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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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魔女と大司教(後篇)

 ぐずついた天気が朝から続いていた。
 低く垂れ込めた雲から降る湿った雪が、昼を過ぎても馬丁宿通りの路を泥濘ませている。道行く人は少なく、足早だ。
 そんな日でも、居酒屋のぶは開店準備に忙しい。

 エーファとヘルミーナを休ませているので、店内で働いているのはしのぶと信之だけだ。
 それだけなら一年前の開店当初に戻ったようなものだが、イングリドもいる。
 昨晩は飲み歩いていたようで、酔い潰れて朝からここで休んでいるのだ。
 二日酔いが酷いのか奥のテーブルに突っ伏しているが、生きているか確かめるためにプリンを小皿で持っていくと口だけはもぐもぐと動かしているので、死んでいるわけではないらしい。

 魔女騒動が相当堪えているというのは様子を見に来たカミラの言っていたことだった。
 まさか今回の一件がイングリドのせいというわけでもないのだろうが、一時は引越しさえも検討していたのだという。

 明日出す風呂吹き用の大根の皮を剥いている信之をしのぶがぼんやり眺めていると、店の外が急に騒がしくなった。馬車の走る音と一緒に嘶きも聞こえる。
 段々と近付く馬車の音はやがて静かに店の前で止まった。
 しのぶの背に、嫌な汗が伝う。
 居酒屋のぶの常連に馬車で店に乗り付けるような人はいない。よくない予感がする。

 馬車の音に気付いて起き出したイングリドが伸びをした。服装は今日も黒のローブだ。
 古都の伝承にある魔女も、衣装は黒づくめだと聞いている。もし馬車が魔女狩りのものなら、あまりよくないことになるかもしれない。
 裏口から逃がすわけにもいかないし、と考えているところで硝子戸が乱暴に敲かれた。

「い、いらっしゃいませ!」
「……らっしゃい」

 いつもより半音高く挨拶してしまうしのぶと違い、信之は落ち着いたものだ。
 ただ、何かあればすぐに動けるようにカウンターの中で構えてくれているのがありがたい。
 戸が少しだけ引き開けられ、客が押し入るように入って来た。
 いや、正確には客ではない。しのぶのあまり見たくない顔だ。

「やぁ、居酒屋ノブのお歴々。その節は、どうも」

 ダミアン。

 かつて居酒屋のぶのビールが御禁制品のラガーではないかと疑われた時に、バッケスホーフと一緒にこそこそとしていた小悪党だ。お尋ね者になっていたはずなので、こんなに早く再会するとは思ってもみなかった。

「何のご用でしょうか」
「居酒屋に来たのだから何か酒と美味い肴を、と言いたいところだけれども、そういう訳にはいかない。今日はオレ一人ではないんでね。大司教猊下、こちらです」

 そう言って芝居がかった動きでさらに戸を開ける。
 頭を下げて潜るようにして入って来たのは、僧服に身を包んだ巨漢だった。
 五十の坂は幾つか越えているのだろうが、ふっくらとした肌には張りがあり、歳相応よりも若く見える。
 僧服と言っても、純白の正絹に銀糸で刺繍したそれはエトヴィンの着ている物より幾分仕立てがよい。高位の聖職者に相応しいいでたちだ。

「なるほど。これはなかなかに異国情緒あふれる店構えだな」

 赤ん坊のようにふっくらとした掌をすり合わせながら、大司教は会食に招かれ慣れた人に特有の鷹揚さで、手前のテーブルに席を占めた。奥にイングリドがいるのを見て、笑顔で小さく会釈をする。まるで、品のよい客のようだ。しかし、これも欺瞞かも知れない。

 長年の習慣で、しのぶはテーブルに着いたお客にはそっとおしぼりを出してしまう。
 受け取った大司教はその温かさに一瞬驚いたようだが、嬉しそうに目を細めるとお手玉の要領で少し冷ましてから手を拭った。
 その様子を苦々しく見つめていたダミアンが、大きく一つ咳払いをする。

「今日、大司教猊下をお連れしたのは他でもない。この居酒屋ノブに魔女の塒ではないかという嫌疑がかかっている。その審判の為だ」

 やはり魔女狩りだ。
 今回の一件にもダミアンが絡んでいるというのには少し驚いたが、考えてみれば意外でもない。
 居酒屋のぶへの、意趣返しなのだろう。そういうことくらいは平気でする男なのだろう。

