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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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北方三領邦会議之顛末(後篇)

 会議は大方の予想通り波乱の幕開けとなった。
 三領邦の代表は最初から帝国への帰属を誓約するつもりなど毛頭なく、会議を単なる時間稼ぎの場としか見ていない。
 帝国と事を構えるにはまだ準備が必要だったし、できれば戦争に適した農閑期まで開戦を引き延ばしたいという態度は明らかだった。

「話し合いは何も進まないまま、会食にもつれ込んだ」
「ゲーアノートさんもその場にいたんですか?」
「市参事会員も会食には招かれていたからな。私もその場にいた」
「どんな料理が並んでたんです?」

 興味津々といったシノブに、ゲーアノートは少し残念そうな表情をしてみせる。事実、あの場にいた帝国側の人間は随分とがっかりしたようだ。

「それが、ごく普通の料理だった。大麦の混じったパンとか塩漬けの魚を炙ったものだとか、骨の付いた肉といったものだ。じゃがいもだけはたっぷりあった」
「会食ではもっと豪華なご飯が出るんじゃないんですか?」
「普通はそうだ。特に今回の会食のホストは、何を隠そう先帝陛下だったからな。列席者はどんな豪勢な食事にありつけるかと期待していたが……」
「期待外れだった、と」
「そういうことだな」

 水運ギルドのエレオノーラなど結局どの皿にも手を付けなかったのではないだろうか。他の参事会員もしぶしぶ食べているという様子だった。

「そんな料理じゃ北方三領邦から来た人は怒ったんじゃないんですか?」
「それが、違っていた。会議の時はあれだけ頑なだった代表団が、この会食ではごく当たり前のように打ち解けて、談笑までしはじめた」
「えっ」
「先帝陛下だよ。全てはあの御方のお陰だ」

 会食での食事を先帝が手掴みで食べ始めた時、帝国側の列席者は度肝を抜かれた。そんなことは北方の蛮族の流儀だと思っていたのだ。
 だが、その席の最上位者である先帝のしたことだ。他の者もそれに倣うしかない。

「じゃあ、会食が北方流に合わせて行われたっていうことなんですか?」
「そうだ。それを見て向こうの代表団も気を許したらしい」

 ゲーアノートにしてみても、なかなか面白い体験だった。
 平たく固く焼いたパンを皿代わりにして、その上でものを食べる。汁が染みて柔らかくなったところで、パンを千切って食べるのだ。

「会議の席では帝国から離脱しないための条件など何も言わなかったのが、会食の席では色々と言い始めた」
「良かったじゃないですか」
「それがそうでもない」

 先帝の策は当たった。
 これまで帝国中央から蛮族と馬鹿にされ続けて来たことに腹を立てていた北方三領邦を交渉の席に着けることには成功したのだ。
 だが、それは同時に相手に足元を見られることにもなった。

「北方の連中は帝国のことを老いた豚と侮っているからな。条件も随分と厳しいものだった。そのまま飲めば、帝国は東王国や連合王国から笑いものにされかねない」
「ナメられちゃったわけですね」
「まぁ、そういうことだ」

 相槌を打つシノブの後ろから、タイショーがぬっと顔を出す。

「話が盛り上がってるところに申し訳ないが、ナポリタン上がったよ」
「おぉ、これだこれ! タバスコと粉チーズも頼む!」
「……ゲーアノートさん、詳しいね」

 当たり前だ。このパスタとの再会を何度夢に見たことか。
 美食家として知られる自分がまさか賄いに執心しているなどとは言い出せずここまで我慢してきたが、何でも礼をすると言われたのだ。誰に憚ることがあるだろう。

 美味い!
 一口含んだ瞬間、あまりの美味さに席を立って叫び出しそうになる。そうしなかったのはゲーアノートの市参事会員としての矜持のお陰だ。
 シノブの作った物とはやはり少し違うが、ナポリタンの美味さはやはり至高だった。究極と言い換えてもいい。

 口の周りが汚れるのも気にせずに、貪るように食べる。
 ああ、こんなことなら二人前、いや三人前頼んでおくべきだったか。
 しかし、この天上の食べ物を、ただ腹を膨らませることに使うのはどうにも浅ましい気もしてくる。

 僅かに足りないくらいで止めておくべきなのではないか。
 ナポリタンに対する渇望こそが明日を生きる活力になる。今のゲーアノートにはそうとさえ思えてくるのだ。

 この数カ月の間、来る日も来る日もナポリタンの代替品を求めて試行錯誤を繰り返した。ウナギ弁当に逃げ道を求めたこともある。
 しかし、違うのだ。どれほど追い求めても、ナポリタンに匹敵する食べ物に行き当たらない。
 だから、バッケスホーフ事件に関わることになった時には心の中で思わず小踊りしそうになった。
 これなら合法的に何の不自然さもなくナポリタンを食べることができる。
 解決のためにいけすかない造酒正にも何度も手紙を送ったのも、何の苦にもならない。全てはナポリタンのためなのだ。

