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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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魔女と大司教(前篇)

 魔女狩りがはじまった。
 そういう噂が流れ始めたのは、小雨の降り頻る秋の夕暮れのことだ。
 大司教の紋が入った馬車が、古都(アイテーリア)の路地で人を次々と乗せているのが目撃されていた。道行く人の影は疎らになり、ゴロツキでさえ姿を見せなくなっている。

 いなくなったのは一人や二人ではない。既に十人以上が古都郊外の使われなくなった屋敷に連行されたという噂だった。
 大市の祭りが近いというのに、古都は異様な雰囲気に包まれている。

「しのぶちゃんも気を付けた方が良いんじゃないかい」

 そう言ってジョッキを傾けるのは硝子職人のローレンツだ。目の周りに青痣があるのは、息子のハンスと大喧嘩したからだという。
 衛兵隊でベルトホルトに絞られているハンスと喧嘩をするというだけでも十分に凄いが、引き分けてしまったというのだからさらに凄い。

 久しぶりの親子喧嘩で食欲に火が付いたのだろう。
 水おしぼりで冷やしながら、天ぷらを肴にさっきからもうビールが七杯目だ。

「気を付けるって、魔女狩りですか?」
「そうそう。手当たり次第って噂だからさ」

 八杯目を要求するローレンツをそっと制しながら、しのぶは顎に指を付けて考える。
 いったい、なんのために魔女狩りなんてするのだろう。ここ百年ほどは行われてなかったという話を聞いてはいた。一年近く暮らして古都の事情のことにはそこそこ通じてきた気がするが、宗教関係はさっぱり分からない。
 歴史の授業で習った宗教に似ていると思ったのだが、よく聞いてみると全く違う物のようだ。

「こういう時に限ってエトヴィンのじいさんはいないしなぁ」

 牛すじの土手焼きで熱燗をやっているニコラウスが、助祭の指定席になっていた隅のカウンターを見ながら恨めし気に呟く。
 大司教が来た日以来、エトヴィンはその姿を忽然と消していた。あの飄々とした助祭がいれば、確かに何か手を打ってくれたかもしれないという気分にはなる。

「なんだか物騒な話ですね、魔女狩りなんて」
「みんな怖がっているからな、次は自分の番ではないかと。それとナポリタンをもう一皿頼む」

 ゲーアノートは一見すると相変わらずの調子だが、市参事会として大司教に苦情を申し立てが上手く行っていないことに腹を立てているらしい。暖簾に腕押し、糠に釘。
 相手が交渉のテーブルに着かないことには、弁舌で相手を言い負かすこともできない。
 何よりもナポリタンの調和を重んじる彼が普段よりもタバスコの量を増やしているのは少し苛ついているからだろう。

「なんとか止めて貰うことはできないんですか、ゲーアノートさん」
「抗議はしているさ。大司教の側では知らぬ存ぜぬだがね。本来なら、古都は帝国直轄領だから大司教だからと言っておいそれと手出しはできない決まりになっている。話が大きくなれば、帝国と聖王国(ルプシア)の政治問題だ。それを知っているからこそ、市参事会の統治権が曖昧な城壁の外で魔女狩りごっこに興じているのだろうが」

 先代の市参事会議長だったバッケスホーフ時代には、大司教に古都の聖堂の長を兼ねて貰うという案もあったようだ。そうなれば管区内で古都にだけ影響力を及ぼすことのできない大司教が、大きな発言力を古都に有することになる。
 大司教側からの強い要請があったらしいが、それも例の一件で沙汰止みになった。
 今にして思えば、それが正解だったのだろう。そんなことを許していたら、魔女狩りはもっと早く起こっていたかもしれない。

「城壁の外を治めている領主にお願いするっていうのは?」
「サクヌッセンブルクの大殿様は教導聖省にも顔が利く。本当ならもう事を収めてくれていてもいい頃なのだが……どうも病気で臥せっているのではないか、という噂でな」
「どうにも上手く行きませんね」

 軽く溜息を吐きながら信之の方を見る。
 魔女狩りがはじまったという噂が流れた段階で、信之はヘルミーナとエーファを家に帰していた。事態が落ち着くまで、二人は家にいてもらった方がいいという判断だ。こういう物騒な時は、あまり出歩くべきではないとも言い含めてある。

