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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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仁義なき蒲焼き(前篇)

 引き戸を開けて居酒屋ノブに入ろうとした客が、そのまま戸を閉めた。
 給仕のシノブが挨拶する暇すらない。
 こんな客が、既にもう五組目である。原因である奥のテーブルに視線をやって、ローレンツはかぶりを振った。

 テーブルを挟んで睨み合っているのは、三人。
 強面の禿。
 覇気のない美男子。
 詰まらなそうに爪を磨いている美女。

 そのどれか一人だけでもそこに座っているだけで、古都の人間ならその場を逃げ出す面子である。
 この三人は、市参事会でも絶大な発言力を誇る古都の三大水運ギルドのマスターだった。

「ローレンツさん、あちらのお客様なんですけど……」

 先刻から暇そうにカウンターを拭いているシノブがローレンツに批難のまなざしを向ける。

「すまん、シノブちゃん。オレが悪かった」
「頭を下げられても困りますよ」

 そう言いながらもシノブの口調には棘がある。
 あの三人をローレンツが連れて来てからというもの、居酒屋ノブは開店休業。誰も客が入らないのだ。
 ローレンツが常連であるハンスの父親だとは言っても、限度がある。
 気付かずにうっかりと足を踏み入れてしまった客も、オトーシとエールの一杯でさっさと切り上げる始末。

 タイショーはさっきから自分の賄い用にとやたらに凝ったサラダを作るのに没頭しているし、皿洗い担当のエーファに到っては読み書きの練習に余念がない。そしてシノブは暇を持て余してローレンツに絡んでくるのである。

「第一、どうしてここで水運ギルドの会議なんてやるんですか。もっと相応しい店がいくらでもあるでしょう」
「オレも探したんだけどさ、全部断られたんだよ」
「全部ですか」
「そう、全部」

 全部とはいうものの、実際には水運ギルドのマスターを接待できる店など限られている。
 ローレンツ自身、自分で一度食べに来たという経験と、市参事会随一の食通として知られているゲーアノートの推薦がなければ、ここにあの三人を連れてきたりはしない。
 それほどあの三人は厄介なのだ。

「だから何度も言ってるように、詫びの言葉だけでは収まりがつかんところまできているんです」

 強面の禿、ゴドハルトが覇気のない美男子ラインホルトに顔を近づけて威圧する。ほとんど唾の掛かりそうな距離だ。
 荒くれ者の親分が貴族のボンボンを恐喝しているようにしか見えないが、実態も似たようなものだった。

 古都を縦横に走る運河には無数の水運業者がいるが、その全てはここに集まっている三人のいずれかによって支配されている。
 水運業者と言えば多少聞こえは良いものの、古都においてはその実態は日銭稼ぎのヤクザ者に過ぎない。喧嘩っ早く問題の多い出稼ぎ労働者を束ねるこの三人は、市参事会でも影響力のある顔役の一角と見做されていた。

「そうは言いますがね、ゴドハルトさん。こちらも譲るところは譲ろうと言っているのです。何とか既にお話した条件で呑んで頂けませんか」
「ラインホルトさん、こっちもアンタのところと事を構えようというつもりはないのだ。ただ、手打ちの条件があまりに安すぎると言っておるのだ」

 二人の利害関係に全く関係がないということで、ガラス職人ギルドの名誉マスターであるローレンツが仲裁を頼まれているが、二人がこの調子なので割って入ることもできない。
 もう一人の水運ギルドマスターであるエレオノーラが取り持ってくれればいいようなものだが、そうにもいかない事情もあった。

 酒にも食事にも手を付けず、ただただ怒鳴り合う二人と無関心な一人。
 こんな雰囲気の奥のテーブルに圧倒され、カウンターの店員三人の気もどこかそぞろだ。とは言っても、することがないのだから仕方がない。

「ローレンツさん、あの二人は何で言い争っているんですか?」
「ラインホルトさんの部下が、ゴドハルトさんの縄張りで仕事を請けちゃってたんだよ。それも随分と長い間」
「ああ、それはゴドハルトさん怒りますね」