 知らず、しのぶの表情も険しくなる。
 こういう場合は、信之よりもしのぶが前に出た方がいい。あまり口が達者ではない信之では、丸め込まれてしまうかもしれないからだ。

「ここはただの居酒屋です。それ以上でもそれ以下でもありません」
「もちろん、そうであればいいと思っているよ、古都の為にも」

 嫌味な笑みを口元に張り付けたまま、ダミアンは続ける。

「しかしそうとばかりも言っていられない。店の方でも心当たりがあるのではないかね?」
「ありません。私たちは健全に居酒屋を営業しているだけです」
「ほぅ、健全に。なるほど」

 大司教は、何も口を挟まない。事の成り行きを興味深げに見つめているだけだ。
 実際に魔女狩りを進めているのは、ダミアンなのかもしれない。

「魔女は古い精霊エルフ(アールヴ)と親しみ、白毛の雪狐を友とするという。この店に狐が出入りするのを見た、という声がある。それについてはどうかな?」
「……狐、ですか?」

 一瞬、神棚の方に視線を向ける。ここではお稲荷さんを祀っているが、実際に狐を飼っているわけではない。まさか抜け出て悪戯をしているわけでもないだろう。
 時々、備えている油揚げや稲荷寿司がなくなっていることはある。だがそれは信之が摘まんでいるのだろうとしのぶは理解している。

「しらばっくれても無駄だぞ? 正直に話した方がいい」
「いえ、本当に知りません。何も」

 ダミアンが小さく首を竦める。強情な奴め、と顔に書いてあるが知らない物は知らない。
 審問は続くらしい。ダミアンは羊皮紙を折った物を取り出し、指を舐めて捲る。
 高圧的な詰問は、あまり気持ちのいい物ではない。まして、相手はあのダミアンなのだ。
 早く終わって欲しいが、相手はこちらを嵌めようとしている。気を抜くことはできない。

「ではきのこはどうだ。きのこは魔女の象徴だ。昔の魔女狩りの記憶から、古都ではあまり食べない食材でもある。それを居酒屋ノブではふんだんに使っているそうだな」
「若い人はあまり気にしないと聞きました」
「気にしないことと風習がないことは大いに異なる。年寄り連中の中には今も律儀にきのこを食べずに暮らしている者もいるのだ」
「それは、私たちが余所から越してきたから……」

 ダミアンの目が、怪しく光った。片頬だけで笑う表情は粘ついた厭らしさを感じさせる。

「余所から。そう、余所からやって来たわけだ、この居酒屋ノブは。見たこともない料理、聞いたこともない店構え。夏でも涼しく、冬でも何故か温かい。実に素晴らしい。皆が気に入るのも当然のことだ」

 身振り手振りを付けて語る姿が、まるで道化師か何かのようだ。

「では、何処から?」

 突き刺すような問いに、しのぶは窮した。
 答えられない。答えられるはずがない。まさか異世界から来ましたと言って、信じて貰えるはずもなかった。
 何処から来たのかが説明できなければ、魔女扱いされてしまうのだろうか。
 よく分からないが、相手はダミアンだ。あやふやな部分は格好の餌食になる。

「答えられないか? 答えられるはずもないな。この店の存在そのものが魔女の仕業だろう?」

 断言するダミアンの言葉が終わるか終わらないかというときに、奥のテーブルからくつくつという笑い声が響いた。
 イングリドだ。
 笑い声は次第に大きくなり、ダミアンさえも気圧されそうになる。

「なかなか面白い話だけどさ、それは随分と無茶な話じゃないかね」
「……なんだ、お前は?」
「私はイングリドっていうこの店の常連だよ」

 訝しげなダミアンの前に進み出ると、イングリドはいつものような飄々とした笑みを浮かべる。
 しかし、その目はどこか寂しげで、覚悟に満ちているように見えた。
 首から下げた護符は、今日も青い光を湛えている。

「何処から来たのか分からないという意味なら、ほとんどの者がそうじゃないのかね」
「オレは哲学や神学の問答をしに来たわけじゃないぞ」
「おやまぁ。魔女審判なんて神学問答の最たるもんだろうに」

