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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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若鶏の唐揚げ(前篇)

 古都の冬は寒い。
 雪こそあまり降らないが、北風の冷たさは身を刺すようだ。

「こんな日は、酒でも呑むに限る」

 訓練を終えた衛兵隊を解散させながら中隊長のベルトホルトは呟いた。
 今日は、少し部下をしごき過ぎたかも知れない。城壁を出て、荷を担いだままで森まで駆けさせる。それだけなら毎日のように繰り返しているが、今日は実戦さながらの模擬戦を、二度三度とさせたのだ。

 他の隊なら、ありえない。ベルトホルト中隊はとかく訓練が厳しいことで知られている。
 走る距離が、長い。
 武器の習熟などに重きを置く他の中隊長たちから陰で嗤われているのは知っていた。
 それでも駆けさせるのは、傭兵出身のベルトホルトの信条から来ている。
 兵は、走るもの。
 走ることの出来る距離が長ければ長いほど、生き残ることの出来る可能性が上がるのだ。

「……それに、走った後のエールは旨いからな」

 兵たちの間で噂になっている店がある、というのは聞いていた。
 が、場所まではベルトホルトは知らない。

「それで自分が選ばれた、と」
「光栄に思えよ、ハンス。中隊長とサシで呑める機会なんぞ、そうそう無いからな」

 訓練でちょっとした不手際をやらかしたハンスを訓告の名目で連れ出したのは、噂の店の在り処を聞き出す為だった。
 それがどういう訳か、連れ立って呑みに行くということになっている。

「部下との親交を深める。ま、たまにはこういう趣向も悪くない」

 ハンスに連れられて進んでいくと、古都の外れ、<馬丁宿>通りにまでやって来た。
 この辺りは商人に使われている馬丁相手の宿が軒を連ねていて、夕暮れ時でも人が多い。

「さ、着きましたよ、中隊長殿」
「今晩は無礼講だ。そんな堅苦しい呼び方はするなよ」
「じゃあ、ベルトホルトさん。さっさと入りましょう」

 店に入るとハンスは慣れた様子で“トリアエズナマ”というエールを二人分、頼む。
 注文しながら給仕係の黒髪の女を目で追っているのを見ると、どうにも微笑ましい。
 出てきた黄金色の美味なエールで喉を潤しながら、ベルトホルトは店内を見渡した。
 壁には到る処にお品書きと思しきものが貼られているのだが、ただの一つも読めない。ハンスに倣って食べるオトーシという豆も実に美味いのだが、どうにも居心地が悪いのは、自分で好き勝手に注文出来ないからだろう。

「タイショー、スルメ!」

 ハンスは早速、なんだかよく分からないものを勝手に頼み始めた。
 タイショー、と呼ばれたマスターの手元を覗いてみると、どこかで見た記憶のあるものを炙っている。

「タイショー、それはまさか……」
「干したスルメイカのゲソです。イケますよ?」

 イカ。
 その言葉を聞いた瞬間、ベルトホルトの背筋を冷たいものが走った。
 左腕の古傷が不意に痛み始める。

「ああ、オレは他のものを貰おうか」
「へぇ、では何にしましょうかね?」
「何が出来るんだ、この店は。済まんがここの品書きはどれもこれもオレには読めん」
「ああ、すいませんね。その内書き直そうと思ってはいるんですが。何でも言ってみて下さい。大抵のものは作れると思いますよ」

 そう言って微笑むタイショーの顔には、どんな挑戦でも受けるという強い意志が感じられた。いいだろう、では、勝負だとベルトホルトは思案する。
 このエールは、確かに美味い。
 エールにあまり合いそうもないもので、エールに合う料理を作らせる、というのはどうだろうか。中々面白い気がする。
 かと言って、あまり淡白なものが出て来ても、困るのだ。
 ベルトホルトも腹が減っている。しっかりと腹にたまるもので、エールにあまり合わないようなもの。

「……タイショー。オレは、鶏肉が好きなんだ」
「はい、鶏肉ね」
「鶏肉で、この“トリアエズナマ”にぴったりな料理を頼むよ」
「……なるほど、分かりました」

 タイショーは特に悩んだ風もなく、調理を始める。
 だが、ベルトホルトは知っていた。これは、とんでもない無理難題だ。

 古都に出回る肉の種類は、六種類。
 豚、羊、兎、牛、馬、鶏だ。
 一番人気があって手に入りやすいのが豚だ。羊と兎も、美味い。
 問題は牛と馬、鶏で、これは本来の用途に適さなくなった家畜を潰した時にのみ出回る。牛や馬は乗り物であり、農具であり、財産だ。なかなか出回らない。
 そして、鶏。
 卵を産まなくなった廃鶏の肉が、市場には並んでいる。が、肉が硬い。
 胸肉も腿肉も、年老いた鶏の肉は、硬くて不味いのが相場だ。それを果たしてこの店では、どう料理するのか。

「ああ、待ってる間、これでも食べておいて下さい。サービスです」

 そう言って給仕係の女が差し出したのは、輪切りにしたキュウリだった。

「キュウリを、そのままでか?」
「しっかり漬かっていますから、美味しいですよ?」

 ツカッている、というのがどういう状態かベルトホルトにはよく分からないが、そのままつまむことにする。

 しょっぱい。
 いや、美味い。
 なんだ、この味わいは。
 シャっきりとした触感と、程よい塩気。
 いや、塩味だけではない。うまく説明できないが、手が、止まらない。
 キュウリ、エール、キュウリ、エール、エール、キュウリ、エール……

「……済まぬ、同じものをもう一皿くれぬか?」
「はい、キュウリの一本漬けお待ち!」

 今度は焦らず、ゆっくりと食べる。
 恐ろしい。たかが、キュウリだ。それが、この店で食べるとどうしてこうも美味いのか。

「ね、ベルトホルトさん、良い店でしょ?」
「ん? ああ。だが、肝心の鶏肉料理がまだだからな」

 タイショーは一口大に切った鶏肉を何かの汁に漬け込み、揉んでいる。
 一体、どんな料理が出て来るのか。



「あ、しまった」

 カウンターの中の鉄製の箱の中を見ていたタイショーが、思い出したように呟く。

「何か足りません?」給仕の女が尋ねる。
「ああ、ピクルス切らしててな…… 悪いけどしのぶちゃん、ちょっと買ってきてくれる?」
「ピクルスなんて何に使うんです?」
「いや、お客さんの料理には関係ないんだ。でも、後で使う」
「よく分かりませんけど…… そもそも、売ってるんですか? この時間に」
「いや、らっきょうで良いんだ。アレでも美味い。そこの百円スーパーで売ってたはずだ」

 ラッキョウ?
 ヒャクエンスーパー?
 ベルトホルトには分からない言葉ばかりだ。
 タイショーは何を言っているのだろうか。

 エプロンを外して出掛けようとする給仕の女、シノブをハンスが制止する。

「こんな時間に女が一人で出歩くなんて危険だ。オレも一緒に着いてい行くよ」
「ああ、良いんですよお客さん。キュウリでも食べて待ってて下さい。すぐそこなんで」

 そう言って制止をやんわりと押し退けて、シノブが裏口から出ていく。
 一瞬ベルトホルトに見えた外の風景は、何だかとても明るかった。
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