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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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しのぶちゃんの特製ナポリタン(後篇)

 赤い。
 とても、赤い。
 麺全体が、とても、赤い。

お嬢さん(フロイライン)、これは、何かね?」

 一単語ずつ、区切って尋ねる。多少の威圧感も込めて。
 ゲーアノートが注文したのは、確かに(パスタ)料理だった筈だ。

「お客さま、これは、スパゲッティです。ナポリタン」

 給仕の女も、負けじと言い返す。それも、とびきりの笑顔で。中々いい度胸だ。
 それに気圧されたわけでもないが、ゲーアノートは自分の皿に視線を落とした。
 やはり、赤い。
 この赤は、久しく食べていない赤茄子(トマト)の赤だろう。
 だが、赤い。
 こんなに全体が赤い長細麺(スパゲッティ)というのは、ゲーアノートの育った帝国南部でさえ、見たことがない。挽き肉(ボロネーゼ)娼婦風(プッタネスカ)でも、もう少し落ち着いた色彩感覚に基づいて皿がデザインされている。

 具は、到って簡素だ。
 ピーマン、玉ねぎとベーコン。野菜の少ない帝国では、ピーマンの緑は懐かしく、有り難い。ベーコンは意外なことに貧相な薄切りではなく、しっかりとした厚切りの逸品だ。

「あ、気付きました? その厚切りベーコン、大将の晩酌用のおつまみなんです」

 なるほどとゲーアノートは頷いた。店の主人の晩酌の肴にしようという品であれば、この肉厚さも納得だ。
 とは言え、これほど贅沢な肴を付けることが出来るのだ。余裕はあるのだろう。
 奢侈(しゃし)に過ぎる生活は戒められるべきである。つまりはこれも徴税の考査対象となり得る。
 そんなことを考えながら、スパゲッティを口に運ぶ。

 甘い?
 いや、単に甘い訳ではない。
 赤茄子(トマト)の持つ甘みと酸味が上手く麺に絡まっている。
 茹で加減も、良い。
 ほんの微かに中に芯が残るか残らないかの、茹で加減。
 この給仕女、ああ見えてただ者ではあるまい。

 しかし、止まらない。
 何と言うか、味全体は子どもっぽいのだ。
 仮にも市参事会に籍を置くゲーアノートのような人間の食べるものではない。
 が、止まらない。
 この、口の中に広がる“べったりとした”美味さは、何なのだろう。

「あ、お客さん、チーズとタバスコ、使いますか?」
「チーズと…… タバスコ?」
「ええ、ここに置いておきますね」

 そう言って女給仕が置いたのは二つの容器だった。
 緑色の筒型の容器と、赤いガラス瓶。筒の方には粉に削ったチーズが入っているようだ。
 一口分取り分けた所に、粉チーズをかけて食べてみる。
 美味い。
 なるほど、この組み合わせを考えた奴は、天才だ。
 いずれ名のある料理人なのだろうが、市参事会の椅子に推薦してやっても良い。
 では、もう片方。
 確か、給仕は“タバスコ”と言っていたが。
 ゲーアノートは恐る恐る、瓶の中身をスパゲッティ・ナポリタンに振りかけた。



 生命。
 宇宙。
 全ての、答え。
 ゲーアノートはその瞬間、啓示(アポカリュプシス)を受けた。
 口の中に広がる、甘さと、酸っぱさと、辛さの調和(ハーモニー)
 混淆とした味にピーマンが苦みを、玉ねぎがまろやかさを、そして厚切りのベーコンが重厚さを与えている。

 これは、奇蹟だ。
 地上に(もたら)された、神の(アガペー)だ。
 スパゲッティの形を借りた、聖典。
 口の周りが汚れるのも構わずに、ゲーアノートはスパゲッティ・ナポリタンを貪る。
 何という出会い、何という幸せ。

 気が付けば、皿の中は空っぽになっていた。
 食べはじめた時、少しでも子どもっぽい味だと考えた自分を、恥じる。
 あれは正に、忘れていた子ども時代を思い返す為の味わいだったのだ。その為の、麺料理(パスタ)だったのだ。
 そして、あの素晴らしい味わい。
 混然一体となった味は、命の素晴らしさを、宇宙の尊さを教えてくれた。
 この空になってしまった白い皿さえもが、無情な人生の移ろいを教えているかのようだ。

「お、お客さん…… 凄い勢いで食べてましたけど、お腹、減ってたんですか?」
「ん、ああ、そういう訳じゃないんだ。いや、実に美味しいスパゲッティだったよ。お嬢さん(フロイライン)。ありがとう」

 そう言ってゲーアノートは懐から財布を取り出すと、大ぶりな金貨を一枚取り出した。

「あー 金貨ですか? ちょっと、そんなにお釣りは無いんですけど……」
「釣りは、要らないんだ」
「えっ? いや、でも……」
「じゃあ、これで失礼するよ」
「大将、待たなくていいんですか?」
「いいんだ。こんな店からは、な」

 背を向け、ゲーアノートは静かに立ち去る。
 人に恨まれる仕事は、もう辞めよう。今までの稼ぎもどこかに寄付して…… 実家に、帰るのもいいかもしれない。
 そんなことを考えながら歩く。
 心なしか、道行く人もゲーアノートの顔を見て微笑んでいるような気がする。
 こういう日は、とても気分が良いものだ。



「行っちゃった……」

 しのぶは、渡そうした紙ナプキンを引っ込めた。
 あれだけ口の周りにケチャップを付けていたら周りの人に笑われるんではないかな、と思ったが、それは心の宝石箱にしまっておくことにして。
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