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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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煮込みハンバーグ(後篇)

 くつくつと鍋の煮える柔らかい音が店内を満たす。
 信之が作っているのは、煮込みハンバーグだ。
 焼き上がったハンバーグがとろみのあるデミグラスソースの中でゆっくりと煮えていく。
 今日の持て成しの為に、どういう料理を出すかエーファを交えて三人で考えた結果、食べ盛りのアードルフの為に、何か肉料理が良いだろうという事になったのだ。

 信之にとっては、作り慣れた料理でもある。
 古巣である料亭ゆきつなが毎年クリスマスにだけ店に出す、特別料理の一つがこの煮込みハンバーグだったのだ。
 塔原直伝のハンバーグは、子供でもお年寄りでも食べやすいようにやわらかく丁寧に煮込むのがコツだ。

 行儀よく座る二人のお客には、手際よくじゃがいもの皮を剥く信之の早業が珍しく映るらしい。
 目を皿のようにして見つめる姿は、まるで手品でも見ているかのようだ。

「そんなに早く切って、間違って指は切らないんですか?」
「修行したての頃は時々切ってたかな。今はもう慣れたからね」

 子供相手には意外に気さくなところを見せる信之は、喋りながらもじゃがいもを食べ易い大きさに切っていく。
 油を温めながらにんにくを潰し始めているところを見ると、フライドポテトにでもするのだろう。あれは美味しい。後引く味だ。
 揚げたにんにくチップを添えたポテトは後引く美味さだが、しのぶのような接客業では翌日が休みでない限りは食べることができない。

 まだ幼いアンゲリカは信之の手並みにも、エーファの動きにも興味があるらしく、ちらちらと視線を彷徨わせている。
 ポテトが油の中でカラカラと良い音を立て始めると、そちらも気になるらしい。カウンターに置いてあるソルトミルも気になるようで、弄ってみてはアードルフにぴしゃりと手を叩かれることを繰り返している。

「可愛い御弟妹(きょうだい)じゃない」
「すみません、お恥ずかしいところを」

 店の側に立つべきか姉弟妹(きょうだい)の側に立つべきか迷っている風なエーファは、頬を赤らめてお盆で顔の半分を隠す。
 兄弟仲があまりよくなかったしのぶにしてみると、羨ましい限りだ。

「さ、お待たせしました」

 信之が皿を差し出すと、二人はわぁと歓声を上げた。
 ハンバーグはとろりとしたシチューに浸かって美味しそうな香りを立てている。試作品を味見したしのぶは、味を思い出してにやけそうになった。

 ナイフとフォークが要らないくらいに柔らかく煮込んだハンバーグは、スプーンで食べる。付け合せのざく切りフライドポテトには、つまようじ。
 子供でも簡単に食べられるようにという配慮だが、思ったよりも大人びたことを言うアードルフには少し失礼だったかもしれない。

 二人はスプーンで崩すようにハンバーグを掬い、デミグラスソースと絡めて口に運ぶ。
 次の瞬間、二人の目は大きく見開かれた。

「美味しい!」
「おいしい!」

 これほど柔らかく煮込んだ肉は、生まれて初めて食べるのだろう。
 荷崩れしないように小振りに作ったとは言え、アードルフはハンバーグ一つを二口でぺろりと平らげ、次の一個に取り掛かる。
 アンゲリカも一所懸命スプーンを使うが、ハンバーグが崩れてしまう。そこにすかさずエーファが手を添えてやるのはいかにもお姉さんらしい気遣いだ。家でもこういう団欒があるだろう。

 誰かが美味しそうに物を食べているのを見ると、不思議と幸せな気持ちになる。それが子供となればなおさらだ。
 古都の人は食べ物を食べてよく笑う。
 しのぶが居酒屋のぶを続けているのは、こういう笑顔を見るためなのかもしれなかった。

