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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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トリアエズナマの秘密(参)

 前日の夕方に届いた市参事会からの通達に従い、居酒屋のぶは朝から出迎えの準備を整えた。
 通達の手紙は随分と凝ったもので、融かした蝋で封筒に封緘が施されており、中に入っている羊皮紙も上等のものだ。
 末尾にはバッケスホーフとゲーアノートの署名が並び、これが正式の効力を持った文章であることを示している。

「内容は何も書いてなかったな」

 呟くように信之がこぼす。
 今日はエーファもヘルミーナも呼んでいない。
 綺麗に掃除した店の前に、しのぶと信之は二人で並んでいる。
 何かあった時、二人だけならどうとでもできるだろうという考えからだ。

「そこが不思議と言えば不思議ね」
「逃走防止か?」

 その線は十分にあり得るとしのぶも思っている。
 信之の方は崖に逃げて犯罪を自供する犯人の姿でも思い浮かべているのかもしれないが

「罪状読み上げてそのまま捕まるのかな」
「嫌だなぁ」
「炙るのはベーコンだけにして欲しいね」

 ニコラウスの話によれば、ラガー密輸の最高刑は死刑。
 それも、火焙りだという。
 もっともそこまでの刑に処されるのはラガーの製法を漏らしたり、国外に大規模な密輸を企てたりした罪人に限られる。
 しのぶと信之が捕まるとすれば、課徴金と禁錮刑辺りではないかというのがニコラウスの予想だった。

「む、おいでなすったか」

 信之が目を細める。
 馬車を牽く馬の蹄の音が段々と店に近付いてきた。
 嵐の晩に来た馬車と同じかどうかは分からないが、屋根つきの立派な馬車で、市参事会の紋章が刻まれている。
 二頭立ての馬車はゆっくりと速度落とすと、店の前に静かに停まった。

「逃げずに待っていたとは、なかなか殊勝じゃないか」

 最初に悪態を吐きながらダミアンが降りてくる。後に続くのはゲーアノートとバッケスホーフの二人だ。衛兵の類いは連れていないらしい。
 しのぶはゲーアノートの目を見ようとしたが、巧みに視線を逸らされてしまった。ただ、表情は険しい。

「ま、店の前でというのも何なので」

 信之が硝子戸を開けると全員がそれに続く。
 店の中の空気は今までに感じたことがないほどに張り詰めていて、少し息苦しい。
 しのぶはお茶でも用意しようと思ったが、ゲーアノートに目と咳払いで制された。利益供与にでも当たるのだろうか。

「さて、はじめましょうか」

 バッケスホーフの一言で皆がテーブルに着く。
 四人掛けのテーブルの、入り口側にバッケスホーフとゲーアノート、奥側にしのぶと信之が掛けた。ダミアンは硝子戸の前に位置を取っているところを見ると、逃走防止のつもりなのかもしれない。

 ゲーアノートが小脇に抱えていた鞄から分厚い羊皮紙の束を取り出す。
 これが、禁制品であるラガーについての調査記録なのだろう。しのぶの側から覗く限りでは几帳面そうな文字が並んでいることしか分からない。

「さ、ゲーアノート君、手早く始めてしまいましょう。午後からは市参事会の会合がありますからね」
「そう致しましょうか。今日の会合は決めねばならないことがたくさんあるはずですから」
「ああ、そうですね。例の会議も近い。古都の名誉にかけて、何としても会議はつつがなく進行しなければなりませんから」

 会議というのは、北方三領邦についての会議のことだろう。
 要人の集まる会議が古都で開かれるのは、ここが比較的中立的な都市だと見做されているからだとエトヴィン助祭が言っていた。

「大事な会議の前に古都で禁制品の扱いがあるなどと分かっては問題ですからね。バッケスホーフの名に賭けて、事前に身綺麗にしておかないと」
「全く議長の仰る通りだとこのゲーアノートも思います」

 ゲーアノートの態度を見ると、完全に向こう側なのだろう。
 徴税請負人という仕事からしてこうなることは分かっていたのだが、少しだけしのぶは寂しさを感じていた。

「では、調査の内容と結果をお伝えいたします」

 テーブルの上に滑らされた一枚の羊皮紙にはびっしりと細かな文字が記されている。帝国公用語を少ししか覚えていないしのぶには何が書いてあるのかさっぱり分からない。

「これは、帝都の造酒正から取り寄せた資料です。調査に時間がかかったのはラガーに関する一切の権限が集中する造酒正との連絡のやり取りを行っていたからです」

 “みきのかみ”というのは造酒に関わる官職だろうか。ゲーアノートの口調からすると、かなり大きな力を持った役所のようだ。

「造酒正ですか、なるほど。しかし如何に厳しい監視の目があってもそこを潜り抜けることは有り得るのではありませんか?」
「その可能性もあり、今回は徹底的な調査を依頼致しました。結果、ラガーがかなりの量、密輸されていることが分かったのです」
「やはり、そうでしたか」

 雲行きは怪しい。
 その密輸されたラガーが実際に居酒屋のぶで売られていたわけではなくとも、罪を被せられてしまうのだろう。信之も項垂れたままだ。

「今回の一件で造酒正はひどくお怒りになり、造酒司の全職員を挙げての調査を実施しました。その結果がこれです」
「ご苦労なことですね。しかし我々にとってはありがたい。造酒司の調査で不正が分かれば手間が省けるというものです」

