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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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【閑話】思いがけない訪問者(後篇)

 少し迷った末に信之が出したのは、マコガレイの煮付けだ。
 昨日手に入った物に比べればほんの少し見劣りするが、これも刺身で出しても十分に勝負できる。
 それを古都風に合せた味付けにした煮付けを、塔原に食べて貰いたい。
 盛り付けの見栄えにも十分気を使い、丁寧に一皿を仕上げる。

 出された皿をじっくりと見つめ、塔原はさり気なく香りを確かめた。
 箸を付け、一口食べる。
 そのまま瞼を閉じ、塔原はゆっくりと咀嚼した。
 永遠より少し短い時間が過ぎ、静かに目を開ける。

「……味に、迷いがあるな」

 塔原の一言が、信之の胸を刺した。
 確かに、迷いはある。だからこそ、毎日味を変えているのだ。
 そのことを一瞬で見抜かれ、膝が震えそうになる。

「だが、良い迷いだ」
「……良い迷い、ですか?」
「ああ、オレが仕込んだ味と、お前の目指す味の間で揺れ動いている。そうなんだろう?」
「はい」

 二口目を箸で摘まみながら、塔原の口元は綻んでいる。

「客の好みにどこまで合わせるのか。自分の味の根っこをどこに定めるのか。本当に正しいものは何か。オレもお前さんの時分は随分と悩んだよ」
「そうだったんですか?」
「オレも人間だぜ。生まれた時から板前やってたわけじゃない。悩みもすれば苦しみもするさ」

 意外だった。
 高校卒業から、ほとんど親代わりに信之を見てくれた塔原だ。どうしても昔からずっと今の塔原だったという気がしてしまう。

「守破離なんて言葉がある。学んで、壊して、巣立つってことだな」
「守破離、ですか」
「今のお前さんは、破だな。オレの教えという殻を、破ろうとしている。一番肝心な時だ」
「……壊して、巣立つ」
「答えはどこにも書いてないぞ。お前自身が見つけるんだ。お客さんに育てて貰いながらな」

 お客さんに育てて貰う、という言葉は、信之の胸にすとんと嵌る。
 今の自分は、お客さんに本当に喜んでもらえる料理を作っているのか。
 ただ、古都に無い材料で物珍しい料理を作っているだけではないのか。

「慢心は怖いぞ。気付かない内に腕を錆びさせるからな。まぁ、矢澤の場合はそんな心配もなかろうが」
「いえ、精進します」

 信之の返事を聞いて、うんうんと頷きながら塔原は手酌でビールを飲む。
 思わずつられて飲んでしまいそうな、良い笑顔だ。

「ところで矢澤。固い話はこれくらいにしよう」
「はい、何でしょう?」
「さっきの蛸をな、アンチョビとにんにくと鷹の爪と一緒にオリーブオイルで煮てくれんか」

 アンチョビやオリーブオイルという言葉が塔原の口から出たことに、信之はまず驚いた。ゆきつなに居た時は絶対に和食以外を食べている姿を人に見せなかった塔原だ。

「アンチョビなんて洒落たもの、うちの店にはないですよ」
「何だ矢澤、ここは居酒屋だろうが。料亭じゃないんだぞ。分かった分かった。アンチョビの代わりに塩辛でもいい。試したことはないが、多分アヒージョモドキにはなるはずだ」
「アヒージョですか?」

 名前は聞いたことがある。確かスペインのオイル煮だ。

「ワインのアテに良いんだが、ビールにも合う。さっきの蛸は少々身がしっかりしているが、その分ちゃんと味もある。にんにくと鷹の爪にも素材負けしないはずだ」
「やってみます」

 オリーブオイルはしのぶが賄いでパスタを作る時の為に備蓄してある。
 材料を切ってオリーブオイルで煮ながら味を移し、一口大に切った蛸を投入する。はじめて試すので、塩辛は少なめだ。
 すると、得も言われぬ香りが厨房に漂い始めた。

「この香り、堪らんだろう?」
「ええ、食欲をそそります」
「バゲットなんかを千切ってこれに付けて食べるとな、また格別だ」

 火が通ったタイミングで、蛸を一切れ味見してみる。
 これは、美味い。
 塩辛が少し不安だったが、確かにアンチョビのような風味になっている。
 にんにくと鷹の爪の相性も抜群だ。

「な、美味いだろう?」

 ニヤニヤと笑う塔原の前に、小皿に盛り付けた蛸のアヒージョを出す。
 ついでに冷蔵庫からもう一本瓶ビールも追加した。
 この味は、間違いなくビールが進む。

「ま、色々試してみるこったな。しのぶお嬢さんにも相談しながら」
「しのぶちゃ……お嬢さんにですか?」
「おいおい、しのぶちゃんって……まぁ、いい。あのお嬢さんはな、ああ見えて先々代譲りの舌の持ち主だ。宝の持ち腐れにするなよ」
「は、はい」

 そう言えば確かに、しのぶの味覚は鋭い。
 味見をして貰うようにすれば、古都に合わせた味の研究も、今よりずっと捗るのではないか。

「今日は色々ありがとうございます」
「何、良いってことよ。若社長も大女将も、まぁ、ああ見えて心配してたんだ。元気そうな顔を見られて安心したよ」
「しのぶお嬢さんには会って行かれないんですか?」
「オレは会って行きたいが、お嬢さんに里心が付くと何かとな」
「ああ……」

 ゆきつなの危機は、去っていない。
 今しのぶが店に戻れば、また問題は再燃するだろう。
 そんなことは、誰も望んでいなくとも。

「さて、今日は邪魔したな」
「またのお越しを、お待ちしております」

 深々と下げた信之の頭を、塔原がくしゃくしゃと撫でる。

「次は、巣立った後の矢澤信之の料理を食べさせて貰うからな」
「はい!」

 裏口から去っていく塔原の後ろ姿を見送りながら、信之はもう新しい料理の味付けを考え始めていた。
 必ず、自分の味を作る。そして、塔原を唸らせるのだ。
 塔原が角を曲がり、小さな背中が見えなくなったところでちょうど入れ替わりに、しのぶがやって来た。

「あ、大将。何か試作したでしょう。美味しそうな匂いがするんだけど」
「ちょっと、ラインホルトさんの蛸でアヒージョを試してみてたんだ」
「アヒージョ? スペイン料理の? 珍しい。それで、私にも食べさせてくれるんでしょ?」

 振り返ってカウンターを見てみると、塔原は綺麗に全部食べ終えている。
 フライパンの中の蛸も、味見と称して信之が全部食べ尽くしていた。
 それだけ、美味しかったのだ。

「あ、えっと。でもほら、プリンがあるから……」
「こんな美味しそうな匂いがするのに食べられないなんて!」
「ご、ごめん……なさい?」

 結局、信之はしのぶの為にアヒージョをもう一度作ることになり、匂いを嗅ぎ付けたエトヴィン助祭にも供することになるのであった。
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