 くつくつと忍び笑いを漏らし、イングリドは続けた。

「例えばサクヌッセンブルク侯だって随分と古い家だが、皇帝家に従うまでの出自は分かっちゃいない。山師、放浪者、山賊か海賊だったんじゃないかという話もある。分かっているのは北の方からやって来たということだけだね。誰でも最初は余所者さ」
「それがどうした」
「古都にはね、そういう出自定かならざる連中がいっぱいいるってことさ。何処の出身か分からなくても、一年もすればそれは古都の人間なんだよ。居酒屋ノブが魔女の塒なら、古都の人間の半分は魔女にしないといけないことになる」
「そんな莫迦げた話をしているんじゃない!」
「いいや、莫迦げた話さ」

 憤激するダミアンの鼻先を往なすようにイングリドの議論はのらりくらりとしている。
 いつの間にかのぶのこととは関係のないところに話の流れは移りはじめていた。

「いいや、魔女だ。居酒屋ノブは魔女の塒だ」
「そうやって言い募るには少し材料が足りないんじゃないのかね」
「そういうお前は何様のつもりなんだ! あまりこの居酒屋ノブを庇い立てすると、事と次第によってはお前も……」

 唾を飛ばしながら捲し立てるダミアンに、イングリドは嫣然と微笑む。

「私かい? 私こそ魔女だよ。正真正銘の」

「正真正銘の、魔女……?」
 唖然とするダミアンの顔色が怒りの赤から青褪めたものに変わる。
 まさか本当に魔女が出て来るとは思っていなかったのだろう。藪をつつけば、蛇が出てくるかもしれないというのに。助けを求めるように振り向くが、大司教は黙ったままだ。

「そうさ、魔女だよ。お前さんの言っていた深い森に棲み、薬と(まじな)いで人の病いや怪我を治すという魔女さ。エルフ(アールヴ)とやらにはまだお目に掛かったことはないが」
「お、おま、お前、自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「分かっているよ。でも私は教導聖省の敬虔な信徒でもある。礼拝も欠かしたことはないし、聖典も諳んじられるくらいさ。生き方が魔女だというだけさね」

 朗々と述べるイングリドの言葉は、魔女というよりも聖職者のもののように響く。
 しかし確信に満ちた言葉は、それを貶めようとするダミアンの苛立ちをさらに募らせたようだ。

「莫迦げたことを言うな! 信仰の敵でない魔女など聞いたことがない」
「物知らずが自分の不勉強を棚に上げてそういうことをお言いでないよ。魔女が神と女神を信仰してはならないなんて道理はない。逆に、聖職者が魔女になってはならないという道理もない」
「しかし、魔女だ!」

 ダミアンの声は咆哮じみていた。物知らずと言われたことに我慢ができなかったのだろう。青くなっていた顔が、もう赤黒く変色している。

「魔女だよ、元聖職者のね。それで私をどう裁くつもりなんだい? 根拠を言ってごらんよ」
「大司教様の御威光によって裁く。魔女だと自ら宣言したものを放置しておいていいはずがない。郊外の屋敷に今すぐ引っ立てて、火炙りに……」
「もうよい」

 遮ったのは、それまでじっと成り行きを見守っていた大司教だ。

「もうよいのだ、ダミアン。お前の魔女探しはこれで仕舞いだ」
「猊下、もうよいと仰いますと?」
「言葉通りの意味だよ。探していた魔女は見つかったのだから」

 呆然とするダミアンを尻目に、大司教はイングリドへと歩み寄る。
 その顔には狩り出すべき魔女を見つけた聖職者の表情はない。むしろ、喜色に満ちている。

「御無沙汰ですね、イングリド先輩。お元気そうで何よりだ」
「御無沙汰も何も私には大司教の知り合いなんかいないよ」とイングリドが怪訝そうに応える。
「お忘れですか、ロドリーゴですよ。教導聖省で一緒だった、<チビ>のロドリーゴ」

 <チビ>のロドリーゴという名前を舌頭に転がすイングリドの眉間に刻まれた皺が次第に解け、目が驚きに見開かれた。

「……え、あのロドリーゴ? だってお前、背が……」

 背も伸びたでしょうと大司教が笑う。もっとも、私の方でも最初イングリド先輩だと確信が持てなかったのですが。
 その言葉にイングリドがええと頷いた。その瞳には驚きと喜びの色が湛えられていた。
 ぱきり、と小さな音を立て、護符が割れる。
 青い宝石の嵌っていた木片はまるで役目を終えたかというように真っ二つになり、宝石がころりと床に落ちた。

