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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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古都の大市(後篇)

「大市って始めてだけど、随分と賑やかなんですね」

 店の前を流れる人の波を硝子戸の隙間からしのぶは眺めている。
 普段は人通りのほとんどが馬丁ばかりのこの通りも、大市の今は賑やかだ。
 陽はもう暮れかかっているのに、人の出はますます増えている。夜になれば、収穫祭が本番になる。これから夜を徹して祭りが続くのだ。

 各国からやって来た商人たちの中でもあまり宿に金を掛けたくない人々はここを基点に大市で商売を仕掛ける。若くて野心的な商人が多いので、古都の中心部に負けず劣らず活気に満ちるということらしい。

「お嬢さん、なにか買わないかい?」

 硝子戸の隙間から割り込むようにして、浅黒い肌をした商人が商談を仕掛けてくる。手にしているのは羊皮紙の束だ。
 最近少しだけこちらの文字が読めるようになったしのぶだが、見た限りではどうやら詩が書かれているらしい。

「あのクローヴィンケルが若い頃に綴った恋愛詩だ。こいつはなかなかのお値打ち品だぜ。お嬢さんみたいな若い子にはぴったりだ」
「え……でも……」

 渋るしのぶの後ろからぬっと手が伸び、羊皮紙の束を引っ手繰る。

「あ、おい爺さん! 何しやがる!」
「いやね、私は若い頃から恋愛詩なんて書いたことはないもので。どういう物が流布しているのか興味が湧きまして」

 羊皮紙につらつらと目を走らせているのは、クローヴィンケルその人だ。
 売りつけようとした商人は顔を知っていたのか、あわあわと何も言えずにいる。まさかこんな場末の酒場に高名な吟遊詩人がいるとは思いもしないだろう。

「ふぅむ。あまり出来の良い贋作ではありませんね。騙るならもう少し詩形という物を勉強した方が良いですよ。ああでも、羊皮紙の質は私が使っていた物によく似ています。そこだけはほめてあげましょう」

 そう言って羊皮紙を押し付けると、商人は何も言わずに人ごみに紛れてしまった。

「礼の一つも言わないというのは……叱正した方がよかったかな?」

 忍び笑いを漏らすクローヴィンケルの外にも、店内には普段あまりノブを訪れることのない人々が料理をつついている。

「しのぶちゃん、ちょっと外見てないで手伝って!」
「はい!」

 信之はさっきから肉じゃがを大鍋で仕込みながら、他の料理も次々と盛り付けている。
 カウンターに陣取る先帝とヨハン=グスタフ、そしてヒルデガルドとその夫であるマクシミリアン親王は餡かけ湯豆腐からの小鍋立てを楽しんでいた。
 ヒルデガルドよりひとつ年下の十一歳になったばかりのマクシミリアンは祖父である先帝との会食に最初は緊張していたようだが、妻であるヒルデガルドに食べ方を指南されながら湯豆腐をはふはふと食べている。

「ほらマクシミリアン、口の周りが汚れてるよ」
「ああ、ありがとう。ヒルダ」

 年上の新妻に口元を拭って貰う光景も、二人がまだ年若いのでより微笑ましく映る。

「しっかりした姪じゃないか、ヨハン=グスタフ」
「伯父上の血ですよ」

 今日はラガーではなく熱燗を嗜んでいるヨハン=グスタフがほろ酔い加減で応じる。

「……あの二人を見ていると、そろそろお前さんも身を固めようとは思わんのか?」
「私より先に従兄陛下でしょう。皇帝なんですから早く誰かと娶わせないと」
「それは常々言っておるのだがなぁ」

 内容だけならば居酒屋で交わされる普通の会話なのだが、話しているのは帝国の重鎮だ。
 苦笑を浮かべながら可能な限り耳に入れないように注意して、しのぶは料理を運んでいく。
 テーブルを一つ片付けて立食形式にしているが、それでも店内は手狭だ。
 食べ物が載せ切れないかと心配していたのだが、これだけの人数だ。次から次に皿が空くので、信之が休まる暇もない。酒も肴も大盤振る舞いだ。