 それに、人手不足を嘆く心配もない。
 いつもなら満席になってもおかしくない時間帯なのに、今日いるのは常連三人だけである。
 さすがにこの雰囲気では、古都の人々も呑気に飲み歩こうという気分にはならないようだ。

「魔女と言えば、天ぷらにきのこが入らなくなったんだな」
「何事も用心ですからね」

 海老の掻き揚げを半分に割りながら呟くローレンツにしのぶが応える。古都では大昔の魔女狩りを反省してきのこを断つ習慣があると聞いたのは、つい先日のことだ。
 秋はきのこの美味しい時期だが、こういう状況では出さない方がいいだろう。
 皆が何とは無しに居心地の悪さを感じている。
 それはしのぶも例外ではなかった。魔女として連行されている人の基準も分からないし、魔女狩りそのものがしのぶには理解できない。

 一つ救いがあるとすれば、古都の住民も魔女狩りには違和感を覚えているということだ。
 これまでに常連を含め、誰も魔女狩りに賛同している人はいない。古臭い、恥ずべき過去だと思っている。

「しのぶちゃんたちはさ、故郷に帰ったりしないの?」

 土手焼きをつつきながらニコラウスが尋ねる。
 聞かれてはじめて、しのぶは日本に引っ込むつもりがない自分に驚いた。トリアエズナマ騒動の時にも思ったが、どうやら余程古都のことが気に入ってしまったらしい。どうしても別の世界の出来事とは思えないのだ。
 それに、日本へ帰ることはあっても、本当の意味で実家に帰ることはもうないだろう。

「私の郷は遠いですからね。随分と」

 精神的にとは付け加えられずに、しのぶは曖昧な笑みを浮かべる。
 信之が肩を小さく竦めたようだが、気のせいかもしれない。

「私はここでお店を続けますよ。それに魔女騒動だって意外にすぐ終わるかもしれませんし」
「それもそうだな。捕まってる人たちは心配だが、まぁすぐに終わるだろうさ」

 八杯目を信之に注いで貰ったローレンツが豪快に笑う。
 つられて笑おうとしたところで、しのぶの拭いていた皿が床で大きな音を立てた。安く買ったが気に入っていた平皿は粉々に割れている。

「大丈夫?」

 覗き込む信之に小さく頷きながら、しゃがんで破片を拾う。
 ちくり、と刺すような痛みに指先を見ると、血が滲んでいる。こんなことは珍しい。
 人差し指を口に含みながら、湧き起こる妙な不安にしのぶは圧し潰されそうになっていた。
 古都の夜は、静かに更けて行く。夜明けはまだ少し、遠そうだった。



 明け方から降り始めた雨はいつの間にか湿った雪へと変わっていた。
 何処かで一羽、雪待鴉が啼く。
 秋撒き小麦の種子が眠る畑の土に白く化粧をするように雪が舞い落ちている。

 見渡す限りに拡がった黒土の畑はそれでも古都の人々の胃袋を満たすには足りない。旺盛な食欲を支えるため、古都は近郊から様々な物資を買い付けている。
 その為に整備された街道を黒塗りの馬車が一輌、悠然と走っていた。
 所有者を示す紋は、管区大司教のものだ。行き違う農夫がそれを見て、恭しく頭を下げる。

 しかし、敬意を受けるべき大司教はこの馬車の中にはいない。
 今、この馬車を走らせているのは、ダミアンという小男だ。
 全てが順調だった。
 上手く行き過ぎていると言ってもよい。大司教に取り入り、古都で魔女狩りを復活させる。

 その狙いは一つ、あの忌々しい居酒屋ノブだ。
 ブランターノ男爵家とバッケスホーフ商会。二つの職を失ったのは全てあの居酒屋のせいだった。復讐は、生半な手段では足りない。
 馬車は大門を潜り滑らかに古都の市街へと吸い込まれていく。
 管区大司教の紋がある限り、余計な誰何さえもない。

 石畳で舗装された道を、馬車は往く。
 古都の中心である中洲のほど近く、古都で最も格式ある旅館<四翼の鷲>亭の前で馬車は停まった。バッケスホーフに連座してお尋ね者とされていたときであれば門前払いされていたであろう宿に、さも当然という顔をしてダミアンは迎え入れられる。

