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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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茶碗蒸し(後篇)

 チャワンムシを前に、エンリコは世界に満ちる声に耳を澄ませた。
 エンリコの理解では、世界は驚異と奇蹟に満ちている。
 太陽や月といった天体の運行ほど大きな問題と考えなくても、日々接する物事の総ては、神の深い愛に満ちてその振る舞いを決めているのだ。

 だから、具入りのプディングにも神の恩寵は宿っている。
 どういう順番で中から具が現われるかで、神の意志を占うのだ。
 これが、エンリコが長く厳しい修行の果てに身に付けた御業の一つだった。

 (れっき)とした卜占(ぼくせん)である。
 文字を書き連ねた羊皮紙の上に銅貨を滑らせる方法や占星術と同じく、教導聖省の古い記録にも記された方法だ。
 最近はヒュルヒテゴットの推し進める改革の所為で古い占いは時代遅れのように言われるが、大司教はエンリコの御業を高く買ってくれていた。

 木匙を手に取り、精神を一統する。
 居酒屋ノブを満たす喧騒が次第に遠ざかり、目の前にあるチャワンムシだけが段々と存在感を増していく。
 心中に思い浮かべた水面が全く凪いだとき、エンリコは問いを発する。

(……教導聖省は、どういう存在として在るべきでしょうか)

 ゆっくりとチャワンムシに木匙を差し入れると、何かの具に触った。
 これが、答えだ。
 ゆっくりと掬い上げてみると、それは白い半円状のふるふるとした薄い食べ物だった。縁が桃色に色付けされている。

「それはかまぼこです。魚の練り物なんですよ」

 集中の外から、給仕が声を掛けてきた。
 水の中に揺蕩いながら外の音を聞いている時のように、妙に(ひず)んで聞こえる。

 カマボコ。
 この半円はつまり、世界の半分を表す。
 なるほど。教導聖省は宗教の世界を占め、そのほかの事は皇帝や王に委ねるべしという古い教えの通りという訳だ。

 次の質問に移りたいが、その為には匙を空にしなければならない。
 密偵として怪しまれないために、食事をしている風を装わなければ。ただそれだけのことと思って口に運ぶ。
 だが、エンリコは思わず匙を取り落としそうになった。

 美味い。
 とろふわなめらか美味い。
 修道院で供される味気のないプディングとはまるで違う。
 カマボコも、良い。このくにくにとした食感は食べたことのないものだ。
 圧倒的に濃厚で濃密で実体を伴った味わい。こんな食べ物がこの世に存在し得たというのか。
 いや、これこそが魔女の操る魔法の一種なのかもしれない。

 勢い込んで次の一口を掬おうとするが、寸でのところで自制する。
 違う。そうではない。これは対話であり、問いかけなのだ。
 集中を乱すな。魔女の術中にはまってはならない。
 精神を落ち着けるためにも、普段からよく尋ねる質問を発する。

(神の存在とは、如何なるものなのでしょうか?)

 念じながら、匙を差し入れる。
 すると、また何かに当たった。菜っ葉のようだ。
 何だろうと思って匙をつぶさに見つめると、そこには信じられないものがあった。

「それは三つ葉ですね」

 ミツバ。三つの葉であって、同時に一つでもある。
 これは神の三態を表しているということだ。
 対話は、成っている。これならば、問題なくこの店の事を尋ねることもできるはずだ。

 しかしその為にも、一口。
 これは食べたいから食べるのではなく、匙を空けるために食べるのだ。
 決して欲望に堕したわけではない。

 ぱくり。
 口に含むとその菜っ葉がただ蒸されただけではないという事が分かる。
 先に一度下茹でをされ、味付けもされているらしい。
 そうでなければこんなに美味いわけがない。
 美味しいではなく、美味い。
 どうしてこんなに美味いのだろうか。

 エンリコの心にふとした迷いが生じる。
 次に発するのは、本当に「ここが魔女の塒か」という問いで良いのか。
 もしここが本当に魔女の塒である、という答えが得られれば、エンリコは聖職に連なる者としてこの店を即刻立ち去る必要がある。
 そうなると、チャワンムシの残りはどうなるのだろう。
 客の食べ残しとして、捨てられてしまうのではないだろうか。

 それは、いかにも惜しい。
 何とか最後までチャワンムシを食べる方法はないだろうか。
 方法は、ある。
 チャワンムシを食べる最後の一口で、問いを発するのだ。
 そうすれば、たとえここが魔女の塒であったとして、チャワンムシを食べ切ってから立ち去ることができる。

 問いを発するたびに、匙は具を見つける。
 時を作る鶏。中身ではなく、問い続けること事が大切だと示すユリネ。悠久の時を経ても連綿と種を残し続づけるというギンナン。
 どれも、問いに対して納得のいく答えの具材が導き出された。
 そして、美味い。

 気付けば茶碗の中には残り一匙分が残るばかりである。
 名残惜しいが、エンリコは最後の問いを発した。

(この店は本当に魔女の塒なのでしょうか)

 魔女の塒であれば、それを指し示す具が入っている筈だ。
 しかし、匙の上にはふるふると震えるチャワンムシの生地が載っているだけだった。

 占いの結果は、白。
 最後の一口を匙まで(ねぶ)りながら、エンリコは考える。
 本当にここは魔女の塒ではないのか。
 確かに、この和気藹々とした雰囲気を見る限りでは、ここが信仰に仇なす邪宗の園とは到底思い難い。

 元々、この店が怪しいという情報はダミアンからのものだけなのだ。
 古都に魔女が居ることは古典回帰派にとって重要だが、何もこの店がそうである必要はない。
 何より、茶碗蒸しが美味いのだ。

 占いに正確を期すために、もう一つ茶碗蒸しを頼もうか。
 そう思った時、エンリコは背後から強烈な視線を感じた。
 これは人のそれではない。
 慄きながらそっと後ろを振り返ると、そこには誰もいなかった。
 ただ、異教の祭壇が祀られているだけだ。

「お客さん、神棚がどうかしました?」

 給仕がカミダナと呼ぶ祭壇には、間違いなく何かが棲んでいる。
 邪悪なものではない。聖性を帯びた何かだが、それが何なのかはエンリコの想像の埒外だ。

「ご、御馳走さま!」

 懐から銀貨を取り出すと、エンリコは給仕に押し付けるように手渡して秋雨降り頻る古都の夜へと飛び出した。
 何が魔女の塒だ。
 あれだけ高位の聖獣、恐らくは狐か何かの精が守護する店に、魔女などが入り込めるはずがない。
 やりきれない想いと空きっ腹を抱え、エンリコは大司教への報告をどうしようかと頭を悩ませていた。
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