「しのぶちゃんも、どうぞ」

 差し出されたのは、アードルフが持ってきたじゃがいもを揚げたフライドポテトだ。もちろん、にんにくチップは添えていない。
 一口齧ってみると意外なほどに味が濃い。
 舌触りはメークインに似ているが、ねっちりとした食感は少し里芋を思わせる。自然と笑みの零れるような味わいだ。
 調理の仕方次第では、さらに化けるかもしれない。

「どう思う?」
「この芋、煮た方が美味しくなると思う。例えば……」
「肉じゃが?」

 しのぶはもう一口フライドポテトを齧りながら、力強く頷いた。
 エーファの家で育てているこのじゃがいもと、信之の出汁。
 これなら、かなり美味しい肉じゃがが作れるかもしれない。

 べとべとになった口の周りをエーファに拭いて貰っていたアンゲリカが、不思議そうに呟いた。

「お姉ちゃん。ここって、本当に魔女のお店なの?」

 ぱしん、という軽い音がして、アンゲリカが泣き始める。
 頭を叩いたのは、アードルフだ。

「そんなこと言っちゃ駄目だろ!」
「アードルフ!」

 そのアードルフを、今度はエーファが叱る。
 魔女の店。
 そんな風に言われているというのは、知っていた。
 常連客が笑い話として教えてくれたのだ。それも、一度や二度ではない。
 根拠もよく分からないし、これまで何とも思っていなかった。
 だが、アンゲリカのような小さな子供でも知っている噂となると、何だか妙な気分になる。

 魔女が古都に居るのではないか、という話は、もう既に事実のように語られていた。会ったことがあるという人まで現われている。
 こういう話が広まるのは、あまりよくない兆候かもしれない。

「アンゲリカ、その話って、誰から聞いたの?」
「みんな言ってるよ。居酒屋ノブは魔女の店だって」

 またアンゲリカの頭を叩こうとするアードルフの手首を、エーファがはっしと捕まえる。その様子を見るともなしに見ながら、しのぶはぼんやりと別の事を考えていた。

 この店のこと。
 古都での暮らしのこと。
 そして、魔女のこと。

 噂がどういう噂なのかはっきりとは分からないが、あまり悪いことにならなければいいのに、と思う。
 しのぶは、美味しい物をお客が食べて喜ぶところが見たいだけなのだ。
 半べそをかきそうなアンゲリカを宥めるために、冷蔵庫から食後のプリンを取り出した。

 イングリドとカミラの分は、別に分けてある。
 最近ではイングリドはアルヌとよく一緒に飲み歩くようになった。詩がクローヴィンケルに受け入れられなかったアルヌの愚痴をイングリドが聞いてやるという仲のようだ。
 古都に越して来たばかりで知り合いも少ないイングリドにとっても良い話相手なのだろう。
 昨日来た時には、イングリドの首から例の護符が掛かっていた。
 役目を負えた護符は、お役御免という事だろう。

「ごちそう様でした!」
「でした!」

 プリンの容器は洗う必要もないくらいに綺麗になっている。
 二人とも、やはり甘い物が好きなのだろう。

「シノブさん、すみません。これで足りますか?」

 申し訳なさそうにアードルフがカウンターの上で開いた袋の中には、ぎっしりと銅貨が詰め込まれていた。
 きっと小遣いや駄賃を貯めたものなのだろう。

「今日はいいのよ。お礼に来てくれた二人をお持て成ししただけだから」
「でも……」

 なおも渋るアードルフの手元から袋をそっと取り上げ、エーファがポケットに押し込んでやった。

「厚意に甘えることを知るのも必要だからね。タイショーさんとシノブさんとちゃんとお礼を言って」
「本日はどうもありがとうございます」
「ありがとう!」

 丁寧にお辞儀をする二人を見て、しのぶは信之と微笑み合う。
 穏やかな秋の日は、皆の笑顔と共にゆっくりと過ぎて行った。
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