「では、今後は魔女狩りについては一切禁止するということでいいかな」
「それが妥当でしょう。今回魔女探しをして分かりましたが、帝国含めて近隣三国に魔女はもうほとんど残ってはおりませんし」

 部屋の隅でプリンに舌鼓を打ちながら会談しているのは、ヒュルヒテゴット枢機卿と、ロドリーゴ大司教だ。改革派と古典回帰派の大物がこんなところで会っているとなれば教導聖省が大騒ぎになりそうだが、つつがなく合意は形成されそうだった。

 どちらの閥にも過激な連中はいるので、ゆっくりと下に話を下ろしていくことになる。脇にはイングリドとエトヴィンも控えていた。
 大司教についてきたエンリコも茶碗蒸しをさっきからいくつも食べている。
 エトヴィンはとある用事で聖王国まで出向いてヒュルヒテゴットを呼びに行っていたのだが、図らずも聖王国で机を並べたかつての学僧たちが数十年ぶりに一堂に会することになった。その空気は重要な事柄を決めているというより、同窓会のようにも見える。

「で、イングリド。あの<踊る子馬>亭のツケなんだが、肩代わりしていた分をそろそろ払って貰いたいんじゃが」
「いやいやエトヴィン先輩。勝手に払ったのはそちらじゃあないか。久しぶりに会って今更耳を揃えてどうこうと言われても、こちらとしても困るんだがねぇ」

 のらりくらりと言い逃れようとする師匠の態度に弟子のカミラが首を竦めている。
 手に持っているのはたこ焼きだ。歳の近いエーファとはいつの間にかすっかり仲良くなったようで、ソース味と醤油味のたこ焼きを交換したりもしている。
 カミラに友達を作ってやりたいというイングリドの願いは、叶ったようだ。
 大市のためにしのぶが密かに用意したたこ焼き機は、女傭兵のリオンティーヌが担当している。
 扱うのは初めての筈なのに、その手際は妙に様になっていた。

「たこ焼き、上手いですね」
「コツは手首の返しだろ? 剣術と同じようなもんさ。ところでこれにイカを入れちゃダメかい?」

 東王国の実家に帰ったリオンティーヌだったが、じっとしているのは性に合わなかったらしい。
 再び傭兵稼業に乗り出したところで古都を目指す枢機卿のヒュルヒテゴットとエトヴィンに雇われ、古都までの護衛を仰せつかったのだという。契約では古都までの護衛となっているので、暫くこちらで暮らすつもりだという。少しお腹周りがふっくらとしてきたヘルミーナの代わりに、のぶで雇って貰えないかと信之と交渉中だ。

 皆がそれぞれに居酒屋のぶを堪能している。
 美味い肴と美味い酒。そしてそれを楽しむお客の顔。
 こういう顔を見たくて、店を開けているという実感がある。

「しのぶちゃん、そろそろよろしく」
「皆さん、今日の新作料理ですよー」

 信之が大鍋から盛り付けていくのは、肉じゃがだ。今日のために試作を繰り返し、二人で満足の行く味に仕上げた。エーファの家のじゃが芋の力も相俟って、どこに出しても恥ずかしくない味になったという自負がある。
 新作料理と聞いて真っ先に皿を取るのはクローヴィンケルだ。
 一口頬張ると目を輝かせ、二口三口と食べ進めていく。

「美味しいです。ダシマキにも魔法を感じましたが、このニクジャガにも強い力を感じる」

 ブランターノもワイン片手に肉じゃがを楽しんでいるようだ。
 自分の領地で採れた馬鈴薯でも作れるものなのかと近くにいたラインホルトに尋ねているが、あいまいな笑みを返されるだけだ。
 肉じゃがの皿が次々と空になるのを見ながら、新議長のマルセルが店の隅でビールを呷っている。

