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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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肉じゃが

 通りから賑やかな子供たちの声が聞こえる。
 ここ数日は古都(アイテーリア)のどこの通りでも太市の準備に余念がない。男衆が来年の豊年を祈ってわらで作った大人形を担ぎ練り歩くのは元々農村の祭りだったらしい。
 古都に人が集まる中で祭りも持ち込まれたというのは、イーサクの言っていたことだ。
 今日もアルヌは居酒屋ノブのカウンターに突っ伏して、日がな一日足をブラブラさせている。
 足をブラブラさせるのに飽きると、今度はブラブラしている足が自分の本体だと思い込んでみるのだ。そうすると今度は身体の方がブラブラしているような気がしてくるから面白い。
「いや、面白くはないな」
 突然起き上がったアルヌに、タイショーが少し驚くが、また鍋に視線を落とした。
 このところタイショーは何か新しい料理の試作をしているらしく、研究に励んでいる。
 何を作っているのかはアルヌの与り知るところではないが、試食しているシノブやエーファの反応を見る限りでは居酒屋ノブの新しい名物になりそうだ。
「アルヌさんは祭りの準備はいいんですか」
 ぽつりと呟くようにタイショーが尋ねる。シノブが用事で出掛けているので、店の中にはアルヌとタイショーしかいない。鍋の炊ける音に紛れてしまいそうな問いだった。
 咎めるような色はない。もしここにいて邪魔なら、とっくに摘み出されているだろう。この居酒屋には、不思議と人を包み込むような雰囲気がある。
「厳密に言うと古都の人間じゃないんですよ。だから祭りの輪に加わるのもね」
「ああ、それは」
 少し悩んでからタイショーが言い淀んだ理由に思い当たった。
「この店はもう立派に古都の一員ですよ。確か聞くところによればもうすぐ一周年ですよね」
「ええ、そうなんです、実は」
 照れくさそうに笑ってみせるタイショーを見て、この店が好かれる理由が何となく分かったような気分になる。皆、素直なのだ。店員が素直なら、常連も。引き寄せられるということだろうか。
「古い法律があるんですよ。その都市に一年暮らせば、都市はその者を住民として認める。だから居酒屋ノブは古都の一員です」
「アルヌさんはどうなんですか?」
「私はまぁ、事情がね」
 苦笑を浮かべ、ホウジ茶を飲む。最近のノブでのお気に入りだ。腹の底から温まると、苛々はどこかへ消え去ってしまう。
 くつくつという鍋の音だけがまた、店内を満たす。
「……弟が」
「はい」
 独り言のように口を出た言葉が、タイショーに聞こえてしまったらしい。
 気の緩みだ。あまり、自分のことを話したくはなかったのだが、一度聞かれてしまうと不自然に打ち消すのもアルヌらしくない。
「弟がいるんですよ」
「いくつくらい離れているんですか?」
「三つ、かな」
 普段は寡黙だが、どういうわけかタイショーと話しているとするすると言葉が出てくるという気がする。それが少しも嫌ではないのは、本当は自分でも話したがっているのかもしれない。
「弟は私と違って出来の良い奴で、親爺の言うこともよく聞くんです。家業を継ぐのも、弟のほうが良いという人もたくさんいる」
「ああ、それで吟遊詩人を」
「詩人になりたいのは本当ですよ。ただまぁ、ほんの少し当て付けというか、そういう気持ちがあったのも事実ですけど」
 タイショーは何も言わず、話の続きを促している。
 喋り過ぎているな、と頭の中の冷静な方のアルヌが囁く。この店は、暖か過ぎるのだ。火照った頭は、酩酊したように思わず口を軽くする。
「二年ほど親爺の下で見習いをしたんですけど、少しも面白くなかったんですよ。基本基本の繰り返しで。私はもっと色々なことができると思うんですけどね。新しいことは、全部駄目だといわれてしまう。そういうことは弟の方が向いているんです」