 差し出された羊皮紙を手に取ったバッケスホーフだったが、内容を読み進めていく内に顔色が変わった。

「……ゲーアノート君、これはどういうことでしょうか。先程あなたは、かなりの量が密輸されたと確かに言っていましたよね?」
「確かに申し上げました」
「では、この密輸総量が三十七樽というのはどういうことです!」
「絶対に流通してはならないラガーが三十七樽、外に漏れたのです。これはかなりの量と言わざるを得ません」

 三十七樽と言えば確かにかなりの量だが、絶対量としては少ない。

「しかも、その中で三十樽の行方は分かっている、と?」
「はい。東王国摂政が祝宴のために密かに買い付けていたようですね。許し難いことです」
「……しかし、残りの七樽の行方は分からないのでしょう? ではそれがこの居酒屋で販売されていたということでは?」

 バッケスホーフの言葉にゲーアノートは小さく首を横に振る。

「この居酒屋ノブが古都に店を構えて半年です。その間にラガーが販売されていたとすれば、七樽で済むはずがない。そうは思いませんか?」
「混ぜ物だ! エールとラガーを混ぜていた。そうに違いありませんよ!」
「なるほど、そういう手口もあり得ますね。しかし、それも不可能です」

 続いて手渡された羊皮紙を見て、バッケスホーフの顔は怒りの赤を通り越してどす黒くなっていった。

「密輸された残りの七樽の内、六つは帝国の南に運ばれて国境を越えたことまでは分かっているのです。恐らくは聖王国へ流れたのでしょう。一度国境を越えたラガーを再び帝都に戻すのは不自然です」
「だ、だが、ゲーアノート君。後一樽、一樽残っているではありませんか」
「はい。ですが、たった一樽です。この一樽を先程仰ったように混ぜ物として使ったとして…… バッケスホーフさんが飲んで分かるほどにラガーの味わいが残るのでしょうか?」
「うぐ」

 ゲーアノートは、のぶの味方だ。
 しのぶは一瞬でも彼を疑った自分が恥ずかしくなった。
 視線の先でバッケスホーフの表情が歪んでいく。この店を手に入れる目論見が崩れただけでなく、市参事会を動かしたことで大恥を書いたというところだろう。

「……ところでバッケスホーフさん。一つ聞きたいことがあるのですよ」
「なんだね、ゲーアノート君。つまらない質問に答えるつもりはないよ」
「つまらない質問ではありません。非常に重要な質問です。……どうして貴方はラガーの味をご存知だったんですか?」

 瞬間、バッケスホーフの表情が凍りついた。

「いや、それはですね、私がまだ帝都にいた時にさる貴族の祝宴に招かれまして、その席で出たラガーの味が……」
「それは何年何月のどなたの祝宴でしょうか? 帝室はじめ一部の方しか飲むことのできないラガーを供していたとなると、その貴族の方も重大な違反をしていた可能性が出てきます」
「あ、いや、違います。その、それです。ええっと」

 ゲーアノートは一つ咳払いをすると、もう一枚の羊皮紙を取り出した。

「実はもう一樽の行方も大まかながら分かっているのです。古都です」
「ああ、なんだ。それなら万事解決ではないですか。その一樽はやはりこの居酒屋に……」
「さて、それはどうでしょうかね」

 その時突然、バッケスホーフが席から立ち上がった。

「そうです! そこのお嬢さん、ジョッキを持って来て下さい。ゲーアノートさんにもアレを出すのです。トリアエズナマを。そうすれば全てはっきりするはずです」
「ああ、それは遠慮させて頂きますよ」

 断るゲーアノートの襟首を捕まえ、バッケスホーフがほとんど絶叫に近い声で詰問する。

「どうしてですか! 飲めば分かります!」
「どうしてですか? 飲んでも分かりませんよ。私はこれまでの人生で禁制品のラガーを一滴たりとも呑んだことがないのですから。それに……」
「それに?」
「今は勤務中です」

 襟元を直しながら答えるゲーアノートに、バッケスホーフがくたりと椅子に腰を下ろした。

「バッケスホーフさん、最後まで聞いてください。大まかに言うとバッケスホーフ商会に納入された、ということは分かっているのです。分かっていないのは、誰の口に入ったのかということだけです」

 バッケスホーフは蒼白になった顔で天井を仰いだ。
 しのぶには目の前で何が起こっているのかさっぱり理解できない。
 辛うじて分かったのはラガーを密輸していたのがどうやらバッケスホーフだったらしいということだけだ。

 その時、不意に硝子戸が引き開けられる音がした。

「ダミアン!」

 バッケスホーフの叫びにしのぶも硝子戸の方を見るが、ダミアンの姿がない。主を置いて逃げ出したようだ。
 しかしゲーアノートは落ち着き払っている。

「雑魚は放っておきましょう。すいませんがタイショーさん、衛兵の詰所に行って人を手配して来てくれませんか。禁輸の品を取り扱った罪人を連れて行かねばなりませんから」

 信之は頷くと立ち上がって外に走って行った。

「さぁ、今日は忙しくなりますよ。会合では決めねばならないことがたくさんありますから。バッケスホーフ議長の後任も含めて、ね」
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