客は朗らかに笑ってしゃべり始める。

「本当は昼間からワインでも楽しみたいのですが、実はこの後、聖堂前の広場で劇を一幕演じることになっていまして。これがなかなか奇妙な偶然でして、アウグストという劇なんですが、主役の私も名前がアウグストなんですよ。主役が出番前に酔っ払っていたというを風聞が悪いですからね」

 こういうのを立て板に水と言うのか、実によく回る口だ。放っておくといつまでもしゃべり続けそうなので「ご注文は?」と尋ねると、ふと我に返ったように小さく咳払いをする。

「何かお腹にたまるものをお願いします」
「お腹にたまるものですね」

 承ったものの、少々困ったことになった。しのぶが視線を向けると、信之も困ったように眉根を寄せる。今は昼餉時も終わって間の悪いことにすぐ出せる料理がない。
 どういうわけか常連が来る日が重なって、昼に用意していた天ぷらも焼きおにぎりも焼き魚まで全部綺麗に完売している。
 昨日の炊き込みご飯のおにぎりはあるのだが、今晩エーファに持たせてやるつもりのものだし、と考えていると、壁の方に顔を向けて突っ伏しているゲーアノートの姿が目に入った。
 信之も気付いたらしく、鍋に湯を沸かしはじめる。

「しかし古都というのはよいところですね。兄も気に入るはずだ」

 お通しの角煮をぺろりと平らげてアウグストが店内を見回しながら呟いた。

「へぇ、お客さん、お兄さんがいるのかい?」

 リオンティーヌが尋ねるとアウグストが満面の笑みで頷く。

「ええ、自慢の兄です。古都の近くでなんとかっていう貴族の家臣として働いているらしいんです」
「らしいって言うのは?」
「もうずっと会っていないんですよ。手紙のやり取りは毎月しているんですけどね。兄さんも裕福ではないと思うんですけど、毎月ある程度まとまった額を送ってくれて……」
「そいつは大した兄さんだね」
「そうなんです。僕が役者になるのには反対して、喧嘩までしたんですけど……」
「……尊敬しているんだね」
「ええ、本当に素晴らしい兄さんだと思います」

 この近くの貴族と言うと、アルヌのサクヌッセンブルク家かブランターノのところか。どちらの家の家臣も時々顔を合わせるが、アウグストと似た面影の人は見た記憶がない。
「私の妻は身体が弱いので、兄の送ってくれるお金で薬が買えるのはとてもありがたいんですよ。久しぶりに直接会ってお礼も言いたいんだけどなぁ」
 湯の沸いた寸胴鍋に信之がパスタを放る。ゲーアノートがいつ来てもすぐに出せるように用意してあるナポリタン用のパスタだ。ぐらぐらと煮立つたっぷりのお湯に麺が躍った。これなら、それ程待たせずにアウグストに出すことができる。

「人探しならこの店の店員に相談してみたらいいよ。何を隠そうこのあたしも、ずっと探していた人とこの店のお陰で再会できたんだからね」
「そうなんですか? じゃあ、僕も相談してみようかな……」
「その弟想いの兄さんの名前はなんて言うんだい? ヨーゼフとかありきたりな名前だと探しにくいかもしれないけど」
「この辺りだと珍しい名前だと思いますよ。ゲーアノートっていうんですけど」

 その瞬間、信之が噎せたように咳をした。

「あ、ああ、すみません。乾燥してるからかな」

 内心でしのぶは信之に感謝した。咳が無ければ、絶対に視線をゲーアノートの方へ向けていたに違いない。
 ゲーアノートは酔っているが寝ていない。名乗り出ないのには事情があるのだろう。

「へ、へぇ、ゲーアノートっていうのかい。そいつは珍しい名前だねぇ」

 心なしかリオンティーヌの声も引き攣っている。当人が隣にいるとはいえないとは言い出せないと咄嗟に判断したのだろう。

「心当たりはありませんか……」
「あたしたちも店に来たお客さんの名前を全部聞いて回っているわけでもないからね」
「それもそうですよね。それに全員を覚えているわけでもないでしょうし」

 店員どころか居酒屋のぶの常連でゲーアノートの名を知らない人はいないのだが、まさかそんなことも言い出せず、しのぶは今日から使う予定のご飯茶碗を拭く作業に戻る。

「他に手がかりみたいなものはないのかい?」
「そうですね……兄は昔猫を助けようとして木から落ちて片目の視力が少しよくないので片眼鏡を使ってることとか、法律を学ぶために帝都の大学へ行っていたこととか……」
「……はじめて聞く話ばかりだね」
「え、だって兄さんのことは知らないんですよね?」
「あ、ああ。そういう人がいる、というのははじめて聞いたってことだよ。うん」