 だから家を飛び出した、ということは言わなくても伝わったらしい。
 何も言わず、タイショーは頷くだけだ。
「クローヴィンケル先生に詩を読んでもらった時、何かから逃げているって言われたんですよね。それが家業のことだろうということは、分かるんです。でも、向いていないものを継いでも自分だけでなく、みんなが不幸になる。同じことを同じように毎年毎年死ぬまで続けるというのは、私にはできそうにない」
 口に出してみて、アルヌは自分が何を考えているのかがはじめて分かった。
 同じことの繰り返しが嫌だったのだ。だから旅に憧れ、吟遊詩人を目指した。
 考えてみれば、クローヴィンケルの言うとおりの逃避だったのだ。詩をたったの数十篇読んだだけで見透かされるような底の浅さだったのか。それとも、クローヴィンケルの眼力か。
 どちらにしても、自嘲さえも出てこない。
 タイショーが、そっと小皿を差し出した。中にはほんのりと色のついた温かな汁が入っている。
「今度出す料理に使う出汁です。味見してみてください」
 頷き、口を付ける。
 優しい味だ。それでいて、しっかりとした旨みもある。
「この出汁を引くのに、十四年かかりました」
「……十四年?」
 タイショーは若作りだが、三十そこそこだろう。十四年といえば、人生の半分だ。
 それだけの年月をかけて、スープの味を定めたということか。
 たったスープのことではないかと言いかけて、アルヌは口を噤む。十四年かけて積み上げてきたものを、否定などできるはずがない。
「二年試したってアルヌさんは仰いましたけど、それでは向き不向きは分からないと思います」
「いや、分かった、と思う」
「本当に吟遊詩人になりたいなら、詩に迷いは出ないんではないですか」
 喉の奥から、唸りに似た吐息が漏れた。
 何か言われれば、吟遊詩人も二年では向き不向きは分からないはずだと言い返すつもりだったのだ。それは見事に躱された。
 未練。
 つまりタイショーはそう言いたいのだ。本当は家業を継ぎたいのに、上手くそこに馴染めない自分に対して言い訳をしているということを、突き付けられている。
 結局、逃げているのか。そう自問しながら、そっと目を閉じた。
 基礎が大事だということは、分かっているのだ。それでも、自分に才能があることを認めてほしくて新しいことに次々と手を出した。尻拭いは、全て部下がしていたというのに。
 目の前に、コトリと皿が置かれる。
 盛り付けられているのは、馬鈴薯と肉、それに彩りで人参や隠元が添えられていた。
 これまでノブで見たことのない料理だ。今試作しているという例の物か。
「肉じゃがです。お客さんではアルヌさんが食べるのは第一号ですよ」
 そう言われると、悪い気はしない。
 最近慣れ始めたハシを使って馬鈴薯をそっと割る。荷崩れせずに汁気をたっぷり含んだ芋はハシを割りいれただけでほっこりと仕上がっているのがよく分かる。
 口に入れて、驚いた。
 ねっとりとした食感はノブで出されるサトイモに近いねっとりとした力強さがある。
 だが、これはこの辺りの芋だ。
 生まれてこの方、食べ飽きるほどに食べた馬鈴薯なのだ。
 安心する味、というのだろうか。湯気を掻き分けるようにして芋と肉とを口に運ぶ。
 しっかりと味の染みた味わいは、ノブの他の煮込み料理全てに勝っている。さっき味見したスープの深い旨みが、芋の良さを最大限に引き出しているのだ。
 気付いたときには皿の中が空になっていた。
「どうですか?」
「芋が良い。これはノブの、いや、古都の新名物になる」
 タイショーがにこりと笑い、つられてアルヌも微笑む。
 現金なものだ。
 弟に家業を譲るつもりだったのに、今ではもうこの馬鈴薯のことを考えている。
 伝手を使って色々な人にニクジャガを食べさせ、この地域の馬鈴薯を売り込む。古都周辺で栽培されている芋は他の地域と少し品種が違うということはイーサクから聞かされていた。
 上手く売り込めば、救貧作物という印象の強かった馬鈴薯が新たな現金収入源になる。