 あっという間に平らげてしまって、ゲーアノートは恐ろしい寂寥感に襲われた。至福の邂逅は終わり、後には空になった皿が残るばかり。
 恐ろしいことに、第二第三のバッケスホーフが出てくれないかと望んでしまっている自分を発見して、ゲーアノートは恐ろしくなった。

「あー、ゲーアノートさん。そんなにナポリタンがお好きなら、いつでもお作りしますよ?」
「ほ、本当かタイショーさん!」
「え、ええ。あんまり忙しい時は無理ですけど」
「嘘ではないな、徴税請負人に嘘を吐いても何の得にもならないからな?」
「嘘じゃないですよ、はい」

 そこまで言ってしまってからゲーアノートは辺りを見回し、小さく咳ばらいをした。

「ま、まぁ、このナポリタンはなかなか美味だからな。ノブの方からどうしてもというなら、時々頼むことにしよう」

 少し言い訳じみた申し開きをしていると、エーファがそっとハンカチを差し出してきた。

「ゲーアノートさん、口の周りが汚れていますよ」
「ああ、ありがとう。君は気が利くね」
「いえ、そんな。それで、会議はどうなったんですか?」

 エーファに促され、ゲーアノートは話を元に戻す。

「三領邦の代表が出した条件はかなり酷いものだった。帝国は毎年三領邦に対して辺境防衛を請負う正統な対価を金貨で支払え、などという条件に頷けるはずもない」
「そういうのは面子の問題ですもんね」

 シノブが訳知り顔でうんうんと頷く。こう見えてこの娘は意外と世間のことが見えているのかもしれない。

「せっかく打ち解けかけた会食もそれで終わりかと思われた時、先帝の合図でメインの肉料理が運ばれてきた」
「肉料理ですか」
「ああ、仔牛の丸焼きだ」

 北方の古い伝統に、盟主が牛を切り分けて振る舞うというものがある。
 切り分け方の多い少ないで同盟の中における地位が明らかになるので、誇り高い北方の戦士たちにとっては重要な儀式だという。

「先帝はそこまで北方に合わせて見せたということですか?」
「私もそう思った。北方の代表者もそう思ったのだろうな。ところがそこで思わぬ事故が起こった」
「事故?」
「仔牛があまりに立派だったので、運び手が途中で落としてしまったのだ」
「もったいない……」
「誰もが惜しむような仔牛だったからな。敵対している筈の三領邦の代表からも溜息が漏れたほどだ。ところが」
「ところが?」
「先帝の合図で、仔牛がもう一頭出てきたのだ」

 あれには会食の場にいた全員が驚いた。
 前の仔牛も立派だが、今度の仔牛は更に立派だったのだ。
 後から考えれば仕組まれた演出なのだろうが、あの場ではその見事さに誰も何も言えなかった。

「その仔牛を先帝が切り分けると、北方三領邦はすっかり大人しくなった。侮っていた帝国の底知れぬ財力に驚かされたという感じだったな」

 この話にシノブやタイショーは驚くかと思っていたのだが、どうにも反応が鈍い。見れば、何故か二人ともエーファの方を見ている。

「凄いとは思わないか? 先帝陛下の機転によって、北方三領邦が帝国から離脱する危機はひとまず脱したのだ」
「え、ええ、凄いと、思います」

 引き攣った笑みを浮かべるエーファの視線は何故か、ゲーアノートの手元のハンカチに注がれていた。

「このハンカチがどうかしたのかね。随分と上等な絹を使っているようだ、が……」

 瞬間、ゲーアノートの表情が凍りつく。
 ハンカチは正絹で織られた純白の物だが、四隅に紋章の刺繍があった。

「さ、“三頭竜に鷹の爪”の紋章……」

 この紋章を使うことが許されているのは、大陸の全王侯貴族の中でもたった一人。誇り高き鷹の家から三頭竜の帝室に婿養子に入った人物。

「せ、先帝陛下の紋章……」

 先帝の紋章が入ったハンカチで、口を拭った。
 余人には真似できない得難い経験だが、今回の一件で帝室への尊崇の念を新たにしたゲーアノートにとっては卒倒しそうな出来事だ。

「え、エーファ、殿。このハンカチは洗って返す! 必ず返す!」
「ど、殿ですか? あ、はい、返して頂けるのなら……」

 思わず財布ごと支払いに渡し、ゲーアノートは飛び出すように居酒屋を後にした。思えばこの妙なタイミングでラガーが解禁になったのも、ノブに関わりがあるのではないか。

「お、恐ろしい店だ」

 この店からは絶対に無理な税金の取り立てはしないでおこう。
 そう心に誓うゲーアノートであった。
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