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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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仁義なき蒲焼き(後篇)

 シノブが夕市で仕入れて来たウナギは桶一杯の量があった。
 賄いでこれほどの量を仕入れる必要はないとローレンツは思うのだが、そう聞いてもシノブは不敵に笑うだけである。

 タイショーも怒らないところを見ると、本当にウナギが好きなんだろう。
 それにしてもこれは買い過ぎだ。ゼリー寄せにしたら来週までかかっても食べきれない量になるだろう。

「ローレンツさんも食べたくなったら注文して下さいね」
「おいおい、よしてくれよ。俺にはこの炙りベーコンちゃんがいるんだ。これさえあればエールが何杯でもいける」

 八杯目のエールを注文し、喉を潤す。
 後ろのテーブルの議論に耳を傾けるつもりは、ローレンツにはもうない。
 どうせ解決しないからこの仕事が回って来たという気配もある。
 本当に市参事会の仕切りで解決するつもりがあるなら、元々遍歴職人だった外様のローレンツよりも適任者はもっと他にいるはずだ。


 それでもローレンツに押し付けたということは、議論をさせたという実績だけが欲しいのだ。市参事会はこの問題を仲裁する意思はあったと示すことができる。
 後は誰かが貧乏くじを引き、ラインホルトに金を貸す。

 出処はどこであれゴドハルトは金を手に入れられるし、エレオノーラは一応仲介の労を取ったことになる。
 つまりここで行なわれている議論は全くの無駄だが、必要な無駄だということだ。大声で怒鳴れば縄張りを荒らされたゴドハルトの気が少しでも晴れるだろう。その程度の意味しかない。
 無駄と分かっている無駄に付き合わされるというのは、ローレンツにとってはいい迷惑だった。

「さて、それでは始めますかね」

 タイショーが常になく気合いを入れ直し、桶からウナギを取り出す。
 細く尖った錐のようなものでウナギの頭を固定すると、あっという間に捌いていく。手早い。
 その腕前は鍛冶屋のホルガーに見せてやりたいほどだ。

「鰻だけは江戸前風の方が美味いと俺は思う」

 なんだか訳のわからないことを言いながら、一尾目をさばき終え、そのまま次に取り掛かる。
 それまで生きていたウナギが、タイショーの芸術的な手さばきで開いた切り身になっていくのは圧巻だ。

「なぁシノブちゃん。あんな風に開いていってるが…… 大丈夫なのか? ゼリー寄せも煮込みもぶつ切りにするもんだったように記憶してるんだが」
「私はそっちの食べ方を知らないんですけど、鰻は開いて食べますよ。腹から開くのが関西風、背中から開くのが江戸前風」
「クヮンセイだがエドマエだか知らんが、色んな流儀があるんだな。シノブちゃんの故郷ではウナギはよく食べるのかい?」
「ええ、食べ過ぎてほとんどいなくなっちゃうくらいに」

 食べ尽くすほどウナギを食べるというのなら連合王国人以上だ。あの国の川にはまだ、ウナギがうようよいる。
 桶の中身を全て裂き終えたタイショーは、開いたウナギを鉄串に刺し、次々と湯気の立つ大振りな鍋に入れていく。

「なんだ。変わった捌き方をしていたけど、やっぱり煮るんじゃないか」
「これは煮てるんじゃないんですよ。蒸してるんです」

 待ちきれない様子で丼を用意するシノブの様子を見ていると、段々とローレンツもウナギに興味が湧いてきた。
 今夜は炙りベーコンだけで飲むと決めていたが、一口くらいならノブのウナギを食べてみてもいい。そんな気がしてくるから不思議だ。

 蒸し上がったウナギをタイショーはタレに漬け、さっとに火に掛ける。
 ジュッと音がして、甘辛い独特の香りがカウンターのローレンツの鼻をくすぐった。

「ウナギを焼くのか?」
「他にも調理法はありますけど、焼くのが一般的ですね」
「へぇ。さっき蒸してあるから火は通ってるだろうに」
「一度蒸して焼くと、身がふんわり柔らかになるんです。そのまま焼く関西風よりも私はこっちの方が好きですね。骨も取ってあるからとても食べやすいですよ」

 シノブの言う通り、遍歴中に連合王国で食べたウナギの煮込みは骨が多くて食べにくかった。
 ノブのウナギはタイショーが骨を取っていたし、ひょっとすると食べやすいかもしれない。

 パタパタとタイショーがウナギを扇ぎ始めると、これまでずっと続いていた罵り合いの声が不意に止まった。
 良い匂いが奥のテーブルまで届いているのだろう。三人が唾を飲む音が、ローレンツの所まで聞こえてきそうだ。

「……それは何を焼いているのかね」
「はい、私たちの賄いです。みなさんは肴もお酒もあまり召し上がらないようですので」

 ラインホルトの問い掛けにシノブはつんと澄まして答える。
 末の息子のハンスも言っていたが、この給仕は店で食事をしないお客には途端に冷たくなる傾向があるらしい。

「客が注文をしないから賄いというのもとんでもない店だが…… こんなに良い匂いを嗅がされてお預けというのも癪にさわるな。賄いでもいいから、私にも出してくれんか」

 ゴドハルトの言葉に、シノブは何か思いついたようだ。

「分かりました。賄いをお出しするのも失礼ですし、こちらの料理は無料でお出しします」
「無料ですって? 何を企んでいるのかしら」
「エレオノーラさん、ご心配なく。何も企んでいません。但し、この料理の材料を当てられたら無料、ということで。回答はお一人一回に限らせて頂きます」