「ずっと探していたのですよ、魔女になると教導聖省を飛び出した後も」

 イングリドの表情がばつの悪そうなものになる。隠していた悪戯が見つかったかのような顔だ。

「手掛かりなんて何もなかっただろうに……」
「酒と甘い物が名物の場所に、人を送っていました。もちろん、魔女の噂にも」

 ロドリーゴの語る魔女探しの物語は今でこそ笑い話だが、信じられない苦労の連続だ。

「ブロセリアンドの森にパンプキンのパイをこよなく愛する魔女がいると聞けば人を派遣し、アルヘニアの温泉街に酒好きの魔女が湯治をしに来たと聞けば会議をすっぽかして北へ向かい……」

 公式の仕事ではないから正規の部下も使えない。多少怪しげな連中も金で使うことを覚えたが、今回のダミアンについてはさすがに予想外だったという。

「昔からなにかに熱中すると他が目に入らなくなる奴だったけど、とんでもない行動力だね」
「今回はかなり期待していたのですよ。先帝陛下もお気に入りの居酒屋がある街だと聞いていましたからね」
「そんな方法で見つかるわけがないだろう……何年かかると思ってるんだ」
「ええ、随分と時間がかかってしまいましたね」

 二人の周りだけ、違う時間が流れている。しのぶも信之も、状況の変化について行けていない。
 魔女狩りではなく、大司教の目的は魔女探しだったというのか。それも、イングリドたった一人を探していたと。
 和やかな空気を打ち破ったのは、ダミアンだ。

「だからどうした! そいつは自分自身で魔女と名乗ったのだぞ。それも大司教猊下の前でな。魔女が出入りしているこの店も同罪だ!」

 喚き散らしながらダミアンは椅子を蹴飛ばす。
 が、脛に当たったのか逆に自分の足を抑える羽目になった。ダミアンを見つめる大司教の目は憐れみに満ちている。

「魔女だ。お前もお前もみんな魔女だ! 居酒屋ノブは魔女の店だ! 古都にいられなくしてやる。裁かれなかったとしても、一生、魔女の烙印を背負って生きることだな!」
「もう気は済んだだろう、ダミアン」
「猊下、止めないでください。こいつらに魔女の烙印を……」
「そのようなことはできないし、するつもりもない。百年前とは時代が違う」
「では何故、魔女狩りに賛同されたのですか!」

 その問いに首を振る大司教の顔には複雑な表情が浮かんでいた。

「私は魔女を探していただけだ。魔女狩りと勘違いしたのはダミアン、そなたの方だぞ」

 わなわなと震えだしたかと思うと、ダミアンは脱兎のごとく駆けだした。
 入口から逃れようとするのを、信之が食い止める。手に麺棒を持つ信之の脇を抜けられないと諦めたのか、あっという間に方向を変え、裏口へと走り去る。

「そっちは!」

 しのぶの声も虚しく、ダミアンは裏口から何処かへと姿を消した。
 ぎぃと音を立て、裏口が勝手に閉まる。ダミアンの手を捕まえ損ねたしのぶが最後に見たのは、見慣れた日本の商店街の裏道ではなく、どこかの山道のようのようだった。



 扉の先にあったのは見知った古都の路地裏ではなかった。
 鬱蒼と茂る森の中、石畳で舗装された道をダミアンはとぼとぼと歩いている。
 ただの山道であれば、然程恐ろしくもない。出てくるのは精々が山賊か追い剥ぎで、そういう連中の扱いには慣れている。

 問題なのはこの山がただの山ではないらしいということだ。
 ダミアンは朱塗りの木肌をそっと撫でた。これが鳥居というものであることを、彼は知らない。
 異教の神殿を守る門と思しきこの朱塗りの構造物が、この山道を支配している。

 前を向いても後ろを向いても、千も二千も連なって、ダミアンを逃そうとしない。
 随分と長い時間を歩き続けて道の分かれるところまで辿り着いたが、そのいずれもが鳥居によって覆い尽くされている。

「……いったい、ここはどこなんだ」

 振り絞るように呟くダミアンの耳に、狐の鳴く声が聞こえた。
 魔女に化かされたのか。額の汗を拭いながら、声のした方をきっと睨みつける。だが、何者の姿も見えない。足を動かす気力も萎え、その場にへたり込む。
 狐の声が、また一つ。



 疲れ果ててすっかり身動きの取れなくなったダミアンが古都の路地裏で見つかるのは、それから数日後のことだった。
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