「どういうことだ、ダミアン。どういうことなのだ」

 部屋に入るが早いか、食って掛かったのはエンリコだ。
 なかなか頭はいいのだが、妙な占いに凝っている。そのせいで資料整理の閑職に回されたところを大司教が拾ってやったという男である。

「どうされました、エンリコ殿。大司教猊下の御前です。落ち着かれては」
「これが落ち着いていられるか。街は魔女狩りが始まったという噂で持ち切りだぞ、ダミアン。古都の市参事会からも抗議が入っている」
「噂は噂です。実際に始まったわけではありませんよ」

 郊外の古い屋敷に人を集めているのは事実だ。
 それが魔女狩りに思えるように仕向けたのも、事実には違いない。不安を煽り、疑惑の目を居酒屋ノブに向けさせる。流言による風評被害を狙ってのことだが、こちらはあまりうまくいっていないようだ。常連の多い店というのは扱いにくい。

 だが、さすがのダミアンも独断専行して魔女狩りをはじめるほど愚かではなかった。
 大司教の権限で魔女狩りを行うのだ。その裁可がないうちは動けない。

「して、猊下は?」
「礼拝の御時間だ。女神像の前におられる。もうすぐ済むはずだがな」

 軽く首を竦め、肩に積もった雪を払いながらダミアンは寝椅子に腰を下ろす。
 薪が爆ぜた。
 金の掛かった造りの暖炉では今も煌々と火が盛っている。
 この辺りの建物は全て厳しい冬に備えて建てられているが、聖王国生まれのエンリコには随分と寒そうだ。痩せぎすの身体にみっともないほどの厚着をしている。まだ秋だというのに、冬が来たらどうするつもりなのか。

 それは、大司教にも言えることだ。
 聖王国生まれの聖王国育ち。温暖な南の地で育った大司教には、この辺りの冬はさぞかし答えるだろう。早くこの地を離れたいという大司教の気持ちをくすぐることが、今のダミアンの力の源泉となっている。
 ラガー密輸事件の後、庇護者を失ったダミアンが身を寄せたのは大司教の元だった。
 大司教の部下の一人がバッケスホーフ商会からの借金を踏み倒していたということを強請りの種にしようとしたのだが、意外にもすんなりと召し抱えられたのだ。

 餓竜も窮鳥は食わず。
 古都を離れてしまえば官吏の手も及ぶことはほとんどないし、教導聖省の庇護があれば少々の追及は逃れられるという計算あってのことだ。
 聖王国生まれのこの聖職者が、故国に帰りたいと望んでいることは、すぐに分かった。

 華やかさが足りないことよりも、原因は寒さと食だ。
 贅沢に親しんできた大司教にとって、帝国北部での芋中心の暮らしはこの世の地獄としか思えなかったようだ。

「おお、ダミアン。来ておったか」
「ご尊顔を拝し、恐悦です」

 特別に設えさせた礼拝の間から出てきた大司教のロドリーゴは、大きい。
 あまり背の高くないダミアンからすると、まるで巨人のように見える。胴回りも相当のものだが、上背があるのだ。この身体では確かに芋ばかり食べているというのは辛いのかもしれない。

「エンリコからもすでに聞いていると思うが、魔女探しのことだ」
「はい、猊下にはあらぬ噂とはいえご心痛のことと存じます。エンリコ殿にも釈明しましたが、あれは単なる風聞です。郊外の屋敷に人を集めたのが、民草にはそう映ったのでしょう」

 そうか、と頷き大司教は早速手酌でホットワインを飲み始めた。
 酔いたいというよりも身体が熱を欲しているのだろう。
 杯はダミアンの贈った物で、内側に鉛が張ってある。聖王国や東王国(オイリア)の物と比べてあまり質のよくない帝国のワインでも味が甘くまろやかになると気に入っているようだ。

 呑気なものだとダミアンは内心でせせら笑う。
 この大司教は学者としては優秀なのだろうが、謀略家としては大した役者ではない。
 多忙な大司教に代わってダミアンが魔女を探すと吹き込んだら、ほいほいと乗って来たのだ。

 古都に魔女がいるかもしれないと報告したら自ら乗り込んできたことは誤算だったが、どうにでもなる。今の大司教の目的は魔女を見つけることだ。どうするつもりか詳しくは聞いていないが、教導聖省の堕落によって魔女が再び発生したとでもいうつもりなのだろう。ダミアンが大司教の立場なら、間違いなくそうする。

