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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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牡蠣(前篇)

「それにしても痛快だったな」

 一杯目のトリアエズナマをベルトホルトは上機嫌に飲み干した。
 これまでなかなか尻尾を出さなかったゴロツキを十人も一度に捕まえることができたのだ。これで機嫌よく飲むなという方が難しいだろう。

「そのアルヌっていう奴にも礼の一つでも言いたいところだが」
「そういうことは喜ばない人だと思いますよ、アルヌさんは」

 笑いながらシノブがレモンを切る。
 今はまだ陽が高い。居酒屋ノブは開店準備中だが、ベルトホルトは昨日の一件の事情聴取に来て、役得の一杯で喉の渇きを潤しているところだ。
 今日はこのまま直帰する予定だから、報告書は明日で良い。
 思う存分飲めるという物だ。

「大司教が来るっていうんで大騒ぎをしたが、結局は自前で多少の護衛も連れて来たようだし、衛兵隊はまた元通りっていう訳だ」
「何の用事で古都に来たんでしょう?」
「さてね。“魔女”がどうとか言う話だったが」

 魔女、という言葉にシノブとエーファが顔を見合わせる。
 何か心当たりがあるのかもしれないが、その辺りは大司教の話だ。ベルトホルトの関わり合いになる話ではないだろう。

「魔女が古都をウロウロしているっていう噂はあるが、別に害があるわけじゃない。ウィルゲムの魔女狩りだってもう百年以上も前の話だからな。わざわざ面倒なことに大司教が首を突っ込むとも思えない」
「そ、そうですよね」
「そう言えばシノブちゃん、タイショーは?」

 新妻ヘルミーナにお代わりのトリアエズナマを注いで貰いながら尋ねると、シノブは申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「実は急に食べたくなった物があるとかで、仕入れに行ってるんですよ」
「タイショーが食べたくなった物、というのは興味があるな」

 興味があると言いながら、ベルトホルトには大凡の見当が付いている。
 ワカドリのカラアゲだ。
 きっと、良い鶏が見つかったのだろう。シノブにあれだけの量のレモンを切らせているところを見ると、今夜はカラアゲ尽くしかもしれない。
 思わずにんまりとした笑みを口元に浮かべていると、ヘルミーナに妙な顔をされたので、慌てて真面目くさった顔を作る。

「ただいま」

 裏口の方から声がしたのでそちらを覗き込んでみると、タイショーが大きな袋を提げて入ってくるところだった。
 何だか袋の方から磯の香りがする。
 ヘルミーナも同じことを思ったようで、形の良い鼻をすんすんと動かしていた。元が漁師の娘だから、香りに親しみがあるのかもしれない。

「あ、ベルトホルトさん。いらしてたんですか?」
「タイショー、今日はカラアゲ尽くしじゃないのか?」
「唐揚げ……? いえ今日はね、尽くしは尽くしでも牡蠣尽くしです」

 カキ?
 聞いたことのない食材だ。ヘルミーナと顔を見合わせるが、妻も知らないようだ。首を愛らしく小さく振った。
 タイショーが袋の中からまな板へ、中身をごとりごとりと出していく。
 それは、大振りの貝だった。

「なんだ、鉄砲貝か」
「知っているんですか、ベルトホルトさん?」
「ああ、東王国の辺りで荒稼ぎしている時には港町でよく食べたもんさ」

 シノブに応えてやりながら、ベルトホルトの記憶は遠く東王国へと羽ばたいている。
 戦場で疲れた身体に、白ワイン。そして、この鉄砲貝だ。
 ちゅるりと味わうあの濃厚な味わいを思い出しただけで、思わず口元に涎が零れそうになる。
 あれは美味い。炙っても良いが、何と言っても生が良い。

「でも、どうして鉄砲貝っていうんです?」
「そりゃあ、下手をするとズドンと(あた)るからさ」
「ああ、こっちでもそうなんですね」
「たまに死ぬ奴もいる。滅多にはいないけどな」

 ベルトホルトの昔の戦友の中には、鉄砲貝の所為で死んだ奴がいる。
 もっとも、鉄砲貝に中って死んでもまた、鉄砲貝を食うために生き返ってきそうな奴だったから、ある意味では本望なのかもしれない。

「さて、と」

 ベルトホルトはオシボリで手を清めると、期待に満ちた目で鉄砲貝を見つめた。大きさも立派だ。あれなら、さぞかし白ワインが進むだろう。


「ベルトホルトさん、もう飲み始めようっていう雰囲気ですが」
「雰囲気、ではないよ、タイショー。今からもう飲み始めようっていう決意を固めたところだ。この気持ちが身体から漏れ出ているんだろうな」
「いやしかし、この牡蠣は夜の分でして」
「固いことを言うなよ、タイショー。こんな美味そうな鉄砲貝を目の前にちらつかせられて、お預けというのはあまりに無体だ」

 うーむと考え込むタイショーにもう一押ししてやろうと椅子に座り直すと、何故かヘルミーナが袖を引く。

「ん? ヘルミーナも鉄砲貝が食べたいのか?」

 聞いても、ふるふると首を振るだけだ。
 結婚してこの方、こんな反応は見たことがない。優しく肩を抱いてどうしたのか聞いてみるが、返事はなかった。
 何か事情があるのだろうが、聞いても応えないならどうしようもない。気にはなるが、今は鉄砲貝だ。

「タイショー、何も手間のかかる料理は要らないんだ。その新鮮な鉄砲貝を二、三個、生でだな……」

 生、という言葉でまたヘルミーナが袖を引く。今度はさっきよりも強い。
 振り向いてみると、何故か薄っすらと涙まで浮かべている。

「おいヘルミーナ、どうしたんだ? 何で泣いている?」
 それでも、妻は小さく首を振りながら(まなじり)の滴を拭うだけだ。
「何か言いたいことがあるなら言ってくれ、ヘルミーナ」
 すると、普段からは考えられない程に細い声で、ヘルミーナが囁く。

「ベルトホルトさんが貝に当たって死ぬのは……嫌です」
「ヘルミーナ……」

 確かに鉄砲貝は中る。
 でもそれで死ぬというはほとんどありえない。
 ベルトホルトの知る限り、死んだのはたったの一人だ。

「心配はいらないよヘルミーナ。中っても精々が腹を壊すだけだ」
「駄目です。千が一でも万が一でも、死んじゃ嫌です……」

 周りの目も気にせずに胸に頭を押し付けてくるヘルミーナの背中を掻き懐いていると、ふとベルトホルトの頭に閃くものがあった。

「お、おい、ヘルミーナ……お前、まさか」

 目を瞑ったまま、ヘルミーナがこくりと頷く。
 まだ普段と全く変わらないお腹を撫でながら、恥ずかしそうに微笑む。

「はい。授かったみたいです」
「おおおおおおおおぉ!」

 ベルトホルトは自分の上げている声の大きさに思わず驚いた。
 自分でもなぜこれほど嬉しいのかが分からない。
 まさか、という気持ちさえある。それでも、これは事実なのだ。

 タイショーとシノブ、それにエーファが拍手してくれる。
 驚いた顔を見ると、ヘルミーナはまだ打ち明けていなかったようだ。
 口々にかけられるおめでとうの言葉が心地良い。

「ヘルミーナ、お祝いだ! 何か栄養の付くものを食べないと!」
「鉄砲貝は駄目ですよ?」
「当たり前だ! でも、今日のノブは鉄砲貝尽くしだというしな……」

 嬉しいやら慌てるやらのベルトホルトに、シノブが微笑みかける。

「中らずに食べる方法、ありますよ」
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