「分からん。何が起こっているんだ。まさか王侯貴族の皆様がこの居酒屋の新作料理を食べに遥々やってきたわけではあるまいに……」
「ここの料理は美味いけど、さすがにそれはないよ、マルセルの旦那」

 この世の何もかもが信じられないという顔のマルセルに付き合ってやっているホルガーが肉じゃがのお代わりを空にする。これでも三皿目だ。

「じゃあいったい全体これはなんの騒ぎなんだ、ホルガー」
「まぁ、そろそろ始まるんじゃないかな」

 パンパンと大きく拍手が打たれ、店の奥に視線が集まる。
 それまで騒がしかった店内を静寂が満たし、古式に則った正装に身を包んだイーサクが恭しく会衆に一礼した。

「この度は我が主、サクヌッセンブルク侯爵アルヌ・スネッフェルスの即位前御披露目式にご参列賜りまして、真にありがたく存じます」

 口上が終わると同時に、裏手から真っ青な礼服を見事に着こなしたアルヌが颯爽と姿を現す。
 遊び人風の格好をしていたのが嘘のように、どこからどう見ても貴公子にしか見えない。
 アルヌは凛々しい表情で参列する人々の顔を見渡した後、非の打ち所のない、それでいてどこか色気のある礼をしてみせた。

「本日はお集まり頂きありがとうございます。私はサクヌッセンブルク侯爵アルヌ・スネッフェルス。神と女神と太陽の恩寵によってこの名を名乗る十五番目のアルヌです」

 長い名乗りに少しも言い淀まないのは吟遊詩人としての鍛錬の賜物だろうか。
 ヒュルヒテゴットが枢機卿として、侯爵に祝辞を述べる。エトヴィンはこのためにわざわざ呼んで来たらしい。
 先帝はじめ皆が拍手を送る中で、しのぶは肘で信之を突いて尋ねた。

「ねぇ大将、侯爵ってどれくらい偉いの?」
「こっちの世界とあっちの世界とで同じ意味なのかは分からないけど、男爵、子爵、伯爵の上だよ」
「へぇ、アルヌさんって偉かったんだ。侯爵になったらもう来てくれないかもしれないね」
「さぁ、それはどうだろうな。暫くは親爺さんにこってり絞られそうだけど」

 一度仕事を投げ出したアルヌに先代の侯爵は随分と腹を立てていた。
 だが、重度の腰痛で執務も続けられないので、アルヌが同意しようとすまいと、大市を機に譲位するつもりだったらしい。即位式に枢機卿まで招けば、さしものアルヌも折れて考えを改めると思ったのだろう。
 それでも、自分からやる気になって継ぐことを決意したことには喜んでいるようだ。昵懇にしていたエトヴィンにヒュルヒテゴットを呼びに行かせたのも、無駄にならなかった。

「良い侯爵になってくれるといいね」
「それは間違いないと思うな」

 誰かがビールのお代わりを注文する声が聞こえたので、しのぶは「はーい」と応じる。
 この御披露目式が終わったら、大鍋に作った肉じゃがを無料で振舞う予定だ。
 試食会には衛兵隊の皆や他の常連、それにエーファの弟妹も招く予定になっている。
 その材料費と調理に掛かる手間賃は、全てアルヌが負担してくれた。近隣諸国から集まる商人たちに、サクヌッセンブルク領の馬鈴薯の美味しさを宣伝する作戦だ。

 侯爵となったアルヌの初めての仕事は、居酒屋のぶへの支払いを認める書類に署名をすることになるとイーサクが教えてくれた。
 縁が縁を呼び、新しい出会いを連れて来る。
 ここで店を開けていることが、少しでも古都の人を幸せに出来れば良いとしのぶは思う。
 不思議な力で古都に店を出すようになって、まだ一年。
 これだけ多くのお客を迎えることができるようになったのは、しのぶにとっても信之にとっても嬉しい驚きだった。

「来年もまた、同じように大市が迎えられたらいいね」
「来年はもっと賑やかにしたいな」

 表の通りから、豊年を願う古い祭文が聞こえてきた。
 宴の夜は、まだまだ続く。
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