 魔女を見つけて聖王国に返り咲く。
 そんなことが果たしてできるのかどうかはダミアンにも読み切れないが、魔女を探し出そうという大司教の熱意は本物だ。少なくない金額をこの調査に投じている。もちろん、ダミアンはそこから甘い汁をたっぷりと吸わせてもらっているのだが。

 現在、聖王国で実権を握っているヒュルヒテゴットは大した切れ者と評判だ。ロドリーゴが魔女を見つけるだけで彼と戦えるとは思えない。空席の一つある枢機卿に就くことさえ難しいだろう。

「それでだ、ダミアン。街雀の囀る魔女狩りの噂が根も葉もないということは、よく分かった。それでここから先、魔女探しはどう動くのだ?」
「魔女の塒と疑いを掛けている店があります。そこを、叩きます」
「ふむ、魔女の塒、な。そこには魔女はいるのだろうか」

 顎を撫で擦る大司教の後ろで、エンリコが何かを言おうとして止めた。
 魔女狩りそのものにあまり乗り気ではないエンリコのことだから、何か詰まらない反対意見でも言おうとしたのだろう。

「ご心配には及びません。色々と怪しい噂のある店です。魔女はおりますよ」
「勘違いしてくれるなよ、ダミアン。聖職者としての私は、魔女が居ないことをこそ望んでいるのだ。その店が魔女の塒でなければ、それはそれでよいことだろう」
「仰る通りにございます」

 応えながら、これだから図体のでかいウスノロはと毒づく。
 こんなところで取り繕っても意味はないだろう。大司教が長年魔女を探しているのは公然の秘密になっている。総身に知恵が回りかねているのではないだろうか。神輿の頭は軽い方が担ぎやすいが、あまり莫迦でも扱いに困る。
 莫迦が莫迦である分には構わないが、それに巻き込まれて不利益を蒙るのはさらに莫迦らしい。

 ただ、その為の備えも忘れてはいなかった。
 郊外に集めた人数は、何かあった時に逃げ出すための準備だ。既に内々に東王国の王女摂政宮と話は付けてある。国境を越えさえすれば、後はどうとでもなるのだ。

 もちろん、何事もなければそれでよい。
 居酒屋ノブに復讐し、大司教と共に古都に居座るのも一興だろう。
 今の市参事会の結束は妙に硬いが、内側からなら食い破ることもできる。
 甘美な妄想はしかし、大司教の意外な言葉に打ち破られた。

「ではダミアン、その居酒屋ノブという店に今から行ってみるとしようか」
「……今から、でございますか」

 鼻歌でも歌い出しそうな気楽さでいうロドリーゴに、ダミアンは卒倒しそうになる。
 これから順次、ノブが言い逃れの出来ないような罠を張り巡らせていく手筈なのだ。
 ゴロツキを使った工作や、偽装食中毒事件。ノブで出されているきのこ料理と魔女に関する欺瞞に満ちた怪文書など、言い逃れのできない証拠を積み重ねていく。
 その第一歩として、街に魔女不安の噂を溢れさせたのだ。これはまだ、準備段階でしかない。

「しかし猊下、些か時期尚早ではありませんか」
 振り絞るような声で言うダミアンの顔色に、大司教は眉根を寄せる。
「魔女がいるかいないかは、なるべく早く確かめた方がよいだろう」
「ああ、いえ、しかし」
「そなたも何かと忙しいようだし。郊外の館に籠りきりでは芋しか食べていないのではないか? 難しい仕事は早く終わらせた方がよい。さ、今から往こう。丁度馬車もあることだ」

 大司教に直接手を引かれては、立場上ダミアンも動かない訳にはいかない。
 思わず歯ぎしりしそうになりながら立ち上がる。
 大丈夫だ。攻め切れる。居酒屋ノブは、魔女の店だ。そう自分に言い聞かせながら、ダミアンは馬車へと乗り込んだ。
 大柄な大司教と並んで乗り込むと、先刻と同じ馬車だというのに風景が随分と違って見える。
 焦りと悔しさを乗せたまま、黒塗りの馬車は滑らかに動き出した。
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