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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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北方三領邦会議之顛末(前篇)

 ゲーアノートは暖簾をくぐるなり、トリアエズナマを頼んだ。
 ラガー事件のあと、紛らわしいからとトリアエズナマを一時封印するように釘を刺した。その当の本人が、だ。
 驚くシノブとタイショーに、いつも通りの渋面で教えてやる。

「ラガーは今日付けで流通を許可されることになった」
「そうなんですか!」
「帝国全土、どこでラガーを飲んでも罰せられることはもうない。もちろん、私はここのトリアエズナマがラガーではないと信じているがね」

 元々が三十年で効力を失うはずだった法律だ。
 それが今も適用され続けて来たこと自体に問題があるとゲーアノートは思っていた。

 もちろん、悪法であっても違反者がいれば課徴金をたんまり召し上げる。それがゲーアノートの仕事であり、生き甲斐でもあった。
 事実、バッケスホーフは個人資産のほとんどを市参事会に取り上げられ、商会の方も傾きかけている。

 ダミアンというバッケスホーフの付き人の行方は分からないが、ゲーアノートはあまり大きな問題だとは考えていない。雑魚が一匹逃げたところで大したことではない。
 税が収められ、古都は潤う。素晴らしいことではないか。

 今日のオトーシは小アジのナンバンヅケだという。
 酸味と甘味、そして微かに加えられている辛味の調和が実に素晴らしい。
 だが、よく肥えたゲーアノートの舌はこの料理が僅かに漬け過ぎていることを敏感に感じ取っていた。
 もしこれが数日前の漬かり具合だったなら、王侯貴族でさえ唸らざるを得ない絶妙な味わいになっていただろう。

「それにしてもゲーアノートさん、ありがとうございました」
「バッケスホーフの一件か? 礼を言われるようなことではない。私は徴税請負人としてなすべきことをしたまでだ」

 そうは言いながらも、バッケスホーフに全く腹が立っていなかったと言えば嘘になる。
 あの男は自分の商会で雇用している人間を何かにつけて庇い立てして、税の取り立てを阻害するような真似をしてきたのだ。

 市参事会でも商業ギルドの取引に関する課税には真っ向から反対し、陰謀の限りを尽くして税額を低く抑えてきた。その裏では禁制品の密輸に手を染めて私腹を肥やしていた。許し難い所業である。

 今回の一件はバッケスホーフが自分から仕掛けたことだから、自業自得としか言いようがない。相手が単なる街の薄汚い居酒屋だと甘く見ていたのが裏目に出たのだ。
 それを見逃すゲーアノートではない。

「ただまぁ、礼がしたいと言うのを無碍に断るのも市参事会に名を連ねる者として大人気ないかもしれんな」
「何ですか、うちの店でできることなら何でもしますよ!」

 シノブの言葉に思わずゲーアノートの喉が鳴る。

「何でも、と言ったな」
「は、はい、言いました…… けど……」
「では、一つ頼みたいことがある」

 気迫に押されたのかシノブが後退るが、気にしない。
 今日のこの日をどれだけ待ち侘びたか。

「……ナポリタンを、作って欲しい」
「えっ?」
「えっ?」
「えっ?」

 シノブだけではなく、タイショーやエーファも目を丸くしている。
 だが、どうもシノブだけは驚きの理由が違うようだ。

「どうした、何でも礼をするのではなかったのか。このゲーアノート、あの日食べたナポリタンが忘れられずに」
「わーわーわー!」

 腕を振って必死に声を上げるシノブをタイショーとエーファが不思議そうに見つめる。あれだけの料理を作れるのに、一体何を恥ずかしがることがあるというのか。
 美食家として少しは名を知られているゲーアノートだが、あれを越えるパスタを古都で食べたことがない。

「しのぶちゃん、ナポリタンくらいなら俺がすぐに作るけど?」

 訝しげに尋ねるタイショーに、シノブが観念したように助言を加える。

「あ、いや、はい、えっと、ベーコンは良い奴を使ってあげて下さい」

 シノブがベーコンという言葉を出すと、タイショーの目が細くなった。
 怒りを抑えているかのような表情だ。

「……良いベーコン、ね。そう言えば俺の晩酌用のベーコンがときどき減ってるんだけど、しのぶちゃん何か知らないよねぇ?」
「あ、あははは…… それについてはいずれ後ほど」

 そう。あのベーコンは美味かった。
 あの奇蹟が混然一体となったようなナポリタンがもう二度と食べられなくなるかもしれないと思うと、バッケスホーフの追い落としに熱が入ったというのは否定しきれない。

 動きの鈍い造酒正に何度も催促の手紙を送り、随分と煙たがられたことだろう。結果としては三十七樽もの密輸が発覚したので逆に感謝状まで送られたのだから、何がどう転ぶか分からないものだ。

「そう言えば例の会議ってどうなったんですか?」

 スパゲッティが茹で上がるのを待つ間、シノブが話を振って来た。
 関心事はやはり北方三領邦との会議のことだ。店の客もこちらの会話に耳をそばだてているような気配がある。

 二日前に終わったばかりの会議の内容については特に箝口令が敷かれているわけでもないのだが、まだ話が表に広まっていない。
 従来ならこういう時にバッケスホーフとその取り巻きが根も葉もない噂を交えて吹聴して回るのだが、その手の連中は例の事件の後は随分と大人しくなってしまった。
 そういうわけで、まだ多くの人はあの事件のことを知らないのだ。

「ああ、一昨日の会議は凄かったぞ。あれは歴史に残るに違いない」
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