 そうなれば、これまで貧しかった人々も潤うことだろう。
「アルヌさん、良い顔してますよ」
「そうですかね……?」
 少し照れくさくて、タイショーから目を逸らした。
 本当は、家業のことが好きなのかもしれない。
 やりたいことが溢れ過ぎ、それができないことにままならなさを感じていたと言うことだろう。
 なんとも因果なものだ。たった一杯の煮込み料理に、ここ数ヶ月の悩みを全て持っていかれてしまった。自分で自分のことを随分と難しい人間だと思い込んでいたが、案外簡単で単純だったのかもしれない。
 タイショーが十四年かけてスープの味を決めたのだ。自分も十四年くらいはがんばってみようという気分になっている。それで駄目なら今度こそ弟にでも家業を譲って吟遊詩人の修業を十四年。
 なかなか楽しみ甲斐のありそうな人生設計だ。
「アルヌ様、こちらにお出ででしたか」
「ああ、イーサク、いいところに来た。タイショー、イーサクにもさっきのニクジャガを食べさせてやってくれないだろうか」
 いつの間にかやって来たイーサクが、妙に機嫌の良いアルヌに一瞬ぎょっとする。だが、鍛え抜かれた自制心でそれを抑え込んだらしい。
 やはりイーサクはアルヌには過ぎた部下だ。但しこれからは今まで以上に苦労してもらうことになる。アルヌの中では、一つの決意が固まりつつあった。
「ニクジャガ、ですか。これはまた」
 アルヌよりも慣れた手つきでハシを使い、イーサクがニクジャガを食べる。
 馬鈴薯を食べても肉を食べても目付きがころころと変わるのが見ていて面白い。
「タイショー、これは、凄い料理ですね……北の方に似たような料理があるのですが、そちらはサワークリームを添えます。このニクジャガはそういう小手先に頼らなくても、単品で料理として完成している」
「守破離ですよ」
「シュハリ?」
 聴き慣れない言葉にアルヌが聞き返す。
「師匠に教えてもらった言葉なんですがね、最初は愚直に師匠のやって来たことを学ぶ。これが守です。そこからはじめてそれまで教わったことを破壊するのが、破。そして最後に新しい自分だけの物を作る離です」
「シュ、ハ、リ……」
 腰にぶら提げた羊皮紙の束は詩作の思い付きを纏めておくための物だったが、アルヌはそこにシュハリという言葉を書き付けた。これからは、詩以外のことを記すことも多くなるはずだ。
「良い言葉ですね、アルヌ様」
 イーサクの口調が少し底意地悪く聞こえるのは、二年で親爺のやり方を放り投げたからだろう。
 言い返せないのが悔しいが、これからは違う。
「イーサク、私は家を継ぐぞ」
「……え」
 突然の宣言に驚いたのか、イーサクがハシを取り落とす。
 無理もない。今朝までイーサクには継ぐつもりはないといい続けてきたのだ。翻意をするにも準備というものがある。これほど急に言われれば、冗談と思われても仕方はないだろう。
 しかし、イーサクの反応は想像以上のものだった。
「お、おめでとうございます!」
 椅子から立ち上がると、腰が折れるのではないかと思うほどに頭を下げる。上げた顔には涙が流れている。
 普段の真面目な姿からはまったく想像もできない喜びようだ。
「このイーサク、アルヌ様の乳母兄弟としてこれまでお仕えして参りましたが、今日ほどうれしいことはございません!」
 そこにちょうど帰って来たシノブも、あまりのことに理解が追いつかないという様子でただおろおろとしている。
「アルヌ様、祝宴です。今日は祝宴ですよ!」
「あ、ああ、それは構わないんだが……」
「お金なら心配ありません! 大殿様よりそれくらいのお金は預かっております!」
 タイショーに助けを求めると、口元だけの笑みで返された。
 手際よく料理の仕込みを始めたところをみると、もうその気なのだろう。
 その晩は、訪れた客の払いを全てアルヌが持つという大宴会が開かれた。

 翌朝、古都を取り巻く侯爵領の全域に、サクヌッセンブルク侯爵アルヌ十五世が即位することが布告された。
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