 運ばれてきた炙りベーコンに齧り付きながらローレンツは頷く。
 この店のベーコンは靴底くらい分厚く切ってくれているので、食べるにも顎の力が要るほどだが、ベーコンをこよなく愛するローレンツには堪らなく嬉しい。
 中からたっぷりの脂が溢れてくるベーコンをマスタードで食べると、エールがいくらでも進む。

「ラインホルトのギルドは古都でも一番古い水運ギルドで格式はある。ところが先代が急にポックリ逝っちまったもんで、ラインホルト自身はほとんど餓鬼みたいな年でギルドの切り盛りをする羽目になったんだ」
「経験不足って奴ですね。周りの大人が補佐してくれなかったんですか?」
「それができれば苦労はないが…… あのエレオノーラって女。あいつの母親が幹部連中を根こそぎ引っこ抜いたんだよ。女の色香を使ってな」
「うわ、怖い」
「そんなこんながあって落ち目になったラインホルトの部下たちは、色々と厄介な仕事も引き受けるようになったということさ」

 七杯目のエールを頼みながら、ローレンツは後ろのテーブルにこっそりと覗き見た。議論は相変わらずの並行線で、纏まる気配はない。

「それでラインホルトさんがゴドハルトさんに謝ったんなら話は万事解決なんじゃないんですか?」
「それで済めば話は簡単なんだが、ラインホルトには詫びを入れ様にも補償できる財産が何にもないんだ」

 ガシャンと大きな音がしたので振り向くと、エールのジョッキが倒れている。ゴドハルトが拳でテーブルを打ち付けたらしい。

「だから、誰も漁業権なんか要らないって言っておるんですよ」
「しかしゴドハルトさん、今うちのギルドでお支払いに使えるものは漁業権に関する勅許状だけなのですよ」
「勅許で腹が膨れるならそれを頂いても構わんですがね、フナやらナマズやらウナギやらしか採れん運河の漁業権なんか誰も欲しがりませんぜ、ラインホルトさん」
「二人とも要らないなら、私が貰って差し上げましょうか?」
「エレオノーラさんは黙っててちょっと頂けませんか」

 横から割って入ろうとするエレオノーラにゴドハルトが釘を刺す。
 古都で最も大きな水運ギルドはゴドハルトのところだが、一番金と権限を持っているのはエレオノーラのギルドだ。
 これ以上エレオノーラに儲けさせるつもりは、ゴドハルトにもラインホルトにもないのだろう。だから敢えてこの場に呼んでいるのだ。

「そう言えば古都の市場でも鰻って売ってましたね」

 シノブの言葉にタイショーが顔を上げる。

「ああ、一度見たが、なかなか美味そうな鰻だったな」
「鰻が美味そうだって?」

 二人の言葉に驚き、ローレンツはエールを吹きそうになった。

「美味しいじゃないですか、鰻」
「あんな蛇の偽物みたいな奴の何処が美味いんだ。ぶつ切りにして煮るか、ゼリーで寄せるかしかないじゃねぇか」
「そんな食べ方聞いたことありませんよ」

 ウナギは古都の運河を山のように遡上してくるが、食用としては全く人気がない。掴みどころのない身体をしているだけでなく、生の血には毒まであるのだ。
 長く遍歴ガラス職人として各地を回ってきたローレンツも、ウナギを好んで食べるのは連合王国の物好きだけだと信じている。


「ま、何にしてもこの議論は平行線だな」
「鰻が美味しいか美味しくないかっていうことですか?」
「違うよ。ラインホルトの詫びの話だ。不味いウナギしか獲れない漁業権で、ゴドハルトの旦那が納得するとも思えんがね」
「美味しいのになぁ、鰻」

 不満げに頬を膨らませるシノブに、エーファがおずおずと申し出る。

「私も、美味しいウナギって食べたことがありません」
「そう言えば、最近高いから鰻は仕入れてないな」

 タイショーがそう言うと、シノブの顔がパッと明るくなった。

「じゃあ、今日の賄いは鰻にしましょう!」
「でもこの時間だと、国産なんか残ってないぞ」

 渋るタイショーに、シノブがニヤリと強気の笑みを見せた。

「大丈夫ですよ。こっちの市場にならまだあるはずです」
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