 無料、という言葉に三人とも興味を覚えたらしい。
 これだけ良い匂いの食べ物なのだ。何としてでもただで食べてみたい。
 先陣を切ったのはエレオノーラだった。

「これの香りは…… 仔羊ではないかしら。柔らかい仔羊のフィレ肉にタレをかけて焼いたのではなくって?」
「残念、はずれです」

 続いてゴドハルトが自信満々に手を挙げる。

「エレオノーラは分かっていないな。これは羊ではなくて魚だろう。運河を使って北の港から取り寄せたんだな。サケでは味がタレとぶつかりそうだから、淡白なタラではないか」
「ゴドハルトさんも違います」

 最後に残ったラインホルトは迂闊に答えず、しばらく天井を眺めたり、首を捻ったりしていた。
 だが、どうしても答えが出ずに当て推量で言うことに決めたようだ。

「食通の二人が当てられないんだから、私に当てられるはずがないからね。さっぱりなんだか分からないけど、ウナギだったら嬉しいな」

 ラインホルトの答えを二人が嘲笑う。

「ウナギがこんなに美味しそうな匂いの料理になるわけがないでしょう」
「エレオノーラの言うとおりだラインホルト。これでもしこの料理が本当にウナギで、しかも美味かったなら…… 詫びは漁業権の勅許状で手を打ってもいいぞ」
「あらゴドハルトったら本気? そんな約束しちゃっていいの?」
「他のどんな材料だったとしても、ウナギってことだけは絶対にないから大丈夫だ」

 ラインホルトを鼻で嗤う二人に、シノブは満面の笑みで正解を告げた。

「正解は、鰻です!」
「何だって?」
「嘘でしょ!」
「やった!」

 三者三様の反応を楽しみながら、シノブは焼き上がった蒲焼きを皿にのせてテーブルに運んでいく。もちろん、ローレンツの分もある。

「……これがウナギなぁ」

 悲喜こもごものテーブル席のことは措いておき、ローレンツは目の前で湯気を立てるあつあつの皿に目を向けた。まだ箸を使えないローレンツのために、木製のナイフとフォークが用意してある。

「香りは良いんだが…… どれ、お味の方は」

 一切れ口の中に放り込むと、あまりの柔らかにローレンツは目を剥いた。
 濃厚だが嫌みのない甘辛いタレの旨味と、舌で押しただけで崩れそうなふんわりとした食感。
 あの泥臭くて骨ばかり多いウナギとは全く別物に感じる。
 だが、ローレンツは桶の中にいた時から順を追ってウナギの調理を見ているのだ。誰が何と言おうと、これはウナギだ。

 奥のテーブルでも、声にならない声が上がっている。
 どれほどの美食家だったとしても、こんな食べ物は食べたことがないのではないか。これは一度ゲーアノートを連れて来てやらねばならない。

 シノブの方はと見てみると、エーファと一緒に丼いっぱいのご飯に乗せたウナギを美味しそうに頬張っている。頬にタレ付の米粒をくっつけているのは御愛嬌だ。

「タイショー、済まないがこのウナギをもう一皿……」
「こっちのテーブルの分も頼む!」
「ずるいわよ、ゴドハルト! 私の分もお願いね!」
「私にも一皿お願いします!」

 はいはい、と笑いながら、タイショーは次のウナギを焼きはじめた。
 パタパタという音と共に店内にあの香りが漂い、エールで膨れていたはずの腹が鳴る。このウナギを肴にするなら、エールよりはサケだろう。

「ね、ローレンツさん。桶一杯買ってきておいて正解だったでしょ?」

 勝ち誇った笑顔を浮かべるシノブに、ローレンツは苦笑いを返すことしかできなかった。

 話もまとまり水運ギルドの三人が帰った後、ローレンツは一人残ってサケを楽しんでいる。
 肴は白焼きにしてもらったウナギだ。ワサビを少しつけると、これがまた滅法美味い。
 エールの肴にしようとしたが、この味ならばとサケに代えて貰った。

「しかし結局、誰が儲けたんだろうな」

 独り言のように呟きながら、頭の中で整理する。
 ウナギの漁業権を得たゴドハルトは、確かに儲けたと言えるだろう。ウナギの調理法が広まれば、これまで何の値打ちもなかった水利権に意味が出る。
 だが、そんなに簡単に調理法が広まるのだろうか。部下への説明も難しそうだ。本当に苦労するのはこれからかもしれない。

 エレオノーラは二人の仲介をしたということで、箔が付いた。
 これまで金は持っているが格下という扱いを受けていた彼女だ。そういう意味で、かなりの利益を得たとも言える。

 ラインホルトについては判断が難しい。
 当初の予定通り水利権だけでゴドハルトとの取引を妥結させたという意味では一応の利益だ。
 ただ、あのまま水利権を持っていればいずれはウナギで荒稼ぎができたのかもしれない。みすみす新しい稼ぎの口を無くしたとも言える。
 今日は上手く凌げたが、未来に展望があるという訳でもない。

 ただ確実に利益を上げた奴がいる。
 ローレンツの目の前で包丁の手入れをしているタイショーは、これからウナギの蒲焼きで一儲けすることができるはずだ。

 人に美味しいものを食わせることだけが喜びです、という顔をしているが、こういう奴が実は一番幸せになるのかもしれない。
 そんなことを考えながら、ローレンツは切子の中のサケを干すのだった。
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