 リオンティーヌのあまり上手くない言い訳にはらはらしながら茶碗越しにちらりと盗み見ると、ゲーアノートの背中が小刻みにふるふると震えている。
 知られたくなかった過去なのかもしれない。確かに、厳しく税を取り立てる徴税請負人が猫を助けるために木登りをしたというのはあまりイメージにそぐわないかもしれない。

 人探しに協力する風を装って話を続けようとするリオンティーヌにも限界が来たのか、奇妙な静寂が店内を満たした。
 と、信之が寸胴からパスタを笊に揚げて水を切る。

「さぁ、もうすぐ上がるよ」

 フライパンに具材を入れてさっと火を通すと、パスタを移す。そこに予め用意しておいたケチャップベースのソースを投入し、さっと炒めた。

「厚切りベーコンのナポリタン、お待ち遠さま!」

 盛り付けた皿をアウグストの前に運ぶと、ほぅと溜め息が漏れる。

「まさか古都へ来てパスタが食べられるとは思いませんでした……でも、変わったパスタですね。こんなに真っ赤なパスタ、見たことないです」

 兄もパスタが好物だったんですよと笑うアウグストに思わず頷きそうになる。今でも大好物なのだが、それを伝えることはできない。

「さて、では古都風のパスタを頂きますかね」

 突っ伏したゲーアノートの方はと見遣ると、フォークを構えるアウグストの様子をちらりちらりと盗み見ている。自分の好物に弟がどういう反応を示すのか気になるのだろう。
 フォークを口へ運ぶアウグストに、店中の視線が集まる。

「……なんだ、これは」

 それまで張り付いたように笑顔を保っていたアウグストの顔が驚きに歪んだ。
 これが、素の反応なのだろう。驚愕に大きく目を見開き、二口目を口に運ぶ。

「なんだ、これは……」

 呆然と呟きながらフォークを動かすアウグストは既に口の周りが汚れるのにも気を留めない。
 べったり甘いナポリタンを、貪るように口に運ぶ。
 その時、ゲーアノートが壁の方を向いたまま器用に粉チーズとタバスコとを押し出した。

「ん? ありがとう」

 一瞬戸惑った風にも見えたが、アウグストはすぐに意図を理解したらしく、粉チーズとタバスコとをナポリタンにかけ、一口食べ、黙り込んだ。

「……奇跡だ」

 呆然と呟き、何かに感謝するように続きを猛然と食べはじめる。
 はじめてゲーアノートがこの店に訪れたときと同じか、それ以上の食べっぷりだ。こういう風に食べてもらえると出した店の側としても作った甲斐があると言うものだ。

「……美味しかった。実に、美味しかった」

 口の周りをべっとりと赤く染め、アウグストが微笑む。満腹になったのか腹をさすりながらの笑みはそれまでの作り笑いではなく、とても気持ちがいい。
 この食べっぷりは、間違いなくゲーアノートの弟だ。
 しのぶが差し出そうとする一瞬前に、ゲーアノートが真っ白なハンカチをアウグストに手渡す。

「ああ、ありがとう、にいさ……じゃない、親切なお客さん」

 ゲーアノートが激しく咳き込み、アウグストが慌てたように立ち上がる。

「ありがとう。とても美味しかったです。クローヴィンケルの歌は本当でした。また機会があれば食事をしに来ます。今度はお酒も楽しみたいな。できれば、兄さんと」

 捲し立てるように言うと、少し多めの銀貨を残してアウグストは店から慌しく出て行った。
 後にはがらんとした昼下がりの空気だけが残っている。

「だ、そうだよ。ゲーアノートの旦那」

 リオンティーヌに声を掛けられると、なんとも言いかねる表情のゲーアノートが顔を上げた。

「どこで気付かれたんだろうか」

 不思議そうに呟くゲーアノートに水を出してやりながら信之が意地悪そうに笑う。

「最初からだと思いますよ。誰かに聞いてここに来たんじゃないですか」
「しかし、店に来たときはそんなそぶりは見せなかったが……」
「そりゃそうだよ、旦那。弟さんの職業を考えてもみなよ」

 役者、か。上手く演じるものだな。
 それだけ呟き、ゲーアノートはグラスの水を干し、立ち上がる。

「ゲーアノートさん、今日はもういいんですか?」
「ああ、悪いがしのぶさん、急用を思い出したのでね」

 懐から財布を取り出すゲーアノートは、いつになくそわそわしているように見えた。

「聖堂前の広場ですからね」
「だ、誰が劇を観に行くと……いや、観に行くのだが」

 消え入るような声で言うゲーアノートのため、しのぶは今晩の予約を二人分、確保した。
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